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より転載します。
Minamata:いかに日本企業が共同体を汚染し、アメリカ人カメラマンがそれを暴露しようとつとめたか
ジェイソン・クイル、リチャード・フィリップス
2021年8月4日
wsws
Minamataは、画家・映画プロデューサーのアンドリュー・レビタス(ジョージタウン)が監督した化学製品企業チッソによる日本漁村の産業汚染と、1971年から始まった有名な写真家・エッセイストW・ユージーン・スミスによる、この企業犯罪による人間に対する悲惨な影響を暴露する戦いを描いている。
1951年から1968年まで、チッソは南西日本の水俣湾に極めて有毒なメチル水銀を含む化学処理されていない何千トンもの廃水を捨て、地域の魚や他の海洋生物を汚染した。
常に水俣湾の魚を食べている地元住民は、1950年代、猫の奇妙な行動と病気に気付いたが、1956年、最初の人間の症例が現れた。
以降の年月、この企業が健康被害に対するいかなる責任も否定する中、子供を含め何千人もの住民が、酷い水銀中毒による筋力低下や、身体障害、精神障害、昏睡や死で苦しんだ。
現在、2,283人の人々が公式に患者として認知され、75,000人以上の人々が水俣水銀中毒を起こしたことが広く認められている。1,700件以上の訴訟が、まだ進行中だ。
Minamata[出典:メタルワーク・ピクチャーズ]のアイリーン美緒子(バージュ美波)とW・ユージーン・スミス(ジョニー・デップ)
Minamataは、その操業や被害者の苦難のいかなる暴露も防ごうとするチッソの冷酷な試みの強力な吟味だ。W・ユージーン・スミスとアイリーン美緒子による本『Minamata』(写真集 水俣)に基づく115分の映画は、この監督を、この映画の北アメリカ配給業者MGMと対立状態に追い込んだ。
レビタスの映画は2019年末に完成し、2020年早々ベルリン映画祭で初上映され、2021年2月に、アメリカとイギリスで公開されるはずだった。そうはならなかった。
MGM、今年、ごくわずかな国際上映を行ったが、映画の主演男優ジョニー・デップの「個人的問題」とされるもののため、北アメリカでの公開日発表を拒否し、映画を「隠蔽した」。我々は後で、MGMの法外な検閲の話題に戻る。
Minamataは、後に彼の称賛される写真となった、伝統的な日本の風呂で、水俣病で苦しめられ、ひどく変形した裸の娘を抱く母親の写真「入浴する智子と母」をスミス(デップ)が撮影する場面で始まる。
並外れて感動的な白黒写真は、「ライフ」誌に発表された他のMinamataシリーズの作品とともに、後に多くの人々にスミスの最大業績の一つと見なされ、アメリカや世界中の読者にチッソ水銀中毒の恐怖を伝えた。
W・ユージーン・スミス「入浴する智子と母」1972年[出典:ウィキペディア]
映画は、それから一年前にさかのぼる。マンハッタン屋根裏で半ば隠とん生活をするスミスは創造上の行き詰まりにあった。前妻と子供たちから疎外され、高く評価されているカメラマンは、まだ第二次世界大戦での重い傷と悲惨な経験による心的外傷後ストレスで苦しみ、大酒を飲み、出版社にいらだっていた。(Sara Fishkoの2015年のドキュメンタリー、The Jazz Loft According to W. Eugene Smithは、レビタスの映画にとって貴重な関連作品だ[この映画のWSWSレビューと監督インタビューを参照。])
彼の社会的意識の高い写真作品に気付いて、アイリーン美緒子(バージュ美波)は、スミスにMinamataの状況を暴露するのを支援するよう話をもちかける。「現地では反対運動があるが、我々には世界的注目が必要だ」と彼女が言う。
最初は気乗りしなかったが、スミスは最終的に、長年の協力者で、ライフ誌編集者ロバート・ヘイズ(ビル・ナイ)に話をし、内幕をばらすため、自分を日本に送るよう強く主張する。
到着して、スミスは、チッソと何年もの戦いで、村人が疲れ切って、脅かされていることに気がつく。村人が見つけられる限りの多くのカメラと間に合わせの暗室を用意して、スミスは村人の信頼を勝ちとり、企業に不利な証拠を集め始める。
スミス、アイリーンと活動家のキヨシ(加瀬亮)は変装して、チッソ社付属病院を訪問し、最悪の病気を経験している人々を写真に撮る。彼らは河川の水が15年以上の間本当に有毒だったことも証明し、この企業が個人研究の調査結果を隠蔽したことを示す書類を暴露する。
チッソ幹部のノジマ・ジュンイチ(國村隼)は共同体へのスミスの到着に気付き、賄賂や肉体的暴力を含め、このカメラマンの仕事を思いとどまらせたり阻止したりするさまざま策略を試みる。
