このことについて、In DeePというサイトで絶妙なことを述べていて、とても同感しました。
----------以下引用です--------------
http://indeep.jp/era-of-expansion-and-chain-of-hatred/
私の父親は定年まで小学校の教師をつとめた真面目な人でしたが、タワシは、じゃない、私は、小学校時代を含めて学生時代に、父から「勉強しなさい」と言われたことは一度もありませんでした。
ただし、父親は、「女の子や弱い人をいじめたり、差別するようなことだけは絶対にやってはいけない」と、よく私に言っていました。
というか、それ以外のことで、父親から「○○をしなさい」と言われたことはないです。基本的に、ほとんど自由にさせてくれた父親でした。
そういう父の言いつけは、ある程度守って生きてきたと思います。
まず、「勉強をしない」ということは徹底していて、私は家で勉強した記憶がほとんどありません。受験の時も勉強したという記憶がほとんどないですので、「家で勉強をしない」ということだけは守り通した学生時代でした。
教科書のたぐいは、中学高校では、確か学校の机の中に入れっぱなしでしたので、手ぶらで登校できていたように記憶しています。
そのようなこともあり、私は自分の子どもにも、家ではなるべく勉強をしないように勧めています。
学校ではともかく、子どもは家で勉強するよりも、それがどんな下らないことであっても、自分の興味のあることに熱心であるほうがいいと思っています。
それと共に「小さなときは勉強しないほうが成績が上がる」ということを、私自身は経験則として真理だと思っています。しかし、それに対しての理由付けはできないだろうなあと思っていたのですが、過去記事の
という記事で書きましたが、ルドルフ・シュタイナーが「詰め込み教育は、子どもの能力の成長を阻害する」ということを 1912年の講演で述べていたことを知り、「ちゃんとした理由もあったんだなあ」と納得した次第でした。
シュタイナーは、小学校に詰め込み教育が導入されたら、もうお終いだというようなことを述べていましたが、それは今、日本では特に現実となっています。
実際、日本が本格的に「詰め込み教育 + 塾」という狂気の世界に突入して以来、日本の学力は落ちる一方です。
東京大学の世界ランキング
2005年 16位
2006年 19位
2007年 17位
2008年 19位
2009年 22位
2010年 26位
2011年 30位
2012年 27位
2013年 23位
2014年 23位
2015年 43位
ついには、最近は、東京大学がアジア大学ランキングで7位に転落という報道もあり、日本の学力低下はかなりのものですが、詰め込み教育が続く限り、この傾向は止まらないと思われます。
----------引用終わり-----------
僕も中学の時一度だけ勉強---つまり「予習」をしたことがあります。その結果翌日の授業が色あせてしまい、教室が全くつまらない牢屋のように感じたものです。時間を無駄遣いしないためにも、ぼくは勉強(予習と復習)をしなくなりました。
高校はもっとひどかったです。ほかのいろんな理由もありましたが、高校2年の中頃から不登校を始めてしまいました。その代りよく運動をし、文学書、哲学書などを読み漁り、聖書なども宗教には興味がないもののこれがわからないと世界の人々のことがわからなくなるという理由で何回も読み返したものです。充実していましたね。
大学も入学したとたんにバリケードで封鎖されてしまいましたから、「勉強しない」がそのまま一生続くことになってしまいました。(爆)
それはそれでいいんじゃないかと思っています。
AI入試なるものが誕生したのはその後でした。
佐藤栄作の中教審答申以降、大学には小学校並みに「ホームルーム」が作られ、ままごと学校が始まりました。AI入試は、人の能力はペーパーテストでは分からないという理由で裏口入学や大学生の世襲化をもたらし、どんどん劣化が進みました。
今の時代は、出来の悪い坊ちゃん嬢ちゃんたちを「高級」と言われる大学に無理やり詰め込んで単なる「箔付け機関」にしてしまったようですね。
結論。詰めすぎはよくない。
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