2013年2月24日日曜日

突然ですが津和野にに行ってきました

2月15日から22日まで、ドウセ暇だから・・・・・ということで古い友人とあてのない旅行をしてきました。
これから何開花に分けて、その旅行と感動を書き残したい、できれば伝えたいと思います。

下の写真は、一緒に旅行した菅野英夫さん(中央の青半袖シャツの男性です。写真は花職人.Aizuさんのブログより借用しました。)


菅野さんは2011.3.11の福島原発事故の影響で、それまで川俣町山木屋でトルコキキョウの生産農家(有限会社夢農園)で、業界では全国に名の通った人です。
住居も含めた生産拠点は放射能のため計画的避難区域に指定され、ご家族はご両親が福島市、奥様とお子様は京都府、本人は福島市に残って復興・除染関連の小ビジネスを始めました。

僕は、川俣町の避難区域ではなかったのですが、いろいろあって現在は新潟県十日町市に「自主避難」しているところです。
たまたま12月から仕事が切れて暇を持て余していたのですが、英夫さんの誘いがあって、旅行に一緒に出かけることになったのです。

彼とは30年来の付き合いで、たまにこの様な気まま旅行をしていた仲です。

 折しもこの季節は我が新潟はもとより豪雪の真っ只中。
僕が福島に出て行って、マイカーをデポし、そこから一気に南下しようということになりました。
ちょうどその日の新潟は好天に恵まれていたので、一気に富山経由で行けるところまで行こうということになりました。

14時福島出発です。
ここから1週間で5000キロを走る旅が始まりました。

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菅野さんは花卉栽培農園と薪工場を経営し、とても活動的なので、日本全国にお友達というか仕事仲間がいます。そういうところに活発に出かけるので、年間10万キロは走っているそうです。
お土産をたくさん仕入れたいので(菅野さん)走行30万キロのワンボックスバンが相棒です。

初日は、とにかく行けるところまで行こうという相談で、渋滞の京都大阪を回避し、うまく休憩を取りながらという作戦です。

結局、琵琶湖東岸の多賀で2時間ほどの仮眠をとって夜明け前に兵庫県に入りました。
既に1000km走ってました。

そろそろ今夜の目的地を決めなくてはいけません。
なんとなく
「山陰の小京都」津和野に行かない?
となり、中国道六日市で高速を降りました。

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途中の昼食はこのあともそうですが、大抵はパーキングや道の駅のおそば、うどん、ラーメンのたぐいで、とにかくスピードを重視しました。

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津和野街道では、美しい清流の他に道端に出されている白菜が極端に高値なのが目につきました。
よく見ると畑が非常に少ない!
かそのために担い手がいないせいかな? とも思いましたが、やがて、
イノシシのせいだ!!!
ということがわかりました。
これから訪れることになる中国九州地方は、気候温暖であり、イノシシをはじめシカやその他の「害獣」が非常に多いそうです。

僕たちは、近くの道の駅で「イノシシカレー」と「大馬鹿ヤローカレー」(ただし「鹿肉」は北海道のエゾシカ)をお土産に求めました。




津和野は、駅前の観光案内でビジネスホテルつわのを教えてもらって泊まりました。
すぐ近くに安野光雅美術館があったので見学してきました。http://www.town.tsuwano.lg.jp/anbi/tenzi.html

夜は近くの居酒屋を教えてもらって飲みに出かけました。
2月という季節もありますが、どんどん寂れていく町並みの印象でした。


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