2013年3月14日木曜日

大隅から指宿へ

福島から西都市まで行程は2000kmになっていた。
6日目である。

実は、出発時の2月15日には、「1週間か10日かな?」 と妻? に言って出た。
途中から、2月いっぱい!!! に変更になったのだが、そのことは知らせていない。

とにかく今日はなんとしても指宿まで行く。
フェリーの時刻も調べた。

宮崎に来たら、シーガイアくらいは見ておくべきだろうということで、向かったら、例の侍ジャパンやら読売ジャイアンツ軍のキャンプしている宮崎球場の前を通った。


さらに進むと、巨人軍の宿泊所を通り過ぎた。
ちなみに、シーガイアはソフトバンクの選手村になっていた。


シーガイアを通り過ぎると、新婚さん憧れの青島だ。
小さな島巡りのスクーターが待っていた。
無論僕らはお呼びでないし。


青島からシーガイアはすぐ近くに見える。


今日の僕たちの最大の関心事は、「何時に指宿に着けるのか」だ。
都城の駄々広い平地を通り過ぎ、大隅半島をひたすら南下する。
途中、どこで昼飯を食って、何を見てきたのかすら覚えていないくらいだ。

都城から根占港までは結構ある。
でも、揖宿行最終便には余裕で間に合った。
流石に九州も最南端まで来たものである。
道端では菜の花と桜が咲き競っていた。


目指すは対岸に開聞岳がそそり立って見える薩摩半島は指宿温泉。
僕たちはようやくたどり着けるのだ。砂蒸しも入りたいし・・・。
行く手の太陽が眩しい。


湾内から北に目をやると、桜島が噴煙をたなびかせていた。
大隅半島の道中、中国からのPM2.5のせいかなと思っていたのは、当然、この噴煙のせいであった。噂には聞いていたが、すごいものである。


指宿に近づくと、海浜集落からはごらんのように煙がたなびいている。
これは、鰹節工場のものと思われます。


最南の地でふたたび焼肉食べようということになり、ホテルの近くに焼肉屋さんを見つけてそこに入った。
新潟の家内に居場所報告をしたらメールが帰ってきた。
「こちらは今日だけで1mも雪が降ってひどく難儀しているのに、あなたは南国で焼肉ですか。離婚しましょ!!!」

さあ、それから大騒ぎです。
菅野さんは、すぐに飛行機で帰るとか、とにかく旅行を引き上げるべきだと言います。
僕は「だいじょうぶだよ」と言います。

いずれにせよ、もう砂蒸しどころの状態ではありません。


翌朝になり、結局二人で淡路島の久保さんに会ってから帰ることに決まりました。
これから2千km、大返しの始まりでした。



高千穂---神話の里

竹田市から高千穂に向かう道路は狭い山道である。雪道注意だが、携帯電話は使えるらしい。


高千穂でまず目についたのがトンネルの駅。
昔は鉄道が通っていて、その時のトンネルが地元の醸造元の貯蔵庫になっている。
手前には樽酒、奥の方には瓶も置いてあるそうな。
10年以上寝かせるらしいです。


高千穂に行ったら誰でも見てこなければならないのが、真名井の滝。
向こうの橋から回ってカメラを構えたら、Σ(゚д゚lll)
なんと、滝の色がこのように美しく・・・・
素晴らしい。


帰りは当然天の岩戸を見てこなければと思い、タヂカラオノミコトが大岩、天戸開きをしている天の岩戸を見てこなくっちゃ。


ただし、アナテラスがお隠れになった天の岩戸は、非公開で、我々が見ることができるのは、アマテラスをなんとかこの世に戻そうと、神々が談合したと言われる岩屋である。
ナルホドナルホド


 この日は神々の住まう高千穂をめぐっての一日が心地よく過ぎていった。
神々のふるさとは、未だに神々が住んでいるかのようであった。
僕たちは西都市まで降りてきて宿をとることにした。

聞くと、西都市にはホテルは一軒しかないそうな・・・。
部屋は取れた。
来てみたら、折しも野球球団やサッカーチームが宮崎でキャンプの真っ最中。
このホテルにも、どこかのサッカーチームが合宿していた。


