2021年7月6日火曜日

山の歌 02剣の歌 について

    『剣の歌

    早稲田大学山岳部部歌

     作詞・作曲 不詳
    

1.夢に描いた剣の山によ
  意気と力でね
   ぶち当たる ヨカネ
  
2.剣見るなら
   赤谷(あかたん)尾根でよ
  大窓小窓にね 三ノ窓  ヨカネ
  
3.窓に数々窓は あれどよ
  剣の大窓ね 日本一 ヨカネ
  
4.ブナでドンとうつ雪崩の音はよ
  ごついおいらのね 度胸だめし ヨカネ
  
5.窓をあければ富山の町がよ
  暗い夜空にね 薄明り ヨカネ 
  
6.ザイル結んで氷の尾根でよ
  仰ぐ剣のね 薄化粧(けはい) ヨカネ

7 遥かに見下ろす 池ノ谷(ダン)のよ
  暗いゴルジュのね 蒼氷 ヨカネ

8 どうだ見てくれ おいらの焼けたよ
  山の男のね 色香り ヨカネ

9 ひげを伸ばして 伊折へ下りゃよ
  おいらを待ってるね 獅子舞が ヨカネ

2番の歌詞の赤谷の読み方が面白い。
谷を「たに」と読むのは普通だが、ここでは「たん」と言っている。
調べてみると、一般流布している歌集もビデオも「あかたん」または「あかだん」である。

しかしながら「あかたに」と言うのが正しいと言う説もあるのです。
それは、この歌は早稲田大学山岳部の部歌であるからです。
どう言うことかと言うと、近代山岳史の中では剱岳の冬季初登頂が早稲田隊による赤谷尾根登行だったため、それ以来このルートは「赤谷尾根」と呼ばれるようになったと言う経緯があるかららしいのです。

そのため、早稲田大学山岳部では「たに」と呼び、
その他では赤谷山の名称「あかたん」「あかだん」を用いているようなのです♪

さきに紹介した「坊がつる讃歌」が元歌の「廣島高師の山男」と違うというところと似ていませんか?
いずれにしても、これらは皆んなでワイワイ歌うのが普通ですから、その時の仲間たちの気の向く歌詞やリズムでやれば良いのかなと思います。

「ブナでどんと打つ雪崩の音はよ
ゴツいおいらのね 度胸試し ヨカネ
意気と力でね ぶち当たる ヨカネ」
まさに早稲田の真骨頂ではないか‼️
早稲田大学の第二校歌「人生劇場」の
「やると思えば どこまでやるさ
それが男の 意気地じゃないか」
を彷彿させる勇壮な歌である‼️

古い登山史を思い出す一端でした。

追伸

歌う会の神谷さんから頂いた、早稲田の久新さんからのメッセージを紹介します。

赤谷尾根の呼び方ですが、
早稲田では伝統的に「剱みるなら赤谷尾根(アカダニオネ)でヨ」と歌っています。
♪「赤谷尾根(アカタンオネ)でヨ」とは歌いません。

♪「遥か見下ろす池谷(イケノタン)のヨ」と、こちらでは
越中の呼称習慣通りにイケノタンと歌っていますので、
当時の学生たちが地域固有の呼称を知らなかったということはないと思います。

唄ってみてわかりますが、♪「剱みるなら赤谷尾根(アカタンオネ)でヨ」では
語呂の上でも1か月に及ぶ積雪期合宿の重みがでないように思います。
谷をタニではなく、濁音のダニにしてあるのもそういう意味があるのかもしれませ
ん。
「早稲田につたわる山の歌」小冊子の解説にも書きましたが、北方稜線から剱本峰の
初トレースを記念して当時の先輩たちが合作して作詞した歌ですので
地名の呼称習慣よりはオリジナルの歌い方を尊重していただければと思います。

「剱の歌」は富山県山岳救助隊を取り上げたテレビ番組の中で、隊員たちが歌ってい
る場面が紹介されましたので富山県山岳救助隊の歌だと思っている方もいるかもしれませんが
おそらく早稲田山岳部出身で富山県南砺市出身の稲葉OBが富山県山岳救助隊勤務して
いた関係で
隊内に広がったのではないかと推測しています。
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以上 久新さんのメールから転載しました。』

やっぱり開拓者、命名者としての意地、って感じでしょうか❣️

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