今から5・60年前、中学の教師はこう言った。
「貧乏は悪いことではない。
つぎはぎの服でもよい。
汚れを洗濯して着ていればそれで良い。」
当時、清貧は美徳だった。
現代の立候補者たちは言う。
「豊かな街を作ります。
企業を誘致します。
病院を作ります」
田舎町の青年は言う。
「この町にはほかの町と対抗できる産業がない。
楽してお金を稼ぎたい。
娯楽施設がほしい」
現代では清貧は悪徳だ。
最も尊敬されるのは、
金儲けのうまい政治家と、
金儲けのうまい医者と、
金儲けのうまい商人だ。
僕のいる新潟県は、今 山菜の花盛りだ。
夏になると食べきれないほどの野菜ができる。
秋の味覚も捨てがたい。
ここで生活するには、お金は必要最小限でいい。
でも、お金と、安楽な生活を求めて街に出て行く人々の群れは止まらない。
桜の季節になれば、山里の一本桜やヤマザクラに目を止める人はいない。
人々は、三大夜桜や名所といわれる所になだれ込む。
目の前の四季の移ろいに目をやらず、
テレビやラジオ新聞の「情報」に振り回されて、
本当の「自分」を見失っているように見える。
一番美しいのは、自分自身の心の中に見える風景だってことに、
誰も気づかない。
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