2013年3月8日金曜日

衝撃の阿蘇ファームランド

旅行は既に4日目です。
下関から九州に渡るため、古いながら関門トンネルを通ることにしました。
九州に着いてから、改めて「どこに行こうか」ということになり、当初は各県1日当てればいいとの考えから行先未定だったのですが、急遽「阿蘇」に行こうということになりました。全くいい加減なものです。

阿蘇に行くためには熊本から登るのが良いということで、阿蘇道路の入口にある道の駅大津に立ち寄ることにしました。


折しも2月中旬は果物の宝庫熊本のまさに旬の季節。
その中でもあまーい甘いデコポンがありました有りました。
僕はひと箱買って新潟に送りました。
菅野さんはなんか大量に買い込んでいました。
とにかく甘くて美味しいのです。

ところで、段々昼ごはん時が近づいてきて、どこかで焼肉でも食べようかな・・・・
道路端に「阿蘇ファームランド」なる看板があったので、そこならきっと焼肉にありつけるはず、、、早速電話番号を調べて連絡したらオーケーとのこと。
よし!!!  3束本場九州の肉が食えるぞーーー!!

阿蘇ファームランドはこんなところでした。思ったよりでかーい施設のようです。
以下、この施設の説明には、当該ホームページに掲載されている写真を借用しました。
http://www.asofarmland.co.jp/index.php


来てみてびっくりです。
はじめは宿泊者専用駐車場に入ってしまい、レストランの入口を教えてもらい、阿蘇きのこ亭の駐車場に行きました。でも、きのこ亭でやっているのはステーキとかで、焼肉ではありません。
聞くと、ショッピングゾーンや体験ゾーン、温泉施設などなどをはるかに歩き、宿泊フロント近くのレストラン棟まで歩く羽目になりました。

途中様々なゾーンを通り抜けて焼肉ハウスにたどり着いたときは、二人して口をあんぐり開けていました。

ちなみに宿泊ゾーンは下の写真のようなドーム型の宿泊施設が無数に立っています。


温泉施設入り口はこんな感じです。

こちらが、阿蘇きのこ亭入口です。


ようやくたどり着いた焼肉です。牛、豚、鶏の三種のお肉と野菜をジンギスカンなー゜風の特製鍋で煮焼きしていただくのです。
鍋の真ん中が盛り上がっていて、お肉はここで焼きます、
その周りにお好みのスープを入れて野菜を煮炊きします。
これが絶品なんだなぁ。
阿蘇に来てほんとによかった。

そして、ここから物語が始まりました。



ここのレストランは、写真のような和風スタイルと、右に写っているらしい洋風のエリアがあります。
とっても広くて、清潔です。
僕たちは時ならぬ客だったらしく、(ラストオーダーの30分前に到着)ほかにお客さんはいませんでした。この写真はホームページから借用しています。

「福島にもこんな施設が欲しい」

どちらからともなくそんな気持ちが湧いてきました。
三種の焼肉を美味しく頂いたあとで、詳しいパンフレットをいただくことにしました。
しかも、、、ちょうど1冊レジ付近にあった。!!!!


阿蘇ファームランドでは、自家製の清潔な野菜やきのこ類を栽培し、宿泊客やレストランなどに提供しています。
そして、何よりも健康をテーマとした施設が充実しています。
食べるものだけではないです。
配置図にも載っているように、温泉や運動施設、健康アドバイザーの配置などとにかくたくさんあります。


野菜やきのこは、完全に衛生的な設備で栽培されています。下の写真はきのこプラント内部の写真だそうです。
素晴らしい。



とまあ、福島にこのような施設ができたら福島県人はもちろん、東京方面の人たちも、いや世界中から人々が集まって、放射能や健康の心配のない、広々、のびのび、さらに心のケアまで出来る場所があったらどんなに素晴らしいことか。

僕たちの旅は、きっとここからスタートするのかもしれない。
これから数日の旅は何かというとこの話題が中心になっていった。

(思考は伝播するというが、この数日後、帰りの車の中に1本の電話が飛び込んだ・・・。 福島県の農政関係の部門からである。
「放射線フリーの野菜栽培施設を南相馬に作って実験したいのだけど、関係者に聞いたら夢農園の菅野さんが適任だと言われたので・・・」
僕たちの思考の一部は確かに伝わっていた。
この夢は必ず実現しなければ・・・・・そんな思いが湧いてきた。)

