幻の成長戦略
現代資本主義は「企業の成長」や、「弱肉強食」、進化論的「適者生存」などを信条としている。
地球は小さな宇宙船と同じであるといわれてから久しいが、狭い地球の中で成長しようとすると、最終的には単独支配を目指さざるを得なくなり、他者を押しのけて頂点にたっても、それまで押しのけられた者たちの「亡霊」に悩まされることになる。
つまり、やがて「単独支配者たち」が膨れ上がって、新たな「弱肉強食」が始まり、「適者生存」の闘争が引き起こされるのは必至だからだ。
行き着く先はこの世の地獄。
お互いに食い合い、殺し合いする以外に「生きる道」はないからだ。
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アベノミクスを批判するつもりはない。
「幻」を批判しても始まらない。
ただ、日本経済の成長は99パーセント「幻」であることが明らかになりつつあるのだ。
「成長」のために「侵略」すべき領域が小さくなり、今や飢えたタコのように自分の手足、国民自体を餌にし始めている。
自国民の中で、「選民」と「賤民」を分化し、選ばれし者たちの中で富を再分配しようとしている。
すでに、支配者たちは非支配者たちと異なる言葉を用い(非支配者はそれを「ウソ」といい、「言行不一致」という)、お互いに理解し合うことができなくなっている。
人種の分化は現実のもの。
お互いに見ている世界が違うのだ。
偽りの選挙、偽りの議会で偽りの法律を作り、偽りの政治・経済を推し進める。
これが現実の、真実の世界なのだが、誰でも気づいていながら気付かないふり、バーチャルな現実の中でなすすべなく騒いでいるといった状況だろう。
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神は死んだのである。
「産めよ増やせよ、自国民のみ栄えさせよ」といったバイブルの神は、「成長戦略」の中で自身の悪魔性を暴露して死んだ。
棲み分けるしかないのである。
今日より明日は豊かな良き日を求めるのは「幻の成長」でしかない。
そういう意味では「子孫繁栄」は幻なのだから、僕たちは異なる価値観を生み出し、異なる「成長」を生きなければならないと思う。
2016年6月24日金曜日
2016年6月18日土曜日
僕も赤坂の今井だが・・・・
京丹後市峰山町赤坂字今井 赤坂今井墳丘墓
赤坂今井墳丘墓。
何気に驚きである。
京丹後市峰山町から日本海に向うと網野町との境付近にあり、
17号線の赤坂今井交差点のすぐ南に位置している。
古墳のことに関しては こちら が詳しい。
古墳時代というより弥生時代末期の巨大豪族の墳墓らしい。
僕としては丹後由良に興味があったのだが、俄然ここのことをもっと調べたくなった。
蜂子皇子の出羽への出港に繋がる何らかの手がかりになると思った。
2016年6月15日水曜日
ならず者国家 アメリカ万歳!!
毎日一人が銃によって死んでいく国アメリカ。
この国から、我々は何を学べばいいのだろうか。
決してアメリカの真似をしてはいけない。
参考
この国から、我々は何を学べばいいのだろうか。
決してアメリカの真似をしてはいけない。
参考
2016年のアメリカでは銃乱射だけで1日1人以上が死亡している
はるか中東や極東にまでやってきて、縁もゆかりもない人々を殺し続けるアメリカ。
自国内でもこのありさまである。
フリーメイソンによって寄付された「自由の女神」を国の象徴とする国アメリカ。
国家の暴力からさえ身を守るために子供でも銃を持つ国アメリカ。
インディアンに受けた恩に報いるために、恩人を皆殺しにした人々の国アメリカ。
今日の第一記事に先祖殺しの明治天皇を書いたが、恩人殺しのアメリカといい勝負かもしれない。
映画ローンレンジャーに出てきたレイサム・コールやブッチ・キャヴェンディッシュは一人しかいなかったのではない。アメリカ実業家全てがレイサム・コールでありブッチ・キャベンディッシュなのだ。それくらいひどい国と思ったほうが正解に近い。
アメリカには自由がある。人を殺してもいい自由だ。
アメリカには民主主義がある。うそで飾った民主主義が。
アメリカは法治国家である。そう、無法という名の法が治めている。
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日本の神々が死んだとき
日本の仏教公伝は552年とか538年とか言われています。天皇でいえば欽明朝です。
記紀でも最初は恐る恐る臣下に信仰を許したと書かれています。
その後、物部守屋討伐戦争で、聖徳太子が四天王寺を建立したことが書かれ、一気に天皇家および国家の護持するところになっていった。
その後の天皇家の仏教狂いはすさまじいほどだった。
塔頭という皇族方のお寺の数もすごいものがある。
その天皇家が、明治維新でお寺を捨てた。
廃仏毀釈である。
それまでお寺であったものが神社になった。
