2017年8月12日土曜日

佐渡真明座の山椒大夫を見て

6日に県立歴史博物館で山椒大夫の母子対面の段を見てきた。

山椒大夫と言えば、郷里の福島県とここ新潟県との縁があって興味をそそられたのである。

前段で越後瞽女唄葛の葉会による舟別れの段の語り。
安寿と厨子王が売られて行った先、山椒大夫の屋敷が丹後由良の里であるということに初めて気づいた。探していたものが一つ目の前に現れたのである。
由良の古代豪族は目下の興味の向く所なのである。

博物館ではもう一つの出会いが待っていた。

国土交通省の技術者であった長野正孝氏の、古代史の謎は海路で解ける、という本である。最初の段に丹後半島を舟で横断する道の話が書かれていた。

京から由良に抜ける古代ルートは知っていたのだが、由良から出雲に行く舟の道があったのである。しかも、その途中には巨大古墳群。
赤坂今井墳丘墓もこのルート上にあるのである。

今、胸の高まりを感じている。

0時40分又々蜂刺され 4

読書しながら眠るのはとっても気持ちがいい。
いい夢も見れる。

手に何かが触れたのを思わず握ってしまったのは睡魔のせいだ。
刺された所が薬指の付け根と成っては、ポイゾンリムーバーも効かない。
一応何度か挑戦したが無理。
ここでのマイセオリーは、気力で乗り切り、経過をよく観察する事だ。

とりあえず、あれから30分。
幹部の周辺直径2センチに腫れが出たが、他に異常なし。
7日に刺されたの場所は、同じ左手の腕で今回の場所から25センチの肘の近くで、うっすらと腫れが残っている。

部屋中央の蛍光灯下に蜂が8匹転がっていたのでガムテープで処理したが、結局13匹で一段落です。僕の体調も変わりなく、雨が激しくなってきたので〔関係ないって〕寝てしまおうかな。50分経過でも異常ないしね。



2017年8月11日金曜日

ヤンキー Go Home

秋の米韓合同演習始まる。
公海上なら何でも許されると思っているらしい。
米軍にとって公海とは米軍の制空権が確立した場所と思い込んでいるようだ。

かつてわが国でも、ABCDラインとか言って勝手に人の庭先を完全封鎖し、買い物もできない状態にされたことがある。
あの時は、彼らの術中にはまって真珠湾までのこのこ遠征し、手痛いしっぺ返しに遭っている。
アメリカの西部劇をはじめとする戦争映画を見れば、ワンパターンのアクドイ企みが手に取るようにわかる。
ただし、今までのところ「正義の味方手」のご登場は現実歴史上は存在しない。現実の歴史はすべてギャング側が勝利している。何しろあの国はゴッドファーザーの国なのだから。アメリカ魂があるとすれば、「なんでも奪ってしまえ」であり、「駅馬車強盗が最も儲かる」なのだ。建国以来これ以外の歴史はほかにない。

そのアメリカに玄関先でドンパチ脅かされているのが北朝鮮。見て見ぬふりをするどころか、ギャングの尻馬に乗ってきゃんきゃん騒いでいるのが、恥ずかしながらわが国の現状だ。

どんなことをしても生き残れ、というのが西欧流だとすれば、東洋流は、渇しても盗泉の水を飲まずであろう。会津の言葉でいえば、『ならぬことはならぬものなのです』.ということだ。

さて、アメリカはコロンブス以来インドの地を目指して遮二無二西進し、すべての国、すべての民族を平定してきたが、いよいよアジア大陸に迫ろうとして150年。

わが日本は、極東の国、日出づる国と思ってきたが、どうやら、もっと東から来たバケモノには手が出ないようだ。
北朝鮮様にはかつての白村江での実績もある。
どうか青い目のギャングたちを上陸させないで追い返してほしいものです。

アメリカという国は、狙った獲物は決して逃さず、すべて皆殺しにする、そういう人々の国なのですから。

忘れるな忘れるな、アヘン戦争を忘れるな。
西からの敵は西に、東からの敵は東に、それぞれの故郷に帰っていってほしいと願っています。

2017年8月7日月曜日

また ミツバチに刺されました

この家の二階に僕は住んでいるわけですが、天井板は古くなって隙間もできているらしく、毎晩ミツバチの訪問があります。妻は母の看取り介護のため下階にいるので一人寝だからできるのですが、実は、寝るときは裸族です。

先日、ミツバチに刺されて救急搬送されて医師の手当てでひどい目に遭いそうになってから丁度1か月ですね。さっき又刺されました。1時間くらいになりますが、全然平気で、アナフィラ何とかの兆候も何もありません。刺された所は蚊のときみたいに跡がありますが、他は何もないです。あ、刺されて20分後に灯りの下でよく見たら針が残ってたので取ったけどね。

我が家のミツバチの活動時間帯はこんな丑三つ時みたいな時なんですかねえ? 前回も同じ午前1時ごろだったのですよ。

半年ほど前から、明け方から午前中くらいの時間にお尻の周りなどに蕁麻疹が出るようになっていたのが、1か月前の蜂刺され事件以来嘘のように治ってしまったのですが、1週間ほど前から、またボチ少し蕁麻疹が出るときもあり、「また、今度は痛くなく刺して欲しい」と内心願っていたのですが、さっき、晴れて念願成就というわけです。元通りの健康体回復になれば願ったり叶ったりです。

ただ、あんまりたくさん刺されては痛さも気が気でないので、蜂ジェットとハエタタキは準備しました。さっき5匹ほど殺処分しました。

それではおやすみなさい。

2017年7月16日日曜日

蜂に刺されて2 

前稿の「事件」からちょうど1週間である。
ボンは至ってピンピンしているどころか…!!!

