2012年9月9日日曜日

赤穂に来ました


まずはなんといっても、塩サイダー。
祥吉のプレゼントでもらっちゃった。
帰ってからウィスキーの炭酸割に使ったら、是がまことに美味!!!
因みに、340ml3本で510円とか。(通販情報)


駅のそばの蕎麦屋さん。さすがに赤穂は時代がかっています。
だけど、機械仕掛け人形の悲しさよ。 椀のお蕎麦は口元までは運ばれるのですが、けっして喉を通ることはありませんでした。(涙)

大石内蔵助と赤穂四十七士の合言葉は、なんといっても大願成就。
武士の本願は「死ぬことと見つけたり」
現代人にはこんな『大願』などいらないでしょうね。

封建時代の当時は、進んでも地獄引いても地獄、動かなければ不動の地獄だったのですからね。
男も女もつらい時代でした。
命がけで果たしたのは「名誉回復」のみ。人生辛すぎでした。

赤穂城跡にある大石神社の参道には四十七士の像が立ち並んでいます。
東京オリンピックのころだったっけ? 大河ドラマで放送されたのは。
あの頃の僕はまだ中学生位だったけど、全員の名前と役割を覚えたものです。
今になると役者さんの名前すら思い出せませんでした。

赤穂温泉のすぐ近くには、海に向かって伊和都比売(いわつひめ)神社があります。
播磨の国一宮の伊和神社の比売神(ひめかみ)とも言われていますが、航海安全の神様でもあります。
浅野家の初代が建立されたそうです。

鳥居の額銘は、日露戦争の英雄、東郷平八郎の筆によるものです。
東郷平八郎は薩摩藩士でしたが、「天気晴朗なれども波高し」の「トーゴーターン」戦術で世界一のバルチック艦隊を全滅させ、日本軍を勝利に導きました。
この功でのちに元帥伯爵に列せられ、東京や九州には「東郷神社」まで建てられたようです。
もともと神社と言う所は戦争や軍人と深い関係がありますからね。

最後に。
「ひめ」とはかなしいもの。

ここに祀られている「姫」も夫君は少し離れたところに祀られている。

我が「小手子」に至っては、夫は奈良県、「小手子姫」は福島県に祀られている。何の運命のいたずらであろうか。大阪の堀越神社に家族そろって祀られているとはいうものの、本人たちは生涯再びの逢瀬はなかった。

ここの姫も、海に向かってただひたすら建っている。帰らぬ夫をただただ待つ妻のように。
彼女にとっては見える船すべてが夫の乗る船にみえるのであろうか。
航行するすべての船を守ってくれているのである。

鳥居の前の参道は海に向かって階段で続いているが、「危険 立ち入り禁止」。







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