https://shunsasahara.com/entry/2021/01/15/215955
より転載します。
北朝鮮の真実3 北朝鮮における核開発は、建国直後から行われていた!? 残置諜者の誓いとは何か?
北朝鮮の核開発
忘れたころに飛んでくる北朝鮮のミサイルですが、一般的には北朝鮮が核兵器の開発を始めたのは1969年ごろとされています。
しかしこれは真実ではありません。北朝鮮は、建国直後から、核兵器の開発に着手しています。というか、核兵器を開発するために、北朝鮮が建国されたようなものです。
これを説明するためには、まずは北朝鮮を建国したとされる、残置諜者とは何なのか、彼らはどのような思いで、異国において活動を続けているのか、について、理解しなくてはなりません。
残置諜者とは?
残置諜者は、日本軍のスパイです。しかし、一口にスパイといっても、皆さんがイメージする普通のスパイとは大きく異なっています。
普通のスパイというのは、CIA の諜報員を思い浮かべてみればよく分かると思います。CIA の諜報員は、本国(に巣食うディープステート)の指令を受け、相手国に潜入し、情報を入手して、それを本国(のディープステート)に送ります。時には本国(・・・以下略)の指示で、相手国で工作活動を行うこともあります。
彼らはすべて、本国からの指令で動き、本国に情報を持ち帰るのを任務にしているわけです。
しかし残置諜者はそうではありません。彼らは本国が滅亡し、敵国に占領されるのを前提として送り込まれたスパイなのです。
1944年の段階で、すでに陸軍は、大東亜戦争の敗戦を予見していました。陸軍は、公式には天皇陛下とともに最後の一兵まで戦うと公言し、国内向けには大本営発表で、勝利の報道を繰り返していましたが、実際にアメリカと戦っているのは彼らですから、日本軍が滅亡のふちにあるのは当然わかっています。
この段階からすでに、陸軍は、日本がアメリカに降伏し、占領されてしまった後のことを考えて、着々と手を打っていたのです。
彼らのプランはこうです。アジア各国に多数のスパイを送り込み、その国の人たちに紛れ込ませ、その国の国民として生活させる。日本が滅亡し、占領されたとしても、彼らは活動をつづけ、日本を陰ながら支援し続ける。そして隙を見て、アメリカに不利になる行動を行い、潜入国がアメリカと戦い、アメリカを倒すように仕向ける。
こうすれば、日本本国がアメリカに降伏した後でも、アジア各地で反米活動が続けられ、うまくいけばアメリカに一泡吹かせられるだろう。もしもアジア各国で反米ののろしが上がり、連合してアメリカと戦うことができれば、日本本国の敵を討って、アメリカを倒すことすらできるかもしれない、ということです。
この目的のために、スパイ養成所である陸軍中野学校では、日夜訓練が続けられ、潜入国の言語や生活様式を完璧に身に着けたスパイたちが、日本本国が占領された後の世界で活動するために、アジア各国に送り込まれていきました。これらの人々が、主軸となって、その後アジア各国で活動を繰り広げていくのです。
彼らに本国はありません。本国からの指令は永遠になく、本国に情報を送ることもありません。しかし彼らはアジア各国で、その国の国民として生活し、ことあらば日本を助け、アメリカを倒すことを誓って、日々活動を続けていきました。
上にあげた以外にも、さまざまな形態の、本国の指令によらない独立自営型スパイがアジア各国で日本のために活動を続けていました。大きく分けると次の3パターンになるでしょうか。
①大東亜戦争開始前、あるいは戦時中に普通のスパイとして送り込まれ、活動を続けていたが、戦争終結とともに現地にとどまり、そのまま活動を継続することを選択した人々。
②本国降伏後に活動することを前提に、中野学校で訓練され、送り込まれた人々。
③戦争中は日本軍の兵士、あるいは日本占領地における民間企業で働いていたが、終戦とともに、現地にとどまり、活動していくことを選択した人々。
これらの人々を総称して、残置諜者と呼んでいるのです。
北朝鮮の建国者、畑中理は、①のパターンです。前記事で上げた岸信介は、自身が現地のスパイたちを率いて麻薬シンジケートを経営していたため、①の人々は全員知っていますが、②と③の人たちは知りません。
中野学校の関係者は②および、①の一部を知っていますが、③は知りません。
電通の経営陣は③を知っていますが、①と②は知りません。
というように、残置諜者の一部を知っている人はいますが、全貌を把握している人はいません。
彼らは基本的に、本国から完全に独立し、自らの判断に基づいて、日本を助け、アメリカと戦うことを誓って、現地で活動を続けていたのです。
アジア独立に際しての残置諜者のはたらき
日本がアメリカに無条件降伏し、大東亜戦争が終結した直後から、アジア各国では旧宗主国に対する独立戦争がはじまります。
詳しくは、当ブログ「二次大戦の真実」の記事をご一読ください。
この独立戦争において、反乱を主導し、現地の軍隊を訓練したのは、現地に残る残置諜者と旧日本軍の残党です。
過去何百年にわたって、戦っても勝てなかった欧米諸国に、これらの国々があっさり勝利を収め、独立を勝ち取ることができた裏には、現地で暗躍する残置諜者たちの活躍があったのです。
「二次大戦の真実」で述べたように、彼らの活躍によって、大東亜戦争の戦争目的であった、アジア植民地の開放は達成され、結局日本は大東亜戦争に勝利を収めることができました。
この勝利には、本国降伏後も戦い続けた残置諜者たちの活躍が、大きく貢献していたということができるでしょう。
ベトナム戦争は大東亜戦争の第2ラウンド
残置諜者たちの間で、最大の盛り上がりを見せたのは、ベトナム戦争でしょうか。
一般にはベトナム戦争は、自由主義と共産主義の戦いといわれています。社会主義国の北ベトナムが、自由主義国の南ベトナムに攻め込み、フランスとアメリカが南ベトナムを支援しますが、ベトコンのゲリラ戦により撤退、ベトナムは社会主義国となってしまった、なんて言われていますね。
大規模な空爆を行い、近代兵器を駆使したアメリカ軍が、なぜ、竹やりとブービートラップを駆使するベトコンに敗れ去ってしまったのでしょうか?そんなことがあり得るのでしょうか。このときアメリカは、いったい誰と戦っていたのでしょうか?