この半年患っていた腰周辺の蕁麻疹が消えた。
長年気になっていた後頭部の首筋のぶつぶつも消えた。
もちろん、刺された腫れは引いている。

たとえ一時的にせよ、意外な効果が確認できた。
そして、蜂刺されの騒動と、周囲からのエピペンの勧めが絶えないものの、蜂毒に対する恐れが心の中から消えてしまった。
蜂は僕らを守ってくれている。

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7月から、ここ、妻の実家に正式に住民票移動した。
築90年近い「古民家」で、修復らしい修復、リフォームらしきものはあまりしていない。

僕の部屋は2階なのだが、天井裏に何があるのか、怖くて覗きにいけないところだ。
1箇所換気口があってそこから、ミツバチ、スズメバチが出入りしていた。

3-4年前、就寝中に一度ミツバチに刺されたことがある。
妻との格闘中に、通称アリの戸渡といわれる秘所を一撃されたのだ。
その時は刺された痛みだけで済んだ。

それ以来、換気口はガムテープで蓋をしている。
季節によってはカメムシが相当入ってくるので、蚊帳の中に寝ることが多かった。
義母の介護が始まって妻が階下で義母の面倒を見るようになり、蚊帳を外しての一人寝が始まったのは1年前である。

それでも、天井板の隙間からか、ミツバチは時々闖入するし、スズメバチが入ってきたことも2度ばかり。以来、蜂ジェットはこの部屋の常備品である。

実は今朝の4時に目を覚まして明かりをつけたら、畳の上にミツバチが2匹転がっていた。
黙って片付けたが、怖いとは思わない。尤も、67年も生きてきたのだし、或る日突然コロッと逝ってしまうのなら、ある意味願ったり叶ったりでもある。
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この一連の事件から、僕は「自然界の治癒力」---日本蜂針療法研究会・太田/鳥居著を買って読み、スズメバチは益虫であるとの主張をしている日本スズメバチ研究所の意見も読ませてもらった。蜂は地球の生物界の守り神だ。
頭の中を、ジュリアン・ブリームの熊蜂の飛行の名演奏が騒がしくよぎっていく。

田舎のここでは、僕の蜂刺され救急搬送事件は、集落中誰一人知らない者はいない。
(救急車が来たときは、当日看取りのために退院してきた義母に何かがあったのではないかと思われたそうな)

2017年7月11日火曜日

蜂に刺されて

昨夜0時過ぎ、うとうとして寝付いたばかりの僕の右足先を、蜜蜂らしきものが襲いました。
寝入りばななのでもう一方の足でこすって寝たのですが、やがて全身痒くなり、身体中が蕁麻疹になってしまいました。

一度妻にかゆみを訴えたのですが、為すすべもなく、我が部屋に帰ろうとしたんですが、かゆみが頭部全体にまで達して、とうとう階段下に倒れこんでしまったのです。

刺されてから30分位だと思います。
慌てて妻に救急車を呼んでもらいました。

でも、救急車が来た時には、かなり状態が回復していました。
病院までの20分も、落ち着いて過ごすことができました。

救急隊員の人から、2度目が怖いから検査を受けてエピペンを備えて用心すべきであると言われました。

病院に着いて医師の問診と診察を受けるまでは、事態は全て解決したかに思いました。

念のため点滴をしておきましょうね。

ところが、、、、、、!

点滴が始まったと思ったら、突然僕の体が痙攣を起こし始めたのです。
全身がガタガタ震え出し、どんどん激しくなります。
医師は血液検査をしたいから採血をすべきだと僕に言います。
僕は採血を拒否し、点滴を直ぐに外すよう頼みました。
医師と看護師は口々に、こんな患者は初めてだ、きっと注射恐怖症なんだろう、などと言いながら、なかなか応じてくれませんでしたので、終いに僕は断固として言いました。

採血はしない、点滴は外せ、僕は帰る。と。

妻の従兄弟が来てくれていたので、一緒に帰りました。

今、私は思います。
あの解毒剤なるものこそが、危ないのではないかと。
こうして僕は一命を取り留めたのです。

蜂に刺されてから、今現在で23時間になります。
左足はまだ赤く腫れていますが、もう大丈夫です。

妻が言います。エピペンを貰っておくべきだと。
僕は思います。貰ったら直ぐに捨てよう、と。

2017年7月10日月曜日

看取り介護

四月に義母の老衰激しくなり、職場を離れることになった。

妻の実家に義母は名目上一人暮らし。その家で事実上の面倒を見ることになった。
そうなって見ると、荒れ果てた畑、老朽化した家屋がそこにはある。

5月の山菜採りは楽しいものであった。
その後の畑の開墾は、キツイけれど、生活感が充実していた。

畑の種蒔きから一部の収穫が始まった頃、95歳になる義母は食が進まなくなってきて、とうとう入院を余儀なくされた。医師の見立ては老衰。
お盆まで頑張れるどうかと言われた。

今日 その義母が35日ぶりに退院して来た。
老衰は治療を必要とする病気ではないのだ。

これから、新たな闘いが始まるのだ。