2012年12月28日金曜日

レ・ミゼラブルを見てきました。


 10代の頃から愛読していました。当時は文庫版でも10巻以上あったのではないかと思います。
2年近く前から、年甲斐もなく映画やコンサートなどのDVD,CDを買い集め、密かに楽しんでいた。

実は、このブログを始めた頃、偶然織田裕二の映画「アマルフィ」を見て、南イタリアの美しい風景とサラ・ブライトマンの澄んだ歌声に感動したのがスタートでした。

サラ・ブライトマンにはまり、アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルにはまり、プロジューサーのキャメロン・マッキントッシュに溺れる中でたどり着いたのがレ・ミゼラブルというわけです。

たまたま1年前にミュージカル公園25周年記念のコンサートDVDが発売になったので、何度も見ては感動していました。できれば舞台を全曲通して見たいものだと思いました。

そんなところに、2010年ロンドンキャストでの全曲CDが発売になったのですぐに求めたほどです。

映画は古くはジャン・ギャバン主演とか色々あるようなのですが、リーアム・ニーソンの1本だけ買いました。

そして、今月とうとうミュージカル版が映画化、上映されたのです・


この物語には多くの主人公がいるのですが、ジャンバルジャンやテナルデぃエ夫妻はとりあえず割愛です。
ラッセル・クロウが「悪役」刑事ジャベールです。すごく懐かしいです。
写真は映画「ロビンフッド」のモノなので小さくしてあります。

「マンマ・ミーア!」でソフィ役を演じたアマンダ・セイフライドが、少女コゼットです。


アン・ハサウェイ扮するところのファンティーヌ。子供のために、髪を売り、歯を売り、体も売ってボロボロになっていく女性の役です。
(わずか200年前の時代ですが、世界中でこのような庶民の悲しい歴史が繰り返されていたのでしょうね。)


レ・ミゼラブル出演前は髪が長くかったのですが、 舞台ではなく映画であるということで、あえて劇中でカットしたらしいです。 アン・ハサウェイ恐るべしです。

映画は2時間半以上あり、特に前半は見ているだけでミゼラブルな気持ちになります。
名場面はたくさんありますが、それはご自分でご覧になられるのが良いと思います。
また、この物語は特にフランスではよく知られたもので、ストーリーの展開が理屈抜きなので、予備知識なしにうっかり見に行くと大変かも。

やがてDVDが出るでしょうが、是非コレクションしたいものです。





2012年10月12日金曜日

僕もかつては不登校生だった

別にいじめられたわけでもないし、勉強が苦手だったわけでもなし、現代社会で言われるような不登校の理由は全くなく、僕は結構不登校生だった。

小学校低学年児、勉強は楽しかった。掛算九九なども必死になって覚えようとしていたし、鶴亀算などに悩まされもした。しかし、勉強は好きだったし、教室でも友達がたくさんいて、学校嫌いになる要因は何もなかった。だけど、学校の隣に裏山があって、その山が大好きだった。仲間も他にいた。で、学校より山が好きになって、低学年の頃はよく山学校をしたものである。授業中にこそこそ教室を抜け出そうとして先生につかまったこともある。
僕は学校が大好きだった。
こんなことでも、今の社会では「不登校」というのだろうなぁ。
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高校生の時、2学年の2学期から卒業まで不登校で過ごした。なぜか卒業は普通にできた。
この時も、学校に不満があったわけでなく、友人たちに恵まれなかったわけでもない。
この時は、連続購読を始めた文芸全集(新潮社世界文学全集毎月刊、中央公論社世界の思想全集毎月刊)の購読をはじめたら学校に行く時間が無くなったからそうなったまでのことであった。
一日24時365日間読書三昧の日々。
高校のほうでも何を見ていてくれたのか、出席しなくても点数を呉れて卒業させてくれたのは、後で考えると感謝感激であった。
もっとも、東北大学に進学した時には高校の先生もあきれ顔で相手にしてもらえなかった。落ちこぼれ高校だったからかどうかは知らない。合格を喜んでもらえるかと思って母校を訪ねたのだが、合格を祝ってくれる「恩師」の居ない高校。。。寂しく学校を背にした記憶がある。
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はっきり言って、僕は「不登校生」だった。
小中学校で、可愛い女の子や貢物を呉れる家庭の子等を大切にする嫌な先生たちを見てきたせいか、教職は嫌いだった。
だからと言って、全部が全部ではなく、立派な先生、愛すべき立派な先生方もたくさんいた。
でも、僕は不登校をした。
他にしたいことがたくさんあったからだと思う。
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現代の教職の皆さん、父兄の皆さん!
不登校を「悪」とか「弱者」とか決めつけないほうがいいと思いますよ!!
それよりも、学校をもっと楽しく、学び甲斐のあるものに変えていってくださいね。