スミスの取り組みと平行して活動するのは、依然企業と戦う決意が固い少数の被害者の代理を務めるもう一つの集団だ。一部は企業に異議を申し立てるのを恐れているが、この集団の指導者ヤマザキ・ミツオ(真田広之)は、感動的な場面で「これはこの町だけのものではない」と宣言して、彼らに呼び掛ける。「大企業は世界中で小さな町を侵略して、彼らの暮らしを汚染する。そういことは起きてきたし、また起きるだろう!」
スミスは最終的に上村智子の母親の信用を勝ち取り、最終的に、やがて有名になる写真撮影を許される。この写真や、Lifeが出版した他の傑出したMinamata写真は、1978年、スミス生前の最後の写真エッセイとなった。
Minamataは南西日本の漁業社会で起きた大惨事が一回限りの出来事ではなかったことを明らかにする。この映画は、Minamata大惨事から数十年後の似たような悲劇の長いリストを結論にしている。インドネシアでの水銀汚染、チェルノブイリや福島の放射能、アフリカや中南米での有毒鉱山廃棄物による中毒、ミシガン州のフリント飲料水鉛汚染や多数の他の事件。
Minamataの批評は、大半が好意的だが、Indiewireや、イギリスを本拠とするIndependentとTelegraphの批評家による評価は厳しかった。彼らの批評の底流にあるのは、誰も、この惨事について余りに感情的になるべきではなく、まして、熱烈にMinamata被害者の苦境を見せようとするなど、とんでもないという主張だ。この骨組みを超える冒険をする映画製作者は、常軌を逸している。
[出典:メタルワーク・ピクチャーズ]水俣病患者と一緒のアイリーン美緒子(バージュ美波)とW・ユージーン・スミス(ジョニー・デップ)
例えば、Indiewireの評論家エリック・コーンは「ジョニー・デップのとっぴな演技は、やりすぎ伝記映画を救えない。」という題の記事で、映画を「ふさぎ込むドラマ」と非難している。
「時折の感動的な見方も、全ての心の琴線を自由に引きこもうとする映画を救うことはできない」とコーンは宣言し「芝居がかった身振りが基本だ」と映画を非難している。
Independentのジェフリー・マクナブは、この映画は「方向が矛盾している」ので二つ星にすると言う。「社会改革ドラマなのか、問題を抱えた芸術家の贖罪物語なのかわからない。結果は、期待されていた形で観客を引き込むことも感動もさせない映画だ。」
Telegraphは、Minamataは「自慢する」伝記映画で「顔をしかめたくなるような贖罪話で、スミスを喜ばせるような物語にした」とレビタスを非難している。
これらの傲慢で、自己満足的な主張とは対照的に、Minamataは、熱のこもった徹底的に客観的な作品で、チッソの犯罪と、この企業の被害者を暴露しようというスミスの決意が、どのように彼の創造精神を回復させたかを示している。
全てのスミス作品の深さや重要性を、ここで批判的に検討することはできないが(International Center for Photographyの写真オンライン・コレクションを参照)強力なジャーナリズム・ツールと芸術的手段としての写真に対する彼の貢献は深い人間性に支えられている。
戦後のスミスの写真エッセイ、スペインの村(1951)、助産婦 Nurse Midwife(1951年)、Country Doctor(1954)や他の作品は、現代写真ジャーナリズムに新たなパラダイムを確立した。
何より、スミスは、真実を暴露する努力は、他の人々を勇気づけ、社会を良い方向に変えられるという熱烈な信念につきうごかされていた。彼は、かつてこう語っている。「写真は、せいぜい小さい声だが、まれに、ごくまれに、一枚の写真、あるいは何枚かの写真が我々の感覚を覚醒させることができる。思考の触媒だ。」
これらの感情がMinamataを支えてはいるが、現在レビタスは、こうした関心事と対立して、この映画を「葬り」、作品に関係する全ての人々を罰するため、デップに対し、#MeToo-スタイルのキャンペーンを進めているメディア企業と対決している。
2018年、デップの前妻アンバー・ハードは、ワシントン・ポストに家庭内暴力の被害者だったと主張する論説を書いた。これはポスト記事では名指されていなかったデップに対し、いつものメディアの職業生活破壊ヒステリーを引き起こした。ハードが主張する事件のいずれも、告訴は言うまでもなく、今までどんな犯罪捜査の主題にもなったことがない。
デップは予定されていた次の「パイレーツ・オブ・カリビアン」制作から外され、去年『ファンタスティック・ビースト』の三作目で、ゲラート・グリンデルワルト役を「降りる」ように依頼された。デップの排除は、マードックが所有するイギリスを本拠とする、彼を「妻虐待者」と非難する扇情的な内容を出版したタブロイド紙Sunに対する名誉毀損訴訟で敗訴した後におきた。
先週、レビタスは、この巨大映画会社を非難するMGMに送った手紙を公開した。「[2020年早々]MGMは、世界がこれまで経験した中でも最悪な産業公害事件の一つによる何千人もの被害者の苦しみを明らかにする熱意を持っていた。