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僕たちは、この日は竹田市に泊まることにして、阿蘇の山をあとにした。
僕の阿蘇山のイメージは「火山」なのだが、いやはやだだっ広いところである。
冬枯れの牧草地が果てしなく続いている。
折からの濃霧で、一層幻想的な風景を見せている。



はるか阿蘇をあとにして山を降りると、清流と石文化の街竹田市だ。
いたるところにこのような石橋が存在する。
小野医師はその溶岩が原料である。
もちろん川床も溶岩で出来ている。


かつて、1990年にはこの街を写真のような大土石流に襲われた街だ。


大自然は時として人間が営々として築きあげてきたものを容赦なく破壊する。
水害から25年、街並みは昔の繁栄期を取り戻したかに見える。
災害は恐ろしい。
しかし、人間だって決して負けちゃいないんだぞ。





この夜は竹田の街に出て、酒を飲んで乾杯した。

ひとつは、町々の完全な復興を祈念して。
もう一つは、人々が心から安らげる場所を得られることを祈って・・・。

それから、元気で気のいいあっちゃんにも・・・・・。

竹田市から少し下ったところに、下のような水車が二つ並んでいた。
用水を汲み上げるためのものである。
大水の時は、水車が激しく回転しないように、水は横を素通りさせるようになっていた。


2013年2月25日月曜日

津和野から萩へ

津和野の古い町並みが綺麗だった。
ここには5軒ほどの醸造元がある。


僕は古橋酒造に入り、初陣しぼりたてを買い求め、古都をあとにした。



次なる訪問地は萩市。
島根県から山口県に移動である。
津和野から県道で萩に入ると松蔭神社の前に出る。

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我々福島県人にとっては、様々な感情の交わるのが山口県、長州である。

なぜか。

福島県と山口県の悲しい歴史は2月5日に少しだけ書いたのでここでは省くが、
萩は、そのような明治維新を思い出させる街なのだ。
写真のの石碑「明治維新胎動の地」の石碑は、松蔭神社・・・すなわち松下村塾の跡地にある。


神社境内には「春」の訪れを感じさせる花花が咲きだしたようである。


僕たちは次なる訪問地、木戸孝允の旧宅や高杉晋作の誕生地などのある一角に向かった。
旧藩校萩藩明倫館の東にある中央公園に車を置いて、萩城城下町エリアに向かった。

とりあえず、萩の里「キモノスタイルカフェ」にて萩焼と美味しいコーヒーをいただくことにした。
実際、ここのオリジナルブレンドコーヒーは美味しかったので、萩珈琲1パックをまずゲット。
もちろん萩焼も。


ここ萩城城下町の一角は高杉晋作の生家や木戸孝允の屋敷などが並ぶが、屋敷内にみかんの気が多く植えられているのが人目を引く。まるでみかん畑の中の農家のようである。
みかんだけは好きなだけ食えるようになっている。


近くには入口に戦前の首相田中義一の像を置いた萩博物館があるが、どうせ気分を害するばかりだから、また、そんなに暇なわけでもないし、昼飯にしよう。

ここまで来たら、てっちりか、ふぐ雑炊か、ふぐ釜飯だろう。
僕たちは、昼飯としててっちりを食べるわけにいかないので、後2者をそれぞれ食べることにした。
萩江戸屋の飯である。各1500円なり。雑炊と釜飯の違いは水加減だけのようである。


ふと見ると近くに喫茶店があって、その屋根に鷹らしきものがいたので被写体になってもらった。


萩を出て、僕たちは次なる宿泊地を下関に決めた。いよいよふぐの本場で、ふぐ刺しを食おうということなのだが・・・・ 

そして、関門トンネルで九州へ・・・・・



2013年2月24日日曜日

突然ですが津和野にに行ってきました

2月15日から22日まで、ドウセ暇だから・・・・・ということで古い友人とあてのない旅行をしてきました。
これから何開花に分けて、その旅行と感動を書き残したい、できれば伝えたいと思います。