2012年9月30日日曜日

わが小手子のために

日本書紀に、「或本」に曰く。とある部分について。

(引用開始)
http://inoues.net/tenno/sushun_tenno.html


泊瀬部皇子は、馬子が穴穂部皇子と守屋を討った直後、即位して崇峻天皇となる。母は蘇我馬子の妹小姉君だった。しかし蘇我勢力に
  支援されて天皇になったわりには、蘇我馬子との関係は悪化していったようである。帝は蘇我氏との間に婚姻関係を結ばず、大伴連糠
  手の娘「小手子」を妃として、間に蜂子皇子と錦代(にしきて)皇女の一男一女をもうけるが、蘇我馬子の娘河上娘を正妃として迎え
  たという説もあり、崇峻天皇の寵愛を受けるようになったのは誰かという事を巡って、これに対する妃大伴小手子の嫉妬が、崇峻天皇
  暗殺を招いたとの説も根強い。日本書紀は「或本」に曰く、これは天皇の寵が衰えたことを怨んだ小手子が馬子のもとに遣った密告に
  端を発するという。

(引用終わり)
日本書紀は蘇我氏の滅亡に対し積極的な意見を述べる箇所が多いが、崇峻天皇の暗殺についてはすこし変わっている。

上記のように讒言をしたのはわが「小手子」かもしれないと載せている。

しかし、これは変だ。
大友糠手の娘である小手子が、どうして敵対する蘇我氏に讒言する必要があるのか。むしろ繰り言を言わねばならないのは河上郎女だろう。

河上郎女はもともと蘇我氏の娘だし、この娘と姦通した駒が処分されたのも、讒言主の正体を知っていたからだろう。

そして、その「讒言」を受けて天皇暗殺に走った馬子の行動がさも当然のように記述されているのも納得がいかない。

この辺には、「天皇家の素性」を示す何事かがあったのだろうと思われます。

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この時代の日本上流階級の婚姻は「妻問婚」である。
天皇家の血統云々と言うけれど、「女」が許せば誰とでも交わることができた時代である。
(この点でも、古代社会には男系の万世一系など有り得ないと言える)

ちょっと前の欧州上流社会と同じだ。高貴の女性にとって「結婚は浮気の免罪符」なのだ。
女にとっては「処女性」のみが問題であったと言うべきか。

河上の郎女は、せっかく崇峻天皇の妃に入ったのに天皇本人が心を開いてくれない。自らの第二の青春を求めて父親に告げ口をしたのに違いないと思う。小手子が蘇我の親方に告げ口をする理由はない。

「日本書紀」は著者の正当性を証明するために嘘で固めた書物であるが、すこしは良心の呵責もあるらしい。何かのヒントを残していてくれているようだ。

2012年9月9日日曜日

赤穂に来ました


まずはなんといっても、塩サイダー。
祥吉のプレゼントでもらっちゃった。
帰ってからウィスキーの炭酸割に使ったら、是がまことに美味!!!
因みに、340ml3本で510円とか。(通販情報)


駅のそばの蕎麦屋さん。さすがに赤穂は時代がかっています。
だけど、機械仕掛け人形の悲しさよ。 椀のお蕎麦は口元までは運ばれるのですが、けっして喉を通ることはありませんでした。(涙)

大石内蔵助と赤穂四十七士の合言葉は、なんといっても大願成就。
武士の本願は「死ぬことと見つけたり」
現代人にはこんな『大願』などいらないでしょうね。

封建時代の当時は、進んでも地獄引いても地獄、動かなければ不動の地獄だったのですからね。
男も女もつらい時代でした。
命がけで果たしたのは「名誉回復」のみ。人生辛すぎでした。

赤穂城跡にある大石神社の参道には四十七士の像が立ち並んでいます。
東京オリンピックのころだったっけ? 大河ドラマで放送されたのは。
あの頃の僕はまだ中学生位だったけど、全員の名前と役割を覚えたものです。
今になると役者さんの名前すら思い出せませんでした。

赤穂温泉のすぐ近くには、海に向かって伊和都比売(いわつひめ)神社があります。
播磨の国一宮の伊和神社の比売神(ひめかみ)とも言われていますが、航海安全の神様でもあります。
浅野家の初代が建立されたそうです。

