2021年10月2日土曜日
グーグルの規制強化には負けないぞ‼️ ネサラゲサラ7❣️
昨日からグーグルブログが変調です‼️
写真や文字はどうしたのでどうしたのでしょうか⁉️
原文に行ってみていただくのが良さそうですが、urlの貼り付けもできません‼️
NESARA/GESARA 7 ロナルド・レーガン大統領の雄大な戦略。第2回NESARA 導入の試みは軍と裁判所を用いて行われた!?
NESARA/GESARA
レーガン大統領が気づいた真実
ケネディ大統領暗殺後、しばらくディープステートもしくはその傀儡の大統領が続き、ディープステートたちは着実にその勢力を伸ばしていきます。
ケネディ以後、初めてディープステートの企てに異議を唱えたのは、第40代大統領、ロナルド・ウィルソン・レーガンです。
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レーガンは、ご存じの通り、ハリウッドの俳優出身の大統領です。彼は元俳優の抜群の知名度を武器に、1980年、民主党の現職、カーター大統領を破って大統領選に当選しました。
レーガンの場合は、政治にあまり詳しくない状態で大統領に就任したため、ディープステートの存在と彼らによる支配を知ったのは、大統領就任以後のことと思われます。
現在と違って、当時のハリウッドはまだディープステートに占有されてはいなかったようですね。
レーガン大統領は、1980年の大統領選の際、デヴィッド・ロックフェラーとズビグニュー・ブレジンスキーが設立した「三極委員会」から送り込まれた者たちが、カーター政権の要職を19も独占していたことを指摘して、
「三極委員会は国際銀行業、多国籍企業などの利益のためだけに存在する集団である」
とカーター大統領を痛烈に批判しました。しかし結局、レーガンは大統領に当選したあと、自らの政権の10の要職に「三極委員会」のメンバーを送り込まれてしまいます。
この時点で彼は、ディープステートの隠然たる力の強さに気付いたようです。
そこからのレーガンの状況把握は素早いものでした。彼はあっという間に、FRB による詐欺行為、ディープステートによる通貨発行権の横取りに気付いてしまいます。
こうなるとディープステートがやることは一つしかありませんね。
レーガン大統領暗殺の企て
1981年3月30日、レーガン大統領はワシントンD.C.で銃撃されました。犯人は、ジョン・ヒンクリーという人物です。
ヒンクリーはレーガン大統領が車から降りた直後に、彼の前に立ちはだかり、手に持ったレボルバーから、弾丸6発を発射しました。ヒンクリーはその場で取り押さえられました。
f:id:shunsasahara:20201101183503j:plain
レーガン大統領銃撃直後の現場のようす
この模様はテレビで生中継されており、世界中に向けて、大統領が銃撃されるシーンが発信されました。
大統領には2発の弾丸が命中し、そのうち一発は心臓をかすめていました。大統領は病院に運び込まれ、弾丸の摘出手術が行われました。
手術は成功し、レーガン大統領は公務に復帰しました。危機においても余裕を失わない精神的な強靭さと、撃たれた直後もジョークを飛ばすユーモアが評価され、彼の支持率はかえって上昇しました。
FRB の詐欺を公表
1982年6月30日、レーガン大統領は「物価統制についての民間部門調査」、いわゆる「 グレース委員会」を発足させ、民間企業である FRB の「無駄遣い」を調査させました。
その後、1984年1月15日にレーガン大統領に提出された「グレース委員会報告書」は、次のようなものでした。
「連邦政府が納税者から集めたお金の100%は、連邦政府が FRB から借金したお金の返済に回されている。
アメリカ合衆国の全国民からの所得税収入は、そのお金で政府がやってくれると国民が期待していることに、5セントすらも使われないままに、あとかたも無くなってしまうのである」
レーガン大統領は、ついに税収が国民へのサービスに全く使われることなく、すべてFRB 経由でディープステートたちの懐に入っていることに気付き、それを報告書の形で国民に公表したのです。
アメリカ農業組合請求訴訟
しかしこの後、レーガン大統領は、表立って、ディープステートの批判は行っていません。大々的にやると、彼らの抵抗が激しくなることを悟ったのかもしれません。
どうやら裏で手をまわして、司法の場でFRB を糾弾し、誰も気づかないように、NESARA法を成立させてしまう戦略に転じたようです。
そのきっかけとなったのが、アメリカ農業組合請求訴訟でした。
1970年代から、アメリカ中西部で、連邦土地銀行が農民の土地を抵当権を行使して取り上げてしまう事件が頻発していました。これはFRB の承認のもとに行われていました。