下の写真は、一緒に旅行した菅野英夫さん(中央の青半袖シャツの男性です。写真は花職人.Aizuさんのブログより借用しました。)


菅野さんは2011.3.11の福島原発事故の影響で、それまで川俣町山木屋でトルコキキョウの生産農家(有限会社夢農園)で、業界では全国に名の通った人です。
住居も含めた生産拠点は放射能のため計画的避難区域に指定され、ご家族はご両親が福島市、奥様とお子様は京都府、本人は福島市に残って復興・除染関連の小ビジネスを始めました。

僕は、川俣町の避難区域ではなかったのですが、いろいろあって現在は新潟県十日町市に「自主避難」しているところです。
たまたま12月から仕事が切れて暇を持て余していたのですが、英夫さんの誘いがあって、旅行に一緒に出かけることになったのです。

彼とは30年来の付き合いで、たまにこの様な気まま旅行をしていた仲です。

 折しもこの季節は我が新潟はもとより豪雪の真っ只中。
僕が福島に出て行って、マイカーをデポし、そこから一気に南下しようということになりました。
ちょうどその日の新潟は好天に恵まれていたので、一気に富山経由で行けるところまで行こうということになりました。

14時福島出発です。
ここから1週間で5000キロを走る旅が始まりました。

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菅野さんは花卉栽培農園と薪工場を経営し、とても活動的なので、日本全国にお友達というか仕事仲間がいます。そういうところに活発に出かけるので、年間10万キロは走っているそうです。
お土産をたくさん仕入れたいので(菅野さん)走行30万キロのワンボックスバンが相棒です。

初日は、とにかく行けるところまで行こうという相談で、渋滞の京都大阪を回避し、うまく休憩を取りながらという作戦です。

結局、琵琶湖東岸の多賀で2時間ほどの仮眠をとって夜明け前に兵庫県に入りました。
既に1000km走ってました。

そろそろ今夜の目的地を決めなくてはいけません。
なんとなく
「山陰の小京都」津和野に行かない?
となり、中国道六日市で高速を降りました。

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途中の昼食はこのあともそうですが、大抵はパーキングや道の駅のおそば、うどん、ラーメンのたぐいで、とにかくスピードを重視しました。

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津和野街道では、美しい清流の他に道端に出されている白菜が極端に高値なのが目につきました。
よく見ると畑が非常に少ない!
かそのために担い手がいないせいかな? とも思いましたが、やがて、
イノシシのせいだ!!!
ということがわかりました。
これから訪れることになる中国九州地方は、気候温暖であり、イノシシをはじめシカやその他の「害獣」が非常に多いそうです。

僕たちは、近くの道の駅で「イノシシカレー」と「大馬鹿ヤローカレー」(ただし「鹿肉」は北海道のエゾシカ)をお土産に求めました。




津和野は、駅前の観光案内でビジネスホテルつわのを教えてもらって泊まりました。
すぐ近くに安野光雅美術館があったので見学してきました。http://www.town.tsuwano.lg.jp/anbi/tenzi.html

夜は近くの居酒屋を教えてもらって飲みに出かけました。
2月という季節もありますが、どんどん寂れていく町並みの印象でした。


2013年2月11日月曜日

雪国にて(近況報告)

最近、訪問者の方から「どうしてますか?」との問いかけらしきものがあったので、近況報告します。

十日町市に移って1年になります。
ただ、昨年11月までは「週末住民」でした。
12月からは本格「定住」に入りました。

12月中旬に早めの大雪があったのですが、その後は降雪も少なく過ごしやすい日々が続いていました。
それが、今朝からひっきり無しに雪が降って、今日の分だけで50センチ以上は積もったと思います。まだ降ってますし。
ただ、この町は風吹くことがほとんどないのが救いです。
佐渡とか沿岸部は猛吹雪もあるらしいですが、今のところ吹雪はないです。

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12月から「プチ失業」状態なので、時間だけはたんまりあるのですが、散歩やドライブ、サイクリングなどができずに、ひたすらぜい肉ばかり溜め込んでいます。
従って、旅行、登山などがないので以前によく書いていたような写真日記も書けない状態です。

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なんだかどんよりした雰囲気の文章になっていますので、すこし前向きな記事もひとつ。