鳥居の額銘は、日露戦争の英雄、東郷平八郎の筆によるものです。
東郷平八郎は薩摩藩士でしたが、「天気晴朗なれども波高し」の「トーゴーターン」戦術で世界一のバルチック艦隊を全滅させ、日本軍を勝利に導きました。
この功でのちに元帥伯爵に列せられ、東京や九州には「東郷神社」まで建てられたようです。
もともと神社と言う所は戦争や軍人と深い関係がありますからね。

最後に。
「ひめ」とはかなしいもの。

ここに祀られている「姫」も夫君は少し離れたところに祀られている。

我が「小手子」に至っては、夫は奈良県、「小手子姫」は福島県に祀られている。何の運命のいたずらであろうか。大阪の堀越神社に家族そろって祀られているとはいうものの、本人たちは生涯再びの逢瀬はなかった。

ここの姫も、海に向かってただひたすら建っている。帰らぬ夫をただただ待つ妻のように。
彼女にとっては見える船すべてが夫の乗る船にみえるのであろうか。
航行するすべての船を守ってくれているのである。

鳥居の前の参道は海に向かって階段で続いているが、「危険 立ち入り禁止」。







古都超定番の旅(9/2)

















日は結構暇で、どう過ごしたらいいか迷うことがある。かといって遊んでいるばかりではしょうがないが、寝てるか近所の散歩は嫌だし、もともとテレビを見る習慣もないし、、、、と言うわけで出かけることになる。
今回は先週の旅行記を書き忘れたので思い出しながら書くので堪忍願いたい。

京都と言えば、京都駅を出てすぐに目につくのが京都タワー。
高さ131M、市内で一番高い建物で、昭和39年に完成している。
僕も、高校の修学旅行で「見たような気がする」。
近くに東本願寺があって、その形から「お東さんのローソク」ともいわれるそうな。

高さ60メートルの京都駅は、794平安ホトトギスから1200年を記念して計画され、197年に完成した。
他の巨大駅が軒並み200メートル超クラスなのに比べ、景観への配慮からかなり低く作られているという。
それに、結構解放感はある。

まずは、清水寺に突撃した。ここは清水寺の一角。縁結びの神様「地主神社」です。

弁慶が牛若に負けた原因はこの金属製下駄をはいてたたかったからとか。
しかし、この鼻緒にこの足のサイズの足首が入るとは思えない・・・・・

嵐山の手書き友禅の工房。温厚そうな職人さんが絵付けをしていた。
伝統の承継と、新たな創作の発露との間には相当の事柄があるように思われる。
伝統承継には忍耐、芸術発露には個性の爆発が必要だと感じた。

僕は茶道をやらないので、こういう作品の価値は技巧技術の難度に比例するものと思っていた。
それだけではないらしい。

下の写真、左は昔の映画の名優「大河内伝次郎」の何かお屋敷らしい。
偉くなりたいものだね。こういう所に家が持てる。

嵐山駅にトロッコ列車が入線してきました。

展望台から眺めると、桂川は眼下にみえる。こういう所からは原生猿に戻って思わず声を出したくなる」

平成のバスガール様曰く。鴨川のこれは河床(かわゆか)といって、夏場、先斗町界隈からの飲食店が鴨川に床を出しているとのこと。ま、いわゆるビアガーデンですな。やっぱり夏はこれですわ。

金閣寺にやってきました。 
入口に掲げられた、五用心の戒。

平安神宮はとにかく広い。美しい。これだけの広さと美しさを確保するためには、今の時代税金どれだけ必要?

臥龍橋。こういうのは昔から好まれていました。
杭の頭を並べたような歩廊です。


2012年9月6日木曜日

やっぱりマイケルが最高!!


http://www.youtube.com/watch?v=idg8TNknvDU&feature=related

このブラック・オア・ホワイトもいけてるし、We are the Worldは本当に素敵だ。
僕にはこれ以上のスターはいない。

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僕たちは地球に守られている。
地球を守ろう!! なんて神様みたいなことを考える必要はない。
地球は、人類ごときに傷つけられるようなヤワなものではない。

宇宙が無限に広がっているように、
地球も無限の力に満ちていることを信じよう。

石油を全部焚いてしまっても、
原発が全部爆発しても、
地球は変わらないだろう。

変わるものがあったとしたら、それは一体なんだろう?
発展と生成はいつの世にも続いていくものだろう。
人類もそのように成長していってほしいものだ。

2012年8月30日木曜日

古代史は面白い

蘇我馬子と聖徳太子などによって殺害された崇峻天皇。
その聖徳太子だって、馬子の父、蘇我稲目から見れば孫同士の子、つまり蘇我家から見ればいとこ同士。
聖徳太子も、その子山背大兄王ともども実家の蘇我家によって殺されている。
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近親相姦と親族殺し、これは古来日本上流の保守本流のようである。