1978年、ロイ・シュワシンガーという人物が、亡くなった父親の農地を相続しました。その直後に、連邦土地銀行の職員と連邦保安官が現れ、抵当権を執行するので30日以内に退去するよう告げました。結局彼は父親から相続した土地を取り上げられてしまいます。
おかしいと思った彼は弁護士に相談します。それがホワイトハットの弁護士だったわけです。
調査を進めていくと、彼の父は連邦土地銀行からローンを借りて、農地を購入していました。そのローン規定に、死んだあとは土地を連邦土地銀行に返却するという条項があり、それに基づいて、彼は土地を取り上げられたわけです。
しかしこんな条項は違法、というか、はっきり言って詐欺です。ホワイトハットたちは、レーガン大統領の支持のもと、大量の弁護団を派遣し、この事件をFRB による詐欺事件として、立件していきます。
1982年、シュワシンガーは、上院及び最高裁判所と契約を結び、この詐欺事件の調査を開始します。
その後裁判が開始され、同じ農業組合員で、被害を受けた23人の農民が合流して、集団訴訟が行われます。彼らは次々と勝訴し、連邦土地銀行に損害賠償を払わせる判決が下されていきます。
1990年、シュワシンガーの訴訟は、ついに連邦最高裁に持ち込まれました。判事たちはほぼ全員一致で、シュワシンガーの主張を認める判決を下しました。連邦政府とFRB が、米市民から多額の土地と資産をだまし取っていたことが、白日の下にさらされたわけです。
この判決の結果、被害にあった農民の損害賠償が行われました。それと同時に、再発防止策の一環として、FRB と連邦土地銀行を監視し、その動きを規制するための法律を、議会で通せることになったわけです。
1991年にロイ・シュワーシンガーは上院委員会に出席して銀行と政府の犯罪行為の証拠を提示しました。
そして、1992年、300人の退役軍人と、35人の米軍士官からなるタスクフォースが形成されました。このタスクフォースは政府の役人、議会の役人、判事、及びFRBの職員の調査を担当しました。
NESARA 諸法の隠密裏の議会通過
この裁判と同時に、ホワイトハットたちは、NESARA諸法の条文化を進めていきました。この作業を行ったのは、ハーベイ・バーナード博士という人物です。
彼は、従来の銀行ローンが必要以上の金利をとってしまっていることに気づき、ローンの計算式の修正を行いました。
それと同時に、コンピューター・ブロックチェーンによる通貨管理や、ベーシックインカムの実施、ローンの一部免除などの諸法案を策定し、その法案群に、NESARA (National Economic Stabilization and Reformation Act)と名付けました。
バーナード博士のNESARA 諸法は、100以上の法案からなる200ページ以上の分量を持つ法律群でした。
ホワイトハットたちは、このNESARA 諸法を一本ずつ分割し、名称を変更し、先に挙げた農業組合請求訴訟の、最高裁判決に基づく、改革法の名目で、議会を通過させていったのです。
この時大統領はすでに、ビル・クリントンに代わっていました。クリントン大統領は言わずと知れた、ディープステートの大幹部です。
アメリカでは法律の制定にあたり、議会で可決された後に、大統領の署名が必要です。
しかし、最高裁判決に基づく、改革法であれば、サインしないわけにはいきません。
このような形で、90年代を通じて、クリントン大統領の目を盗んで、少しずつ、次々とNESARA 諸法が、隠密裏に議会を通過していきました。
全部通過した後、同時に執行すれば、NESARA が発動するという仕掛けです。なかなか雄大な作戦ですね。
ディープステートの対応
しかしディープステートもバカではありません。90年代後半になると、ついに彼らは、ホワイトハットのこの計画に気づいてしまったようです。
NESARA 諸法もあと3~4本で、すべて通過というところで、クリントン大統領は、ついに署名を拒否します。
この時の模様は、後に、シャイニー・グッドウィンという名の女性ジャーナリストがリークしています。
彼女は当時、アメリカ海兵隊の大尉でした。
ホワイトハットの意を受けた、上述のタスクフォースのメンバーが、ホワイトハウスに侵入し、クリントン大統領を取り囲み、最後のNESARA 諸法へのサインを迫りました。
グットウィン氏は、この時クリントン大統領にサインを迫ったタスクフォースの一人として、この現場にいたそうです。
結局クリントン大統領は、サインをし、西暦2000年の時点で、すべてのNESARA 諸法がアメリカ議会を通過したそうです。
ディープステート大幹部を脅迫するとは、相当のものですね。
ちなみに、グッドウィン氏によると、この背景には、地球外生命体による圧力もあったそうです。
彼女によると、NESARA 諸法は、このままでは地球が破壊されてしまうことを危惧した、善なる宇宙人によって作られた法であるそうです。
NESARA は2つある?