そういえば、以前に同じようなことがありましたね。ガダルカナルやソロモンでは、空爆を行い、マシンガンを撃ってくるアメリカ軍に対して、日本軍は小銃一丁で最後の一兵まで立ち向かい、アメリカ軍を恐怖のどん底に叩き込みました。
アメリカ軍とベトコンの戦いにそっくりですね。
この戦争は、自由主義と共産主義の戦いではありません。以前に行われた、植民地戦争の第2ラウンドです。
ベトナムは2次大戦以前はフランスが植民地として支配していました(フランス領インドシナ)。終戦後、独立しようとするベトナムに対し、フランスが再び襲い掛かります。
それが、1946年に始まった第一次インドシナ戦争です。この戦争は1954年に終結しますが、このときフランスの支配下の南ベトナムと、ベトナム人の支配下の北ベトナムに分断されてしまいます。
これは、二次大戦における日本軍の活躍で、植民地を失ってしまった欧米諸国と、それを背後で操る世界中を植民地化して支配しようとしたディープステートが、ベトナムの再植民地化を試みた戦争でした。
その後、南北ベトナム統一を旗印に、1960年、南北ベトナムとの間で第2次インドシナ戦争、いわゆるベトナム戦争が開始されます。
これは要するに、半分しか植民地を取り返せなかったディープステートが、ベトナム全土の植民地化を期して仕掛けた戦争です。
この戦争にアメリカが肩入れし、フランスの植民地支配を助けようとしたわけです。
これに際し、ベトナム及び東南アジア全土の残置諜者と日本軍の残党が立ち上がり、南ベトナムの野望に立ち向かいます。
彼らにとって、北ベトナムが社会主義国である、なんてことはどうでもいいことです。とにかくアメリカをたたき、西欧諸国によるアジアの植民地化を止めることができればそれでいいわけです。
彼らは、アジア全土に広がる残置諜者のネットワークを通じて、情報の収集と物資の調達を行い、北ベトナム軍の中に潜り込み、軍を訓練、指揮して、アメリカと戦いました。
アメリカはこの時、ベトコンという名の、大日本帝国陸軍の残党たちと戦っていたのです。北ベトナム軍は、かつての日本軍と同様に、アメリカ軍と勇敢に戦い、ついにはアメリカをベトナムから追い出すことに成功したのです。
この戦いは彼らにとってまさに、大東亜戦争の第2ラウンドとも呼ぶべき戦いでした。そして今回は、ついにアメリカ軍に直接勝利し、ディープステートの野望をくじき、ベトナムを独立に導くことができたわけです。
まさに残置諜者たちにとって、満願成就の戦いであったといえるでしょう。
北朝鮮の核開発
話を元に戻しましょう。
アジア各国において、残置諜者は、陰に潜み、機会をうかがって活動する存在でした。しかし、その中でただ一国、残置諜者自身が政権を取った国がありました。
それが北朝鮮です。
それでは北朝鮮の残置諜者たちは、政権を手にした後にどう考えるでしょうか。
当然、本国日本を占領した、アメリカへの報復を考えます。彼らは、日本がアメリカに降伏した主な要因は、原子爆弾であると考えていました。
それならば、日本が動けない今、自分たちの力で原子爆弾を作り出し、アメリカに撃ち込んでやろう、これが北朝鮮が核開発を開始した主な理由です。
北朝鮮には核開発に必要なものがすべてそろっていました。
北朝鮮にはウラン鉱山があります。戦前に日本が作った、鉄鋼や化学コンビナートが残っています。さらには日本が建設した、鴨緑江にかかるダムと、当時東洋一の規模を誇る水力発電所があります。
これに加えて、旧日本軍で原爆開発に携わっていた技術者たちや、満州、朝鮮にいた技術者たちも平壌に集結していました。
これらの物的、人的資源を使って、北朝鮮の残置諜者たちは、建国後、すぐに原子爆弾の開発を開始したのです。
というよりも、戦時中から続く原子爆弾の開発を、場所を変えて続行した、というべきかもしれません。
その中心となったのが、旧南満州鉄道の技術者たちです。
当時蒸気機関車で世界最高速を誇る、特急あじあを開発した技術者たちですね。
ちなみに南満州鉄道は、技術者は北朝鮮に渡って核開発に携わる一方で、経営陣は日本に帰国し、広告代理店「電通」を立ち上げます。
電通は、日本国内のマスコミを支配し、アメリカ軍の目をかいくぐって、テレビやラジオを通じて世界中の残置諜者たちをサポートする情報誘導を行っていきます。
え、電通って、光側だったの?ディープステートの手先なんじゃないの?とおっしゃる方。
この時代の電通はピカピカの光側です。
しかし80年代初頭の内紛によって、電通内部の残置諜者たちはすべて追い出され、ディープステートに会社ごと乗っ取られてしまうのです。
この電通の陥落による日本国の損失は、計り知れないものがあります。80年代初頭を境に、日本国内のマスコミの論調は一変し、マスコミはディープステートの洗脳機関となり果ててしまうのですが、それはまたのちの記事で述べることにさせていただきます。
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