北朝鮮の真実4 畑中理は、金日成によって殺された!? 隠密裏に行われた王朝交代の謎。
北朝鮮と韓国
残地諜者が建国した北朝鮮は、本国日本が倒れた後、朝鮮半島に、第2の大日本帝国の建設を目指しました。
欧米諸国のディープステートたち(当時は「国際金融資本」と呼ばれていました)の手から、植民地諸国を開放し、陰ながら日本を助け、いざとなればアメリカとふたたび戦う、という使命を胸に、国家としての北朝鮮を発展させていこうとしていたのです。
これに対して韓国は、建国時点ですでに、ディープステートの支配下に置かれていました。
初代大統領の李承晩がそもそも、イルミナティ13血流のひとつ、李家の出身であることはすでに述べたとおりです。
大韓民国は、大東亜戦争による日本の活躍で、解放された植民地を、再び占領し、朝鮮半島全域をディープステートの支配下に置き、ややもすれば、日本本土の領地をかすめ取るために、DS によって、建国された国家なのです。
その韓国による、対馬・壱岐・九州占領の企みを防ぐために、朝鮮戦争が行われたというわけです。
残地諜者は買収できない
しかし、そんな北朝鮮に対しても、ディープステートは手を伸ばし、いつものように金や女性で誘惑し、弱みを握って脅しをかける試みがなされました。
他の国ではこれはとても有効で、日本本国の政治家や企業経営者、芸能人なども軒並み陥落してしまったのは、みなさんご存じのとおりです。
しかし北朝鮮においては、この試みはことごとく失敗に終わりました。
そもそもお金や女性を与えられて、それを受け取って言うことを聞く人というのは、この世界における欲望の充足や、生きやすさを追求している人たちです。
北朝鮮の上層部にいる残地諜者たちは、そんなことには興味がありません。彼らは、日々の仕事に邁進しながら、心の中で、「いつかアメリカを倒し、大日本帝国を復興させてやる、俺はこのミッションに命をささげる」と思っているわけです。
その人たちが、お金や女性のために、自らに与えられた聖なる使命を手放す、ということは絶対ない、というわけです。
他国においてはこのほかにも、地位や名声による誘惑もありましたが、これはすでにディープステートがその国を支配しているからできることです。そもそも上層部にディープステートが入り込めない北朝鮮では、この手は使えません。
結局、北朝鮮は、日本本国を含め、あらゆる国がディープステートの支配下に置かれる中で、ただ一国、ディープステートが全く入り込めない国となったのです。
金王朝内部の確執
朝鮮戦争が始まるころまで、金日成と金策(畑中理)のパートナーシップは盤石でした。
しかし戦争終盤になってくると、この2人の関係がかなり怪しくなってきます。
中国軍の力を借りたとはいえ、北朝鮮軍がアメリカの侵攻を止め、これを追い返したという事実は、それを指揮した金日成の、北朝鮮国内における、信頼と名声を頂点にまで押し上げました。
こうなってくると、金日成としては、「もう俺は自力でやっていける」と思うのは人情です。それまで自分をバックアップしてくれた、金策こと畑中理が目障りになってくるわけです。
金策は、朝鮮戦争終結直前の、1951年に死去しました。死因については、北朝鮮当局は「戦死」と発表しました。
のちに刊行された、金日成自伝『世紀とともに』によると、前線指揮の疲労による心臓麻痺だ、とされています。
林隠(許真)の『北朝鮮王朝成立秘史―金日成正伝』によると、朝鮮戦争の責任を擦り付け合った末の、金日成による暗殺とされています。
前後の流れを考えると、やはり、畑中理は、金日成の手によって、暗殺されたと考えるのが妥当でしょう。金日成は、自らの名声が上がった機会に目の上のタンコブの金策を排除した、と考えられます。
畑中理が残した爆弾
しかし畑中もただでは転びません。暗殺された時点で、すでに彼は、のちに金王朝を揺るがす爆弾を仕掛け終わっていたといえます。
その爆弾とは・・・のちに金日成の後継者となる、金正日です。
金正日は1941年2月16日にソビエト連邦の極東地方に生まれました。
出生名はユーリイ・イルセノヴィチ・キム。朝鮮式の幼名は有羅(ユーラ)。これはロシア人名「ユーリイ」に由来しています。
金策は、もともと朝鮮共産党で活動していました。このころから10歳年下の金日成と行動を共にしていたようです。その後、2人は当時まだ地方政党に過ぎなかった、中国共産党に入党して、中華民国政府相手のレジスタンスを展開します。
しかしその後、2人は弾圧をうけて、ソ連に亡命し、ソ連極東軍第88特別偵察旅団に編入されました。当時、金日成は金策の部下で、この旅団にはのちに金日成の妻となる金正淑(金正日の実母)もいました。
1941年1月から6月のあいだに、金策と金日成と金正淑とは同じ野営で暮らしていたようです。そのときに金策と金正淑との間にできた子が、金正日だということらしいです。
