2011年3月20日日曜日

明治の王政復古は平安時代への回帰 ?

奈良・平安時代は、封建時代初期でしたから、すべての土地、国民はみんな天皇の所有物でした。
もちろん『物』の中には生身の人間も含まれますが、彼らはすべて『物』と同様であってヒトとしては待遇されませんでした。

王政復古成って、江戸幕府が滅びたら、まるで武家時代がなかったかのように、すべて天皇家とその外戚たち、維新の元勲と呼ばれる人たちの手に集約されました。
旧藩主たち高級士族たちだけは貴族として残りました。
ほかは何も変わりませんでした。
明治維新は、単なるクーデターであって、革命ではなかったからです。
上層部の一部交代があっただけであり、それ以上のものではなかったのです。

ですから、市民革命を中心とする近代史には何ら関係なく、むしろ
今でも封建時代は続いている、といってもいいのではないかと思っています。

平安時代から鎌倉時代にかけては、中世貴族から武家社会へというわずかな変化がありましたが、それ以下の人々の生活に変化がなかったのと同様、明治維新においてもそれ以上の変化はありませんでした。

今、権力上層部では維新百数十年にして、平安時代の藤原時代が再現されつつあります。
国の相当分の土地、有価証券、株式会社、日赤や日銀などの特殊法人、宮内省、外務省そのほか枢要な部分は天皇の一族、外戚、元勲たちおよびその一族の手にほとんど握られたままになっています。

その持てる資産は、国家予算の少なく見積もっても10倍以上はあるだろうといわれています。
これは少なく見積もっての話で、おそらくひと桁以上違うのではないかと思います。
かれらは、すべての物事を、国家が、政治家が、官僚が決めるより先に決定し、実行に移しています。

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近代国家は、市民革命というプロセスを経て、曲がりなりにも市民の平等と自由を実現しました。その過程で国税とは別の税金を徴収していた教会などの権威も、ある程度否定されました。

日本では、単なるクーデターはあっても市民革命は起こらなかったので、中間搾取階級は温存されました。というより、神社仏閣は皆天皇家と何らかの関係があったから、そのまま残っただけのことです。
ですから、何かにつけて高額のお布施、寄付などを徴収されるのです。

私は、かつて公的機関にいたこともありますが、○○募金とか××チャリティーとかで集められたお金が、公務員、そのОB、息のかかった組織などに分配されていくのをまざまざ目にする機会がありました。

かつて、東欧やアフリカなどに対する募金や義捐金のうち、大部分が役人たちの懐を太らす結果以上のことはないと言われたことがありました。

「善意」も税金のうちなのです。
さんざん税金を絞った後でも、平気で市民の『善意』を募りますし、みずからそれに手を出すことはあっても、自分の懐から絞り出すことは決してありません。

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未曾有の国難といわれる今回の大惨事にあっても、日本の超大財閥の10倍以上の資産を持つといわれる天皇家は、「深い悲しみ云々」との言葉はたれますが、そのほかびた一文も出すようすはありません。ひょっとしたら、『国難』としての認識すらないのかもしれません。すべては下々における問題に過ぎない…と。

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去年は、その昔の護良親王が現代に蘇って何事をか起こさんとしている、とか
日本の産土神が富士山から東北の万歳楽さんに移って、大異変を見守っているとか、
九州で火山噴火があったりとか、
いろんなことが起こっています。

天皇一家株式会社日本に、根本的な変革が求められている、そのような時期が近付いていると思わざるを得ません。
その変革が、新たな時代の市民革命---自由な市民の誕生を促すものであってくれればと願うばかりです。

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