別にいじめられたわけでもないし、勉強が苦手だったわけでもなし、現代社会で言われるような不登校の理由は全くなく、僕は結構不登校生だった。
小学校低学年児、勉強は楽しかった。掛算九九なども必死になって覚えようとしていたし、鶴亀算などに悩まされもした。しかし、勉強は好きだったし、教室でも友達がたくさんいて、学校嫌いになる要因は何もなかった。だけど、学校の隣に裏山があって、その山が大好きだった。仲間も他にいた。で、学校より山が好きになって、低学年の頃はよく山学校をしたものである。授業中にこそこそ教室を抜け出そうとして先生につかまったこともある。
僕は学校が大好きだった。
こんなことでも、今の社会では「不登校」というのだろうなぁ。
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高校生の時、2学年の2学期から卒業まで不登校で過ごした。なぜか卒業は普通にできた。
この時も、学校に不満があったわけでなく、友人たちに恵まれなかったわけでもない。
この時は、連続購読を始めた文芸全集(新潮社世界文学全集毎月刊、中央公論社世界の思想全集毎月刊)の購読をはじめたら学校に行く時間が無くなったからそうなったまでのことであった。
一日24時365日間読書三昧の日々。
高校のほうでも何を見ていてくれたのか、出席しなくても点数を呉れて卒業させてくれたのは、後で考えると感謝感激であった。
もっとも、東北大学に進学した時には高校の先生もあきれ顔で相手にしてもらえなかった。落ちこぼれ高校だったからかどうかは知らない。合格を喜んでもらえるかと思って母校を訪ねたのだが、合格を祝ってくれる「恩師」の居ない高校。。。寂しく学校を背にした記憶がある。
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はっきり言って、僕は「不登校生」だった。
小中学校で、可愛い女の子や貢物を呉れる家庭の子等を大切にする嫌な先生たちを見てきたせいか、教職は嫌いだった。
だからと言って、全部が全部ではなく、立派な先生、愛すべき立派な先生方もたくさんいた。
でも、僕は不登校をした。
他にしたいことがたくさんあったからだと思う。
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現代の教職の皆さん、父兄の皆さん!
不登校を「悪」とか「弱者」とか決めつけないほうがいいと思いますよ!!
それよりも、学校をもっと楽しく、学び甲斐のあるものに変えていってくださいね。
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