来週あたりかな?
せっかくの休日を利用して、友人と山口県に行ってこようというお話があります。
廃業したゴルフ場跡地でシイタケ栽培しているという方がいらっしゃるとかで、
どうせ暇だろうから一緒に行かないかと誘われました。
日程は未定なので、結果はあとでの報告になると思います。

それと、普段の生活が「奥山」のさらに雪深い場所にもう一箇所の仮寓があるので、平日はそこから十日町市街地の僕のアパートに「通勤」し、休日はアパート住まいというパターンで、「食」の心配もないから、割合気楽なものです。ちなみにその奥山の住居では本日の降雪が1mに達したそうです。さっき、その連絡が入りました。普段ならこれから「奥山」まで出かけるのですが、今夜は諦めです。70日ぶりに「孤食」を楽しむことになりそうです。

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こちらに来て・・・というか、近くにはスキー場もたくさんあるし、食指は動くのですがまだ1度も滑っていません。そのうち、12年ぶりにやってみようかとも思うのですが、いつになることやら。

一昨日、苗場スキー場を見に行きました。ここから50キロもあって「遠い」のですが、35年前に来たとき一日で70本以上リフトに乗って楽しんだことを思い出しました。体力、気力の衰えがなければ、まだまだ滑れるぞと思いました。夜行バスで来て、プリンスホテルでコーヒーを飲んだのが昨日のことのように蘇りました。

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一昨日、21度の日本酒を4合一人で飲んでたら、途中から記憶を失ってしまいました。
あとで訪ねてきた連れ合いに聞いたら、玄関の呼び鈴にパンツ一丁で出てきたそうです。

でも、今夜は誰はばかることなく、オールドパー1本くらいはやっつけられそうです。
既にストレートで1合くらいは済ましたしね。







2012年12月28日金曜日

レ・ミゼラブルを見てきました。


 10代の頃から愛読していました。当時は文庫版でも10巻以上あったのではないかと思います。
2年近く前から、年甲斐もなく映画やコンサートなどのDVD,CDを買い集め、密かに楽しんでいた。

実は、このブログを始めた頃、偶然織田裕二の映画「アマルフィ」を見て、南イタリアの美しい風景とサラ・ブライトマンの澄んだ歌声に感動したのがスタートでした。

サラ・ブライトマンにはまり、アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルにはまり、プロジューサーのキャメロン・マッキントッシュに溺れる中でたどり着いたのがレ・ミゼラブルというわけです。

たまたま1年前にミュージカル公園25周年記念のコンサートDVDが発売になったので、何度も見ては感動していました。できれば舞台を全曲通して見たいものだと思いました。

そんなところに、2010年ロンドンキャストでの全曲CDが発売になったのですぐに求めたほどです。

映画は古くはジャン・ギャバン主演とか色々あるようなのですが、リーアム・ニーソンの1本だけ買いました。

そして、今月とうとうミュージカル版が映画化、上映されたのです・


この物語には多くの主人公がいるのですが、ジャンバルジャンやテナルデぃエ夫妻はとりあえず割愛です。
ラッセル・クロウが「悪役」刑事ジャベールです。すごく懐かしいです。
写真は映画「ロビンフッド」のモノなので小さくしてあります。

「マンマ・ミーア!」でソフィ役を演じたアマンダ・セイフライドが、少女コゼットです。


アン・ハサウェイ扮するところのファンティーヌ。子供のために、髪を売り、歯を売り、体も売ってボロボロになっていく女性の役です。
(わずか200年前の時代ですが、世界中でこのような庶民の悲しい歴史が繰り返されていたのでしょうね。)


レ・ミゼラブル出演前は髪が長くかったのですが、 舞台ではなく映画であるということで、あえて劇中でカットしたらしいです。 アン・ハサウェイ恐るべしです。

映画は2時間半以上あり、特に前半は見ているだけでミゼラブルな気持ちになります。
名場面はたくさんありますが、それはご自分でご覧になられるのが良いと思います。
また、この物語は特にフランスではよく知られたもので、ストーリーの展開が理屈抜きなので、予備知識なしにうっかり見に行くと大変かも。

やがてDVDが出るでしょうが、是非コレクションしたいものです。