2016年6月5日日曜日

酒田に来ています

3月11日から6月17までの予定で酒田です。

(写真は記事に関係ないですが長岡市雪国植物園で見つけた日本春蘭です)


パンフレット「さかたさんぽ」によると
頼朝によって義経に加勢した奥州藤原氏が滅亡した時、1189年、藤原秀衡の妹(または後室)が36人の遺臣(36人衆)とともに落ち延びてきて、それぞれ船問屋を営んだといいます。

江戸時代には御用商人川村瑞賢が日本中の航路を再編成し、酒田には米蔵が作られました。これがさかた発展のもととなって、今では日和山に銅像が立っています。(宮城県石巻の日和山にも、同様の理由で銅像が立っています。)

稀代の相場師本間光丘は大金持ちとしてつとに有名ですが、天才は飢饉で太ります。
酒田以外では、有名どころで、火事で太った紀伊国屋。戦争太りの三井三菱もいますね。
他人の不幸は蜜の味と言いますから。。。。

現在の酒田市の顔役は養豚業を営む新田様だそうです。公益大学を作ったり縦横無比の大活躍だそうです。

さて、私ですが、そう、何10年かぶりで湯殿山に行ってきました。ただし、「神域」は写真撮影禁止でしたのでありません。


明治になって、それまでの神仏混交から廃仏毀釈になって、開山が皇族ということもあって仏教色を一掃して神社一色に変わったようです。ですから、「山岳信仰」や「修験道」は変わっていないように見えますが、そうでないところもあるように思われます。

僕は、3日前に幼いころの幽体離脱経験からあることを思いついたのですが、ここまで「即身成仏」や「ミイラ」など酷似した内容が重なってくるとは思いもしませんでした。

弘法大師空海などもここで修業されていますが、即身仏の行法は湯殿山で会得したのではないかと思われます。

本殿前で柏手を打って参拝したら、神前の大鏡に自分の姿が映っていました。鏡を見れば、そこには自分しかいないのは当たり前ですが、なんとなく感動しました。

撮影禁止ということですが、ここ にはこうゆうものがありました。参考まで。





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