仏教の本尊が、神道の神々に入れ替わった。
きっと、明治天皇とその取り巻きたちは、過去を断ち切りたかったのであろう。
明治維新で、日本の神々は死んだ。
本地に垂迹した仏教の神々に入れ替わって、キリスト教もどきの仮面をかぶったのだ。
そして、綿々と続いてきた天皇家を殺し、京都を捨てた。
記紀でも最初は恐る恐る臣下に信仰を許したと書かれています。
その後、物部守屋討伐戦争で、聖徳太子が四天王寺を建立したことが書かれ、一気に天皇家および国家の護持するところになっていった。
その後の天皇家の仏教狂いはすさまじいほどだった。
塔頭という皇族方のお寺の数もすごいものがある。
その天皇家が、明治維新でお寺を捨てた。
廃仏毀釈である。
それまでお寺であったものが神社になった。
仏教の本尊が、神道の神々に入れ替わった。
きっと、明治天皇とその取り巻きたちは、過去を断ち切りたかったのであろう。
明治維新で、日本の神々は死んだ。
本地に垂迹した仏教の神々に入れ替わって、キリスト教もどきの仮面をかぶったのだ。
そして、綿々と続いてきた天皇家を殺し、京都を捨てた。
2016年6月8日水曜日
蜂子皇子
出羽三山の開山は1400年以上前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本脚の霊鳥に導かれ、羽黒山(414m)に登拝し、羽黒権現を感得、山頂に社を創建したのが始まりとされている。
皇子はさらに月山権現、湯殿山権現を感得し、三山の開祖となったという。
行人塚と即身仏
この写真は湯殿山神社の参道入り口の鳥居だが、実は鳥居の右側に行人塚がある。
パンフレットによると『湯殿山の一世行人は、一生浄火で生活し、肉食妻帯はせず、厳しい参籠修行をおこなうのが特色で、中には3000日、5000日の行を積む人もありました。これらの行者の入定の場だったのが行人塚。現在庄内地方には6体の即身仏が確認されています。』という。
即身仏になるのは大変である。命がけである。それでもなれるかどうか怪しい。
『即身仏になるための修行とは』 には次のように説明している。
湯殿山の仙人沢で山籠りを行う
↓
千日行という千日単位の厳しい修行を行う
↓
五穀断ち、十穀断ちの木食行を行う
↓
生きながらにして土中入定する
↓
土の中で鉦を打ち鳴らし読経しながら即身成仏する
↓
三年三ヶ月後に掘り出される
↓
衣を着せられ厨子に安置され、即身仏として祀られる
ということらしい。
詳しくは上記の記事を読んでほしい。
ちょっとやそっとの「決心」でできるものではない。
冒頭の写真は蜂子皇子と言われているが、どうやら「入定」前のお姿と思える。
蜂子皇子は日本書紀にも登場するが、小手子皇后の子は1男2女とされている。
ただ、蜂子皇子は第三皇子との説もある。
それはともかく、羽黒山から月山、湯殿山の一帯は非常に険峻な地形を形成しており、尋常の人間の立ち入るところではない。ぜひ現地に行って、そこがどんな場所か感得してほしい。
しかも、冬の雪は10メートルを優に超えるところなのである。
誤解してはいけない。「人里」では決してない。
ちょっとやそっとの「決心」でできるものではない。
冒頭の写真は蜂子皇子と言われているが、どうやら「入定」前のお姿と思える。
蜂子皇子は日本書紀にも登場するが、小手子皇后の子は1男2女とされている。
ただ、蜂子皇子は第三皇子との説もある。
それはともかく、羽黒山から月山、湯殿山の一帯は非常に険峻な地形を形成しており、尋常の人間の立ち入るところではない。ぜひ現地に行って、そこがどんな場所か感得してほしい。
しかも、冬の雪は10メートルを優に超えるところなのである。
誤解してはいけない。「人里」では決してない。
2016年6月7日火曜日
出羽三山のこと
山形県には 温泉 が多い。
なんでも、温泉がない町はないそうである。
昨日、参照先でアップしていたので、この写真は出してもいいだろう。
湯殿山である。
芭蕉の句に「たもとを濡らす」云々とあって、想像をたくましくする向きもあるようだが、ここは日本修験発祥の地ともいえる土地であり、ミイラ信仰、即ち即身仏、生まれ変わりを実践しようという、壮絶な修行の場なのである。
厳しい修行で有名な「羽黒派古修験道」によって「擬死再生」を果たすのである。
昔は、男子15歳になると「お山駆け」と言って参籠することがあったという。
即身仏になるためには体脂肪をゼロパーセントにし、体中の水分を出し切って、なおかつそれまで生きて修行しなければならない。
難しいことは抜きにして、今日は出羽三山の紹介をしてみる。地元の観光パンフレットから拾ってみた。
----------引用はじめ----------
出羽三山奥参り
1400年前に、蜂子皇子によって開かれた出羽。山は羽黒山、月山、湯殿山からなり、それぞれの祭神を祀っています。
