ローマカトリックが猫を被った狼であることは周知の通りです。
ローマ帝国は世界統治のためにキリスト教を簒奪し、成り済ましたままの状態が現在の世界です。
そもそも、キリストを殺しておいて、「俺はキリスト者だ」なんて、通る世の中が変ですよね。
それはさておき、僕の若いころは、キリスト教の原罪とは、エデンの園で"神の教えに背いて知恵の実を食べて恥ずかしい裸でいることに気づいたこと"とされていました。
こんなことが万死に値する「罪」になるのだからキリスト教って怖いなあーって思った少年時代でした。
裸で生まれて裸で死んでゆく、そのどこが悪いのか。
しかし、今の僕は違う解釈をしています。
人間の原罪とは、「富」を発見したことです。
「私有財産」と言ってもいいかもしれません。
人は、私有財産の獲得に目覚め、「富」を戦い取ることを覚えました。
この戦いにはルールがありません。
富の所有者を殺し、奪い取ることもルールブックでは正当でした。
ローマはこの「富のルール」をキリスト教の衣を被って正当化したのです。
以来、白人社会は「簒奪と殺戮、己よければすべてよし」を教義とするに至ったのです。
そもそも本当の人間の知恵の第一条は「殺すなかれ」でなければなりません。
モーセの十戒も、仏教の教えも、第一条は「殺すなかれ」のはずです。
これを示さず、ひたすら人間同士の殺戮に走る近現代史の白人の歴史は「人間」の歴史ではないと思います。
特に「大航海時代」以来のスペイン、ポルトガル、フランス、イギリス、アメリカ。
多分、原「キリスト教」の「原罪」第一条を破る「悪魔の所業」と言えると思います。
僕は、キリスト者でも。仏教徒でも、ましてやイスラム教徒でもありません。
しいて言えば、日本教信者かもしれないですが、
「隣人を殺してでも富を奪う」現在のキリスト教徒には、ついていけないどころか、
あこがれのローマ、ベネチア、フィレンツェ、パリ、ロンドン、ニューヨークとともに
早く目の前から消え去ってほしいと願うのみです。
皆さんも、ウソキリの教義をまともに信じてはいけませんぞ。
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