「長年無視されてきたこの共同体は、彼らの物語を共有し、彼らの痛みを再度曝すことで、歴史を闇から引き上げ、他の無辜の人々が、決して彼らのように苦しまないようにすることだけを願っているが、MGMとの提携で、数十年にわたる願望が、とうとう実現する時が来たように思われました」と手紙は述べている。
「今MGMは、この映画に出演している一人の俳優の個人的問題が同社に否定的影響を及ぼしかねず、MGMの視点からは、これに比較し、被害者や家族は、さほど重要でなく、世界公開が既に成功したもかかわらず、MGMは「映画を葬る」ことに(買い付け部門トップ、サム・ウォルマン氏の言葉)今週決めたのを知った時の彼らの衝撃を想像下さい。」
アンドリュー・レビタス[出典:メタルワーク・ピクチャーズ]
「巨大な顔がない企業が、人類や品位や正義に対する彼らの道義的責任に応えなかったため」、レビタスは、彼の娘が「人生全ての日々、苦しんだ」上村氏と話をしたのを思い出した。彼の手紙は、MGM経営者に、上村氏や他の水俣被害者と話し「なぜ一人の俳優の私生活が、彼らの亡くなった子供や兄弟や親や、産業公害と企業の不正行為のあらゆる被害者より一層重要と思うのか説明する」よう要求していた。
手紙は「全世界の人々は、彼らを尊重せず、彼らを本物と考えない企業によって被害を与えられている」ことを指摘し、MGMに「Minamataの配給とプロモーションを積極的に阻止する」決定を覆すよう促した。それは、自分の経験について語る被害者の一人、シノブ・サカモトのYouTubeビデオで終わる。
MGMは、軽蔑的な味気ない声明で答えた。「この映画は、MGMの一部門で、映画の同時発売を担当するアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ経由で購入した。Minamataは、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズの将来公開作品の一つで、現在、この映画のアメリカ公開日はTBA[未定]だ。」現在アマゾンによる吸収合併過程にあるMGMによる、いかなる決定も、確実に経済計算の影響を受ける。
記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2021/08/04/mina-a04.html
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日頃、テレビや新聞を大本営広報部洗脳機関と呼んでいる。これが事実であることが日々示されるのは、ケイトリン・ジョンストンさんの主張同様、正しい主張の証明とはいえ、悲しい現実。本営広報部洗脳機関という主張、妄想であって欲しいと夢想している。
有象無象の茶番劇で、子供の頃、漫画で?見たのを思い出している。やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。肥だめの中の嵐。日本の現実そのものを描写する『水戸黄門』を見ながら思う。総裁選を話題にするのではなく、この現状で、コロナ対策を論じる国会開催を否定している与党を批判する大本営広報部洗脳機関は皆無。もちろん、それが連中のお仕事。
植草一秀の『知られざる真実』
ブロードウェイ再開の記事を読んで、昔現地でみたミュージカル『コーラスライン』を思い出した。出張時、後輩と見た記憶があるのだが、さだかではない。当時、たまたまよった書店で、フレデリック・ポールの『チェルノブイリ』ペーパーバックを買った記憶のほうは、はっきりしている。購入後、まもなく読み終えた。フレデリック・ポールの『チェルノブイリ』については2011年4月の下記記事で触れている。同じ時に、ニューヨークの安売り店で、あのパソコンを買ったのだった。
週刊金曜日最新号 9/17 1345号に、つなぶち ようじ氏の石川武志氏インタビュー 映画『MINAMATA-ミナマタ』から消された人物が語るユージン・スミス が掲載されている。引き込まれる記事。映画は、23日公開。
東京新聞、9/16朝刊にも、スミス夫人役女性の話題が載っている。
ところで、ここに表示されている有名な「入浴する智子と母」の写真、スミスのオンライン展覧会にも掲載されていない。小生の世代にとって、ユージン・スミスと水俣というと、瞬間的に連想するのはこの写真なのだが。
写真を公開しないことにした経緯を説明する元スミス夫人による文章がある。
LITERA
八代弁護士らの共産党攻撃の根拠「公安調査庁」が“失笑”の報告書! 暴力活動の記載なく「コロナ政策提言で存在感」とまるで共産党PR
犯罪人が犯罪取り締まりの頂点にたつというのは、北朝鮮もびっくりの属国。
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