2016年6月8日水曜日

蜂子皇子




出羽三山の開山は1400年以上前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本脚の霊鳥に導かれ、羽黒山(414m)に登拝し、羽黒権現を感得、山頂に社を創建したのが始まりとされている。

皇子はさらに月山権現、湯殿山権現を感得し、三山の開祖となったという。

行人塚と即身仏


この写真は湯殿山神社の参道入り口の鳥居だが、実は鳥居の右側に行人塚がある。

パンフレットによると『湯殿山の一世行人は、一生浄火で生活し、肉食妻帯はせず、厳しい参籠修行をおこなうのが特色で、中には3000日、5000日の行を積む人もありました。これらの行者の入定の場だったのが行人塚。現在庄内地方には6体の即身仏が確認されています。』という。


即身仏になるのは大変である。命がけである。それでもなれるかどうか怪しい。

『即身仏になるための修行とは』  には次のように説明している。


  湯殿山の仙人沢で山籠りを行う

                ↓
  千日行という千日単位の厳しい修行を行う
                ↓
  五穀断ち、十穀断ちの木食行を行う
                ↓
  生きながらにして土中入定する
                ↓
  土の中で鉦を打ち鳴らし読経しながら即身成仏する
                ↓
  三年三ヶ月後に掘り出される
                ↓
  衣を着せられ厨子に安置され、即身仏として祀られる


ということらしい。
詳しくは上記の記事を読んでほしい。
ちょっとやそっとの「決心」でできるものではない。

冒頭の写真は蜂子皇子と言われているが、どうやら「入定」前のお姿と思える。

蜂子皇子は日本書紀にも登場するが、小手子皇后の子は1男2女とされている。
ただ、蜂子皇子は第三皇子との説もある。

それはともかく、羽黒山から月山、湯殿山の一帯は非常に険峻な地形を形成しており、尋常の人間の立ち入るところではない。ぜひ現地に行って、そこがどんな場所か感得してほしい。

しかも、冬の雪は10メートルを優に超えるところなのである。
誤解してはいけない。「人里」では決してない。




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