グッドウィン氏は、1990年、自らのサイトに、NESARA (National Economic Security And Reformation Act)諸法を記載し、公表しています。
これはバーナード博士のNESARA とほぼ同じ内容ですが、英語の表記が異なっています。
バーナード博士のはNESARA は、Stabilization and Reformation だったのが、グッドウィン氏のNESARA はSecurity And Reformation になっていますね。
現在でもこの2人は、自分のNESARA こそが本当のNESARA だと、論争を続けています。
はたから見ると、どっちでもいいですね。内容はほとんど変わりませんから。
ちなみにNESARA の日本語訳の「国民経済安全保障改革法」は、グッドウィン氏の表記に基づいているようです。
私は、先にNESARA を提唱した、バーナード博士に敬意を表し、National Economic Stabilization and Reformation Act の方を採用させていただいています。
物理的破壊によるNESARA 導入の阻止
その後も紆余曲折を経て、2001年、ついにNESARA 発動の準備が整いました。
NESARA の運用には、コンピューターのブロックチェーンシステムが必要です。多数のコンピューターによって、取引を相互監視させるシステムですね。
この時はニューヨークの世界貿易センタービルの2階と3階の2つのフロアに、数千台のコンピューターが並べられ、ブロックチェーンを形成していました。
バックアップシステムとして、国防総省(ペンタゴン)にも、数百台のコンピューターが並べられ、サブシステムを形成していました。
当時の大統領は、ジョージ・ブッシュです。彼も言わずと知れたディープステート幹部ですね。
2,001年9月11日午前10時、ブッシュ大統領の経済改革実行の演説と同時に、NESARA は発動することになっていました。
ブッシュ大統領は、このNESARA 発動を、世界貿易センタービルと国防総省のコンピューターブロックチェーンを、物理的に破壊することによって阻止します。
それが911、アメリカ同時多発テロ事件です。
NESARA/GESARA 7 ロナルド・レーガン大統領の雄大な戦略。第2回NESARA 導入の試みは軍と裁判所を用いて行われた!?
NESARA/GESARA
レーガン大統領が気づいた真実
ケネディ大統領暗殺後、しばらくディープステートもしくはその傀儡の大統領が続き、ディープステートたちは着実にその勢力を伸ばしていきます。
ケネディ以後、初めてディープステートの企てに異議を唱えたのは、第40代大統領、ロナルド・ウィルソン・レーガンです。
f:id:shunsasahara:20201101183225j:plain
レーガンは、ご存じの通り、ハリウッドの俳優出身の大統領です。彼は元俳優の抜群の知名度を武器に、1980年、民主党の現職、カーター大統領を破って大統領選に当選しました。
レーガンの場合は、政治にあまり詳しくない状態で大統領に就任したため、ディープステートの存在と彼らによる支配を知ったのは、大統領就任以後のことと思われます。
現在と違って、当時のハリウッドはまだディープステートに占有されてはいなかったようですね。
レーガン大統領は、1980年の大統領選の際、デヴィッド・ロックフェラーとズビグニュー・ブレジンスキーが設立した「三極委員会」から送り込まれた者たちが、カーター政権の要職を19も独占していたことを指摘して、
「三極委員会は国際銀行業、多国籍企業などの利益のためだけに存在する集団である」
とカーター大統領を痛烈に批判しました。しかし結局、レーガンは大統領に当選したあと、自らの政権の10の要職に「三極委員会」のメンバーを送り込まれてしまいます。
この時点で彼は、ディープステートの隠然たる力の強さに気付いたようです。
そこからのレーガンの状況把握は素早いものでした。彼はあっという間に、FRB による詐欺行為、ディープステートによる通貨発行権の横取りに気付いてしまいます。
こうなるとディープステートがやることは一つしかありませんね。
レーガン大統領暗殺の企て
1981年3月30日、レーガン大統領はワシントンD.C.で銃撃されました。犯人は、ジョン・ヒンクリーという人物です。
ヒンクリーはレーガン大統領が車から降りた直後に、彼の前に立ちはだかり、手に持ったレボルバーから、弾丸6発を発射しました。ヒンクリーはその場で取り押さえられました。
f:id:shunsasahara:20201101183503j:plain