その頃「平民」はいたのかというと、封建時代までは民は土地の付属物であって、稲や大根と一緒で「土地に生えているもの」扱いだから、「人間」の権利など存在すらしていない。
ただ、戸籍台帳そのものがなかった時代は、『まつろわぬ民』すなわち山姥、ヤマタノオロチ、九尾のキツネや白狼、と言われるような部族も大勢いたものと考えられる。
彼らの社会はどうだったのか、一切わからない。
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とにかく、離合集散、骨肉相食むのが日本の歴史だから、雑多な党から自民党ができ、それが様々な政党に分かれてやがて民主党ができ、またまた大同団結したり、情も理屈もないのがこの世の常のようだ。
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物部、中臣、大伴などの神道系旧勢力は、蘇我系の新興仏教勢力によって窮地に追いやられたが、やがて中臣・大伴連合軍によってクーデターが起こされ、再び神道系の天智の世に戻ったことがある。
どっちにしても、これは上層での話。一般人にはかかわりのねぇことでござんす。

現代においては、自民公明などの宗教勢力が、民主などの非宗教勢力によって一時乗っ取られたが、再び宗教系が復活するのだろうか。
あ、今の野田民主党はれっきとした拝金教教団。宗教系である。
これも、我々にはかかわりのねぇことでござんす。
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かかわりがないからこそ、古代史は面白いのだ。



2012年8月26日日曜日

夕方、急ぎ足で、寄った六甲山です


神戸六甲山の山頂周辺には高級別荘群が立ち並んでいる。
ぽつぽつ白くゴミのように見える。

眼下には神戸の街並み、瀬戸内海、遠くに白く光っているのが大阪都であるらしい。

2
摩耶山天上寺の境内です。
「日本第一女人守護」ということで、中には摩耶夫人が祭られております。
摩耶夫人とは、ご存じのとおりお釈迦様の母君。
夢で白い象に犯されて、脇の下からお釈迦様を生んだ・・・・という。

これは拝殿。
昔はいろんな天皇が願掛けに来たらしいです。 
天ちゃんたちも、同じ人類の一人。やっぱりいろんな悩みを抱えていたんだね。
花山天皇勅願寺。
正親町天王勅願寺…。
この階段の数位の「煩悩」があったんじゃないかな。
孝徳天皇勅願寺。
この人って、大化の改新の前の時代だよ。つまり蘇我入鹿の時代。
天皇って、昔から悩み多き存在だったのかもしれないね。

大化の改新でようやく蘇我氏から天皇家が実権を取戻したかに見えたけれど、すでに実態は当時の天ちゃん一族はみんな蘇我氏一族でもあるし・・・・

大化の改新で天智や天武が実権を掌握したかに見える中で、本当の実利を占めたのは春日神社の中臣家。その時から現在まで、途中途切れはあったにしても、形式上近衛家を代表とするような「藤原家」がこの国を実効支配している。

孝徳天皇のちょっと前に蘇我馬子に殺された崇峻天皇だって、天皇に実権があると思い込んで、「朝鮮出兵!!!」と称して九州あたりに兵を集めているうちに、悲劇!!!、本当の実力者に殺されてしまった。

孝徳さんあたりは、本当の「親」、本当の「実力者」が誰であるか当然知っていたからね。
「仮面をかぶった人生・・・」・・・なんて思っていたかも。中大兄ちゃんは従弟だし。中大兄ちゃんも相当フラストレーションがたまっていたんでしょう。

でも、今度こそ崇峻天皇の仇!!!!!とばかり蘇我家を打ち滅ぼしてしまいました。
偉い!! 今度こそ蘇我氏をやっつけたぞ!!!

道路からの入り口。摩耶山天上寺とある。

今日はいっぱい勉強したね。世の中理屈じゃないね。

これは六甲山の天覧台から見た神戸、大阪、瀬戸内海。

六甲山~有馬温泉周辺は花崗岩地帯。
風化が強いと、マサ、真砂と呼ばれる砂になってしまい、写真のような荒涼とした風景が随所にみられる。
これが、世界港神戸の景観づくりに役に立っているわけだ。

2012年8月19日日曜日

書写山円教寺に行ってきました

平安の966年に性空上人によって開かれたといわれる、姫路地域最大の仏閣だそうで西国27番の札所とか。  西の比叡山とか云うそうで、想像するだに山の中雲の中なんですが…   この次は比叡山かな?


