https://ameblo.jp/hikarugennji/entry-12688214462.html より転載します。
東京オリンピック開会式、
何があるのかな~~と楽しみにワクワクしながら観たのですが、何も起こりませんでしたね!
しかも、なんのメッセージ性もなく、つまんない内容で、開会式と閉会式で165億円 もかけたわりにはあまりにショボくて、がっかりがっかりがっかりしました。。。
おまけに、イスラエルのために甦るゾンビが踊ったり、SDGsとか、、、血管とか、、、だんだん気持ち悪っ、、、ってなりました、、、
せっかく火消しが出てきて、日本らしい演出始まるか!と思いきや、タップダンスはじまちゃって、意味不、、、大工も意味不、、、SDGsも意味不、、、
その後は、あまりにおもしろくなくて眠くなっちゃって、、、気付いたらいつの間にか終わっていたよ
予想が外れたのはまたがっかりでしたが、
165億円もかけたつまんないもの見せられて、本当にがっかりでした。
結局、五輪を歓迎できないムードを変えるのは、無観客のスタジアムやアリーナで戦う選手たちの姿となるのだろう。人生をかけて準備してきた舞台。テレビを通じての観戦でも、必死で勝利を目指す彼らのプレーが生むスリリングなゲームは、それだけの力を持つと思っている。
開催国である日本の選手たちは、コロナ下での大会開催に、申し訳ないと負い目も感じているはずだ。だが、今は余計なことに心を乱さず、ただ目の前の目標に集中すればそれでいい。そして戦いを終えた後、感謝とともに、考えることを忘れないでほしい。五輪の開催がコロナに苦しむ社会の負荷になるのは否定できない。金メダルを取っても、それは帳消しにはならない。
ならばスポーツを通じてこれから社会に何を返せるのか。一人ひとりがその問いかけを常に意識すれば、この国のスポーツの未来は必ず良い方向に向かうはずだ。
1984年のロサンゼルス大会で商業主義にかじを切った五輪は、理念とビジネスの両立という矛盾を抱えたまま巨大化を続け、そのひずみは限界に達していた。そしてコロナ禍はその実態を浮き彫りにした。
感染症のパンデミックは今後もやってくると予想される。いや応なく簡素化を迫られる東京大会には、原点に回帰して五輪を未来にリレーする転機となってほしい。だが、五輪の「終わりの始まり」となるのかもしれない。
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