レーガン大統領銃撃直後の現場のようす
この模様はテレビで生中継されており、世界中に向けて、大統領が銃撃されるシーンが発信されました。
大統領には2発の弾丸が命中し、そのうち一発は心臓をかすめていました。大統領は病院に運び込まれ、弾丸の摘出手術が行われました。
手術は成功し、レーガン大統領は公務に復帰しました。危機においても余裕を失わない精神的な強靭さと、撃たれた直後もジョークを飛ばすユーモアが評価され、彼の支持率はかえって上昇しました。
FRB の詐欺を公表
1982年6月30日、レーガン大統領は「物価統制についての民間部門調査」、いわゆる「 グレース委員会」を発足させ、民間企業である FRB の「無駄遣い」を調査させました。
その後、1984年1月15日にレーガン大統領に提出された「グレース委員会報告書」は、次のようなものでした。
「連邦政府が納税者から集めたお金の100%は、連邦政府が FRB から借金したお金の返済に回されている。
アメリカ合衆国の全国民からの所得税収入は、そのお金で政府がやってくれると国民が期待していることに、5セントすらも使われないままに、あとかたも無くなってしまうのである」
レーガン大統領は、ついに税収が国民へのサービスに全く使われることなく、すべてFRB 経由でディープステートたちの懐に入っていることに気付き、それを報告書の形で国民に公表したのです。
アメリカ農業組合請求訴訟
しかしこの後、レーガン大統領は、表立って、ディープステートの批判は行っていません。大々的にやると、彼らの抵抗が激しくなることを悟ったのかもしれません。
どうやら裏で手をまわして、司法の場でFRB を糾弾し、誰も気づかないように、NESARA法を成立させてしまう戦略に転じたようです。
そのきっかけとなったのが、アメリカ農業組合請求訴訟でした。
1970年代から、アメリカ中西部で、連邦土地銀行が農民の土地を抵当権を行使して取り上げてしまう事件が頻発していました。これはFRB の承認のもとに行われていました。
1978年、ロイ・シュワシンガーという人物が、亡くなった父親の農地を相続しました。その直後に、連邦土地銀行の職員と連邦保安官が現れ、抵当権を執行するので30日以内に退去するよう告げました。結局彼は父親から相続した土地を取り上げられてしまいます。
おかしいと思った彼は弁護士に相談します。それがホワイトハットの弁護士だったわけです。
調査を進めていくと、彼の父は連邦土地銀行からローンを借りて、農地を購入していました。そのローン規定に、死んだあとは土地を連邦土地銀行に返却するという条項があり、それに基づいて、彼は土地を取り上げられたわけです。
しかしこんな条項は違法、というか、はっきり言って詐欺です。ホワイトハットたちは、レーガン大統領の支持のもと、大量の弁護団を派遣し、この事件をFRB による詐欺事件として、立件していきます。
1982年、シュワシンガーは、上院及び最高裁判所と契約を結び、この詐欺事件の調査を開始します。
その後裁判が開始され、同じ農業組合員で、被害を受けた23人の農民が合流して、集団訴訟が行われます。彼らは次々と勝訴し、連邦土地銀行に損害賠償を払わせる判決が下されていきます。
1990年、シュワシンガーの訴訟は、ついに連邦最高裁に持ち込まれました。判事たちはほぼ全員一致で、シュワシンガーの主張を認める判決を下しました。連邦政府とFRB が、米市民から多額の土地と資産をだまし取っていたことが、白日の下にさらされたわけです。
この判決の結果、被害にあった農民の損害賠償が行われました。それと同時に、再発防止策の一環として、FRB と連邦土地銀行を監視し、その動きを規制するための法律を、議会で通せることになったわけです。
1991年にロイ・シュワーシンガーは上院委員会に出席して銀行と政府の犯罪行為の証拠を提示しました。
そして、1992年、300人の退役軍人と、35人の米軍士官からなるタスクフォースが形成されました。このタスクフォースは政府の役人、議会の役人、判事、及びFRBの職員の調査を担当しました。
NESARA 諸法の隠密裏の議会通過
この裁判と同時に、ホワイトハットたちは、NESARA諸法の条文化を進めていきました。この作業を行ったのは、ハーベイ・バーナード博士という人物です。
彼は、従来の銀行ローンが必要以上の金利をとってしまっていることに気づき、ローンの計算式の修正を行いました。
それと同時に、コンピューター・ブロックチェーンによる通貨管理や、ベーシックインカムの実施、ローンの一部免除などの諸法案を策定し、その法案群に、NESARA (National Economic Stabilization and Reformation Act)と名付けました。