その後、金正淑は金日成と結婚しますが、その時、おなかに上司の子供を宿したまま結婚したということのようです。
金正淑には5人の子がいますが、金日成は、明らかに自分の子であることが分かっている次男の金万一をかわいがり、この子に自分の跡を継がせたかったようです。
しかし、金策存命中は金策自身の目があり、死亡後も、北朝鮮上層部に残る残地諜者たちの監視がありましたので、金正日を無碍に扱うことはできませんでした。
隠密裏に行われたクーデター
金正日は、いちおう1972年の時点で、残地諜者たちの支持を受け、次期指導者に内定していました。
しかし彼の後継者としての地位は、盤石とは程遠いものでした。
当時は北朝鮮建国に携わっていた残地諜者たちは数少なくなっており、中国の支持を受けた朝鮮人の官吏たちや、アメリカCIA のスパイたちも、北朝鮮内を跋扈するようになっていました。
王朝内で、親中派の金日成と、親日派の金正日親子の確執は激しくなり、様々な派閥抗争が行われていたようです。
金日成は、1994年に死去しました。その後、北朝鮮内で、金正日が、権力を継承したという報道はなされましたが、長い間金正日は、国際社会にその姿を見せることはありませんでした。
1997年から2000年にかけて、北朝鮮では「深化組事件」と呼ばれる大量粛清事件が発生します。これは金正日が、父である金日成時代の古参幹部、その側近及び家族たちを徹底的に粛清したという事件です。
この粛清が終わった、2000年5月、金正日は北京を訪れ、江沢民主席と会談を行って、初めて北朝鮮の指導者として国際舞台に姿を現します。
金日成の死は、公式には心臓麻痺とされています。しかし当時から、金正日に殺された、とか、金正日が電話をかけて金日成を罵倒し、ショックで心臓マヒを起こした、とかいう説がささやかれています。
わたしは、金日成の死は、残地諜者の支持を受けた金正日のクーデターであったと考えています。
金日成の死後は、北朝鮮国内で親中派と親日派の抗争が激化し、結局親日派が親中派を一掃し、再び残地諜者の手に、北朝鮮の統治権を戻したのが、深化組事件であったということです。
何はともあれ、クーデターは隠密裏に実行され、その結果、北朝鮮には、畑中理を父とする、日本人の金正日を指導者とする王朝が、成立したというわけです。
日本人の王が統治した国
実は、朝鮮半島に日本人を王とする王朝が成立したという事例は、過去にも一度あったのです。それは、統一新羅です。
歴史の教科書で、こんな感じの地図を見たことありませんか?これは5世紀後半の朝鮮半島の地図です。
地図中で倭となっているのはもちろん日本、伽耶(任那)というのは、朝鮮半島における日本領です。
この後、新羅が伽耶を併合し、高句麗、百済、新羅の三国による血みどろの争いが展開されますが、結局唐と組んだ新羅が百済と高句麗を滅ぼし、676年、朝鮮半島を統一します。
新羅の建国者は朴赫居世(ぼく かくきょせい)です。2代南解次王の時の大輔(首相兼軍司令官)が昔脱解(せき だっかい)という人物で、この人物が日本出身(但馬か丹波)とされています。
その後、新羅で王朝交代が起こり、この昔脱解が4代目の国王となります。新羅では、17代目でもう一度王朝交代が行われ、奈勿王とよばれた金閼智が即位しますが、彼も脱解の庶子の子孫とされているので、やはり日本人です。
結局新羅は、王朝交代によって4代目の王から日本人となり、そこから56代敬順王まで、すべての王が日本人だったわけです。
新羅の指導部は、基本的に親日で、迫りくる唐の脅威から、日本を守ってくれました。
しかし肝心の日本の方はといえば、新羅に滅ぼされた百済の勢力が増大し、百済系の藤原氏によって、朝廷が乗っ取られてしまっていました。
結局日本は、新羅を敵視し、最後は新羅を見捨ててしまいます。
朝鮮半島では892年に後百済、901年には後高句麗が建国され、新羅の領土は削られていき、滅亡への道を歩んでいきました。
幸いなことにこの時は、唐の国内に黄巣の乱が発生していて、対外進出どころではなかったので事なきを得ました。
しかし、新羅の国力がもう少し早く衰えていたら、日本本土が唐の侵攻にさらされていたかもしれない、危うい状態でした。
ちなみに百済は、ツングース系扶余族、現代の韓国は新羅系の韓族で、民族系統は全く別です。
歴史は繰り返す?
現代の日本と北朝鮮の関係は、かつての日本と新羅の関係にそっくりです。
日本人の指導者が治める朝鮮半島の北朝鮮が、日本のために一生懸命頑張っていますが、肝心の日本の指導部は、中国や韓国の勢力に乗っ取られ、これを敵視し、見捨てようとしています。
このまま北朝鮮が滅びてしまった場合、果たして中国の侵攻を抑えることができるのでしょうか。
歴史は繰り返す・・・ことにならなければよいのですが。
0 件のコメント:
コメントを投稿