2017年8月31日木曜日

飛鳥・奈良時代の大阪・奈良の地形

竹村公太郎の地形から読み解く日本史 から抜粋を引用転載する。

引用ここから
古墳時代の大阪は、河内湖と呼ばれる巨大な湖が広がっていた。上町台地は、河内湖と大阪湾を区切る半島であり、湾口は潮の満ち引きのたびに、激しく潮流が渦巻いた。

奈良盆地では、奈良湖にほぼ一致する形で軟弱地盤が形成されているが、これはこの範囲が古代には湖底であり、泥や砂などの堆積物によって形成されいることを示している。

奈良・飛鳥時代の豪族たちは、奈良盆地の中心を避けて勢力範囲としている。これは彼らが活躍した時代、奈良盆地の中心が活用できる土地ではなかったから。蘇我氏が比較的中央寄りに勢力を広げているのは、彼らが後進の勢力だったから、同時に蘇我氏は後退するならこの湖岸を追いかけるように開発を続けていたとすれば、蘇我氏の勢力拡大の理由も理解できる。河内湖周辺を開発できた物部氏と、奈良湖を開発できた蘇我氏が勢力を二分し、後に争うことになるのもうなずける話である。(現在は消えてしまった奈良湖 奈良の繁栄は奈良湖が支えていた)
引用ここまで

続きはまた明日の心


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