ロープウェイ入口の駐車場は無料ですが、高速のトンネルの近くなのでこんな感じです。
登山道はわかりにくいし、初めてなのでロープを使うことにしました。片道500円、往復900円です。

ケーブル駅の様子は写真撮り忘れてしまいました。 上の写真の橋げたに隠れてわずかに映っています。
山上駅を降りたら鐘突き堂です。慈悲の鐘というそうです。

山門までの巡礼道はこんな感じです。

ロープウェイの中でも案内があったのですが、ちょうどよく見えるところの圃場に何やら絵が描かれています。姫路城をかたどったらしいのですが、僕にはとんと・・・・

これが仁王門らしい。山道の途中に門だけが建ってます。さすが山岳道場というか。門だけがあります。

間もなく寿量院に至ります。ここでは精進本膳料理のほか、茶がゆや抹茶などの供用もあるらしいです。
伝説の料理が味わえるかもしれないです。
この 寿量院 と妙光院が塔頭寺院で、宿泊や精進料理などの食事ができるようです。このほかの宿泊施設に円教寺会館もあるし、休憩には「はづき茶屋」などもある。


金論院跡の円教寺会館です。宿坊として今でも使われています。
せっかくなら一泊して山寺の雰囲気を心行くまで味わいたいものですね・

こちらは山主さまのお屋敷のようです。



そうこうしているうちに、摩尼殿まで来てしまいました。如意輪堂ともいうそうです。京都の清水寺みたいな舞台づくりで、かっこいいです。現在の建物は昭和8年に再建されたものです。


上はこんな感じです。


この花って何の花?

裏手に拝観順路があります。
僕は少し天邪鬼をして、少し遠回りをしたいと思います。

白山権現なる場所を通る遊歩道をゆくことにしました。

途中は誰もいない山道で、真夏の晴天の昼間なのにうっそうとした山道を少し上ります。
権現信仰とは不思議なもので、神か仏かわかりません。山岳信仰、山伏の世界かもしれません。
鳥居がありましたので、とりあえず2拝2拍手1礼・・
下の写真には、このお寺ができる前にはスサノオノミコトを祀る祠があったとか。
ここから、スサ山、書写山となったとか。


あちこちに「塔頭」と云われる○○院がある。この千岳院は現在は使われていないようです。



大講堂、食堂(じきどう)に出た。
今も昔も食は大事である。
とくに現代社会では、放射能の混入まで問題になる。
このじきどう食堂は、今は骨董品展示場兼保管庫になっている。

下の写真の大きな建物が食堂です。
次が大講堂。食堂の隣にある。わが大学でも、大講堂の隣にそういえば食堂があったっけ。
食は人間生活のまず基本中の基本である。

次は食堂の裏手。

じきどうの中にはこのような鬼瓦や、数々の仏像、そのほかの文化財が保存されている。
写真は大変明るく映ったが、本当は薄暗いです。ノーフラッシュで感度を上げてとったので明るく見えます。

開山堂と言われる一角には、護法堂、お不動さんの化身と毘沙門様の化身が開山の修業を見守ってくれたということらしいです。関東で見た神社の様式に似ているようで違うようで、・・・・・


開山の性空上人が祭られている開山堂。左甚五郎作の力士像があるというが、僕は何となく通り過ぎてしまった。



金剛堂。広々とした園地の中にひっそりとたたずんでいる。

金剛堂の近くには展望台があって、姫路の街並みや瀬戸内海が見渡せる。
一人じゃ詰まらんし、姫路の町も見たことない人間には、「あっ、そう・・・」である。

鐘突き堂がこんなところにありました。

塔頭の一つ瑞光院。カエデの木が大きく育っていた。

でもこの日見る限りでは廃寺である。左の塀もご覧のとおりです。
妙光院は、現在も使われているらしい。 門の明かりがついていました。


これでお寺さん参りは終了。 帰りはロープウェイ往復買っていたけど歩くことにしました。

海の向こうには淡路島。いいところですね。

帰り道は2キロ程度。
山は凝塊角礫岩(Tb)が一面に露出していて、思ったより滑りにくいので歩きやすい。



この下、ケーブルカー駅まで住宅街などを通るのだが、このブログは道案内ではないのでここでおしまいにします。

今日は天気が良くて、すごく暑かったです。
帰りに「太陽公園」なるところも見てこようと思っていたのですが、今日の車のナビが割合使いにくいというか、・・・・あきらめて帰りました。

このナビ、来る時も、ちゃんと「書写山円教寺」と頼んだのに、変なところに案内されてしまいました。
トヨタ車のレンタカーだからかなぁ・・・・・?
僕はやっぱり日産が好きです。
頼り過ぎはよくないようです。