2012年6月11日月曜日

レクイエム---思い出の川俣町(1)

川俣町今井家の墓所は浄土宗の東円寺境内にあります。
川俣町では祖父が初代です。




本堂裏手が墓地になっており、階段を上った途中に我が家の墓地があります。祖父母などがそこに眠っています。



祖父今井登米は、昭和42年僕が高2の時に78歳で亡くなりました。
祖父は、南隣の安達郡針道村(現二本松市)に今井助三郎とカツの二男として生まれ、大正元年祖母タツイと結婚して川俣町新中町に移り住みました。
実家は長男亀鶴の子庄次が継ぎました。
祖父は、今のいわき市などで丁稚奉公をした後川俣町にあった福島県蚕糸試験場に入り、染色の技術を学び、後に今井染物店を開業しました。試験場でのノウハウもあり、同業の方への指導などもしていたようです。
また、中庭では鶏を飼い、染色に使う大釜で大豆を煮て、味噌・醤油正月のお餅などをついたりして近所・親戚などの注文も取ったりしていました。僕も餅つきや配達を手伝った覚えがあります。石臼で大豆を引いて豆腐作りもしました。
竈は薪を燃やします。僕も薪割りの手伝いをしました。染工場は神聖であると同時に興味の尽きない遊び場でもありました。
ある日、祖父は薪割り中に脳卒中で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのです。

東円寺裏手の墓地の奥に川俣町中央公園があります。
ここには、川俣町に養蚕技術を伝えた女神小手子姫の像があります。
(以下、ウィキペディアより引用)

小手子(こてこ)は、第32代天皇崇峻天皇の妃。大伴連糠手(おおとものむらじぬかて)の娘。崇峻天皇との間に蜂子皇子と錦代(にしきて)皇女の一男一女を儲ける。
日本書紀』には、小手子が天皇の寵愛が衰えたことを恨み、献上された猪を見て天皇が漏らした「何の時かこの猪の頸を断るがごとく朕が嫌しと思うところの人を断らむ」という独り言を、蘇我馬子に密告したことが、崇峻天皇暗殺事件のきっかけとなったという記述がある。
(ブログ主注: 荒唐無稽な記事ですよね! 自分の夫の今上天皇を殺させ、そのために自分や吾が子も追われて東北の地に逃走しなければならないなんて、あ・り・え・な・い。)
小手子には、現在の福島県川俣町に落ち延びて養蚕を伝えたという「小手姫(おてひめ)伝説」がある。
小手子の子、蜂子皇子は厩戸皇子(聖徳太子)の計らいで京を逃れ、山形県鶴岡市出羽三山の開祖となったと伝えられるが、小手子も、蜂子皇子を捜し求めて、実父と娘・錦代皇女とともに東北に落ち延びた。
(今もこの地には大伴、大友、伴などの名字の一族が住んでいる。)
旅の途中に錦代皇女を亡くした小手子は、故郷の大和の風情に似た、現在の福島県伊達郡川俣町伊達市月舘町の地域にとどまり、桑を植え養蚕の技術を人々に広めたという。
その後小手子は、蜂子皇子に会えないことを悲嘆して、川俣町大清水地内にある清水に身を投げたと伝えられている。                  (引用終了)




今年の中央公園はちょうど花盛りでした。311の翌年の平日のせいか、人々の姿はまばらでした。とても静かです。



中央公園の南にある御霊神社です。この広場は昔からあり、僕の通った旧川俣中学校がよく見渡せました。古いギターを持ち出して名曲「禁じられた遊び」の真似事などをしていたのを思い出します。



丸い台形の盛り上がったところに「後庵舘」の跡地があり、今は機織神社が祀られています。
小手子姫は芋ヶ作という処に住んでいましたが、後に尼となってここに移り住んだとも伝えられています。はるか出羽の国月山に流れた吾が子に会えなくなったことを儚んで入水したのはこの後のことかもしれません。
ちなみに、町の東方には花塚山という山がありますが、この中腹には放鹿神社というのがあります。小手子姫が遠く奈良の地を想い鹿を放したことが名の起こりといわれています。山名はここからきているといわれています。
また、花塚山の山頂付近には出羽三山が祀られており、小手子姫は時折この頂に登り遠き出羽の国の方角を焦がれつつ望んだということです。

近くにある川俣高校の女子高生たちが何人か立ち寄っていました。

でも、この花々は小手子への祈りなのかもしれません。




福島市から川俣町に向かう途中に、千貫森山というひときわ人目を引く小山があります。
そこには小手神社がまつられています。
昔、伊達正宗が参勤交代の折、乗馬が突然暴れだして落馬してしまったそうです。正宗公は当地より望見される小手郷の小手神大明神のご神威に触れたと思い、この社を建てて祀ったそうです。
この当時、小手郷と呼ばれる川俣町一帯がご神域であったことが窺われます。

以前は登山道のいたるところに「宇宙人」の石像がありましたが、今はどうなのでしょうか。




近年、この千貫森山はUFOの飛来地として有名になりました。この山の近くにUFOの基地があるのではないかともっぱらの評判です。
千貫森山の所在する旧飯野町ではUFOによる町おこしをしていました。この施設もUFO関連の展示をしていました。温泉施設も付属しています。



町内を流れる広瀬川(小手川)です。114号線の旧道に橋がかかっています。橋の手前に由緒あるホテル川俣、向こうに見えるのが清水屋菓子舗、奥の桜山が中央公園です。
広瀬川北岸にある岩松山常泉寺の山門が見えます。中学時代ここのお寺の住職の深沼良光先生が国語の教師をされていて、特に漢文の勉強は楽しかったです。読み下し分の前に必ず棒読みをさせていました。漢詩なら中国風のリズムというか抑揚をつけて読んでくださいました。みんなそれを唱和したものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