旅行は既に4日目です。
下関から九州に渡るため、古いながら関門トンネルを通ることにしました。
九州に着いてから、改めて「どこに行こうか」ということになり、当初は各県1日当てればいいとの考えから行先未定だったのですが、急遽「阿蘇」に行こうということになりました。全くいい加減なものです。
阿蘇に行くためには熊本から登るのが良いということで、阿蘇道路の入口にある道の駅大津に立ち寄ることにしました。
折しも2月中旬は果物の宝庫熊本のまさに旬の季節。
その中でもあまーい甘いデコポンがありました有りました。
僕はひと箱買って新潟に送りました。
菅野さんはなんか大量に買い込んでいました。
とにかく甘くて美味しいのです。
ところで、段々昼ごはん時が近づいてきて、どこかで焼肉でも食べようかな・・・・
道路端に「阿蘇ファームランド」なる看板があったので、そこならきっと焼肉にありつけるはず、、、早速電話番号を調べて連絡したらオーケーとのこと。
よし!!! 3束本場九州の肉が食えるぞーーー!!
阿蘇ファームランドはこんなところでした。思ったよりでかーい施設のようです。
以下、この施設の説明には、当該ホームページに掲載されている写真を借用しました。
http://www.asofarmland.co.jp/index.php
来てみてびっくりです。
はじめは宿泊者専用駐車場に入ってしまい、レストランの入口を教えてもらい、阿蘇きのこ亭の駐車場に行きました。でも、きのこ亭でやっているのはステーキとかで、焼肉ではありません。
聞くと、ショッピングゾーンや体験ゾーン、温泉施設などなどをはるかに歩き、宿泊フロント近くのレストラン棟まで歩く羽目になりました。
途中様々なゾーンを通り抜けて焼肉ハウスにたどり着いたときは、二人して口をあんぐり開けていました。
ちなみに宿泊ゾーンは下の写真のようなドーム型の宿泊施設が無数に立っています。
温泉施設入り口はこんな感じです。
こちらが、阿蘇きのこ亭入口です。
ようやくたどり着いた焼肉です。牛、豚、鶏の三種のお肉と野菜をジンギスカンなー゜風の特製鍋で煮焼きしていただくのです。
鍋の真ん中が盛り上がっていて、お肉はここで焼きます、
その周りにお好みのスープを入れて野菜を煮炊きします。
これが絶品なんだなぁ。
阿蘇に来てほんとによかった。
そして、ここから物語が始まりました。
ここのレストランは、写真のような和風スタイルと、右に写っているらしい洋風のエリアがあります。
とっても広くて、清潔です。
僕たちは時ならぬ客だったらしく、(ラストオーダーの30分前に到着)ほかにお客さんはいませんでした。この写真はホームページから借用しています。
「福島にもこんな施設が欲しい」
どちらからともなくそんな気持ちが湧いてきました。
三種の焼肉を美味しく頂いたあとで、詳しいパンフレットをいただくことにしました。
しかも、、、ちょうど1冊レジ付近にあった。!!!!
阿蘇ファームランドでは、自家製の清潔な野菜やきのこ類を栽培し、宿泊客やレストランなどに提供しています。
そして、何よりも健康をテーマとした施設が充実しています。
食べるものだけではないです。
配置図にも載っているように、温泉や運動施設、健康アドバイザーの配置などとにかくたくさんあります。
野菜やきのこは、完全に衛生的な設備で栽培されています。下の写真はきのこプラント内部の写真だそうです。
素晴らしい。
とまあ、福島にこのような施設ができたら福島県人はもちろん、東京方面の人たちも、いや世界中から人々が集まって、放射能や健康の心配のない、広々、のびのび、さらに心のケアまで出来る場所があったらどんなに素晴らしいことか。
僕たちの旅は、きっとここからスタートするのかもしれない。
これから数日の旅は何かというとこの話題が中心になっていった。
(思考は伝播するというが、この数日後、帰りの車の中に1本の電話が飛び込んだ・・・。 福島県の農政関係の部門からである。
「放射線フリーの野菜栽培施設を南相馬に作って実験したいのだけど、関係者に聞いたら夢農園の菅野さんが適任だと言われたので・・・」
僕たちの思考の一部は確かに伝わっていた。
この夢は必ず実現しなければ・・・・・そんな思いが湧いてきた。)
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僕たちは、この日は竹田市に泊まることにして、阿蘇の山をあとにした。
僕の阿蘇山のイメージは「火山」なのだが、いやはやだだっ広いところである。
冬枯れの牧草地が果てしなく続いている。
折からの濃霧で、一層幻想的な風景を見せている。
はるか阿蘇をあとにして山を降りると、清流と石文化の街竹田市だ。
いたるところにこのような石橋が存在する。
小野医師はその溶岩が原料である。
もちろん川床も溶岩で出来ている。
かつて、1990年にはこの街を写真のような大土石流に襲われた街だ。
大自然は時として人間が営々として築きあげてきたものを容赦なく破壊する。
水害から25年、街並みは昔の繁栄期を取り戻したかに見える。
災害は恐ろしい。
しかし、人間だって決して負けちゃいないんだぞ。
この夜は竹田の街に出て、酒を飲んで乾杯した。
ひとつは、町々の完全な復興を祈念して。
もう一つは、人々が心から安らげる場所を得られることを祈って・・・。
それから、元気で気のいいあっちゃんにも・・・・・。
竹田市から少し下ったところに、下のような水車が二つ並んでいた。
用水を汲み上げるためのものである。
大水の時は、水車が激しく回転しないように、水は横を素通りさせるようになっていた。
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