バーナード博士のNESARA 諸法は、100以上の法案からなる200ページ以上の分量を持つ法律群でした。
ホワイトハットたちは、このNESARA 諸法を一本ずつ分割し、名称を変更し、先に挙げた農業組合請求訴訟の、最高裁判決に基づく、改革法の名目で、議会を通過させていったのです。
この時大統領はすでに、ビル・クリントンに代わっていました。クリントン大統領は言わずと知れた、ディープステートの大幹部です。
アメリカでは法律の制定にあたり、議会で可決された後に、大統領の署名が必要です。
しかし、最高裁判決に基づく、改革法であれば、サインしないわけにはいきません。
このような形で、90年代を通じて、クリントン大統領の目を盗んで、少しずつ、次々とNESARA 諸法が、隠密裏に議会を通過していきました。
全部通過した後、同時に執行すれば、NESARA が発動するという仕掛けです。なかなか雄大な作戦ですね。
ディープステートの対応
しかしディープステートもバカではありません。90年代後半になると、ついに彼らは、ホワイトハットのこの計画に気づいてしまったようです。
NESARA 諸法もあと3~4本で、すべて通過というところで、クリントン大統領は、ついに署名を拒否します。
この時の模様は、後に、シャイニー・グッドウィンという名の女性ジャーナリストがリークしています。
彼女は当時、アメリカ海兵隊の大尉でした。
ホワイトハットの意を受けた、上述のタスクフォースのメンバーが、ホワイトハウスに侵入し、クリントン大統領を取り囲み、最後のNESARA 諸法へのサインを迫りました。
グットウィン氏は、この時クリントン大統領にサインを迫ったタスクフォースの一人として、この現場にいたそうです。
結局クリントン大統領は、サインをし、西暦2000年の時点で、すべてのNESARA 諸法がアメリカ議会を通過したそうです。
ディープステート大幹部を脅迫するとは、相当のものですね。
ちなみに、グッドウィン氏によると、この背景には、地球外生命体による圧力もあったそうです。
彼女によると、NESARA 諸法は、このままでは地球が破壊されてしまうことを危惧した、善なる宇宙人によって作られた法であるそうです。
NESARA は2つある?
グッドウィン氏は、1990年、自らのサイトに、NESARA (National Economic Security And Reformation Act)諸法を記載し、公表しています。
これはバーナード博士のNESARA とほぼ同じ内容ですが、英語の表記が異なっています。
バーナード博士のはNESARA は、Stabilization and Reformation だったのが、グッドウィン氏のNESARA はSecurity And Reformation になっていますね。
現在でもこの2人は、自分のNESARA こそが本当のNESARA だと、論争を続けています。
はたから見ると、どっちでもいいですね。内容はほとんど変わりませんから。
ちなみにNESARA の日本語訳の「国民経済安全保障改革法」は、グッドウィン氏の表記に基づいているようです。
私は、先にNESARA を提唱した、バーナード博士に敬意を表し、National Economic Stabilization and Reformation Act の方を採用させていただいています。
物理的破壊によるNESARA 導入の阻止
その後も紆余曲折を経て、2001年、ついにNESARA 発動の準備が整いました。
NESARA の運用には、コンピューターのブロックチェーンシステムが必要です。多数のコンピューターによって、取引を相互監視させるシステムですね。
この時はニューヨークの世界貿易センタービルの2階と3階の2つのフロアに、数千台のコンピューターが並べられ、ブロックチェーンを形成していました。
バックアップシステムとして、国防総省(ペンタゴン)にも、数百台のコンピューターが並べられ、サブシステムを形成していました。
当時の大統領は、ジョージ・ブッシュです。彼も言わずと知れたディープステート幹部ですね。
2,001年9月11日午前10時、ブッシュ大統領の経済改革実行の演説と同時に、NESARA は発動することになっていました。
ブッシュ大統領は、このNESARA 発動を、世界貿易センタービルと国防総省のコンピューターブロックチェーンを、物理的に破壊することによって阻止します。
それが911、アメリカ同時多発テロ事件です。
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