月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあり、通年の参拝や参籠が困難なため、羽黒山頂に三山の神々を合祀しました。2446段の石段と、3つの急坂から成る荘厳な杉並木はすなわち神々に至る道なのです。
羽黒山
今から約1400年前の推古元年(593)、第32代推古天皇の第一皇子蜂子皇子が羽黒山を開かれたのが出羽三山の始まりである。
羽黒山は三山の神々を合祀するお山であると同時に、ご開祖蜂の子皇子が創立された「羽黒派古修験道」の道場として今に伝える。
月山
月山は標高1984m、出羽三山の主峰として秀麗な姿で聳え立っている。
西側の急斜面は深い峡谷に囲まれ、近寄りがたく、東側は穏やかな斜面で、高山植物が群生している。
古くから霊峰とあがめられ、人々の厚い信仰を集めてきた。
山頂に鎮座する月山神社本宮は、延喜の制による名神大社で東北唯一の官幣大社であった。
御祭神は「月読命」で、月を象徴する神である。
湯殿山
古来、出羽三山の奥宮とされ、修験道の霊場であり、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界である。
湯殿山は月山南西山腹に連なるなだらかな稜線を持つ山で、湯殿山神社本宮は清冽なる梵字川の流れのほとり、幽玄なる峡谷中に鎮座している。
-----------引用終わり---------
ちなみに、羽黒山の合祭殿前の御手洗池は羽黒神の影向する池として鏡池と呼ばれ、平安鎌倉時代に奉納された銅鏡が埋納されている。
ちなみに「古鏡」は鶴岡市の名物お土産だが、とても美味しい。
なんでも、温泉がない町はないそうである。
昨日、参照先でアップしていたので、この写真は出してもいいだろう。
湯殿山である。
厳しい修行で有名な「羽黒派古修験道」によって「擬死再生」を果たすのである。
昔は、男子15歳になると「お山駆け」と言って参籠することがあったという。
即身仏になるためには体脂肪をゼロパーセントにし、体中の水分を出し切って、なおかつそれまで生きて修行しなければならない。
難しいことは抜きにして、今日は出羽三山の紹介をしてみる。地元の観光パンフレットから拾ってみた。
----------引用はじめ----------
出羽三山奥参り
1400年前に、蜂子皇子によって開かれた出羽。山は羽黒山、月山、湯殿山からなり、それぞれの祭神を祀っています。
月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあり、通年の参拝や参籠が困難なため、羽黒山頂に三山の神々を合祀しました。2446段の石段と、3つの急坂から成る荘厳な杉並木はすなわち神々に至る道なのです。
羽黒山
今から約1400年前の推古元年(593)、第32代推古天皇の第一皇子蜂子皇子が羽黒山を開かれたのが出羽三山の始まりである。
羽黒山は三山の神々を合祀するお山であると同時に、ご開祖蜂の子皇子が創立された「羽黒派古修験道」の道場として今に伝える。
五重塔は、東北では最古、平将門の創建と伝えられる。
月山
月山は標高1984m、出羽三山の主峰として秀麗な姿で聳え立っている。
西側の急斜面は深い峡谷に囲まれ、近寄りがたく、東側は穏やかな斜面で、高山植物が群生している。
古くから霊峰とあがめられ、人々の厚い信仰を集めてきた。
山頂に鎮座する月山神社本宮は、延喜の制による名神大社で東北唯一の官幣大社であった。
御祭神は「月読命」で、月を象徴する神である。
湯殿山
古来、出羽三山の奥宮とされ、修験道の霊場であり、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界である。
湯殿山は月山南西山腹に連なるなだらかな稜線を持つ山で、湯殿山神社本宮は清冽なる梵字川の流れのほとり、幽玄なる峡谷中に鎮座している。
-----------引用終わり---------
ちなみに、羽黒山の合祭殿前の御手洗池は羽黒神の影向する池として鏡池と呼ばれ、平安鎌倉時代に奉納された銅鏡が埋納されている。
ちなみに「古鏡」は鶴岡市の名物お土産だが、とても美味しい。
2016年6月6日月曜日
今年はサバイバル元年?
フクシマは5年を経過し、一層混迷を深めている。
世界中で地震や火山爆発、洪水などが頻発し、巨大シンクホール、隕石の落下などが多発しているらしい。
ことしはこれらのハザードがより一層威力を増しそうな勢いである。
したがって、僕たちは備えなくてはいけない。何に?
サバイバルゲームが始まったのである。
今朝はもう仕事の時間なので、帰ってから書く。
世界中で地震や火山爆発、洪水などが頻発し、巨大シンクホール、隕石の落下などが多発しているらしい。
ことしはこれらのハザードがより一層威力を増しそうな勢いである。
したがって、僕たちは備えなくてはいけない。何に?
サバイバルゲームが始まったのである。
今朝はもう仕事の時間なので、帰ってから書く。
2016年6月5日日曜日
酒田に来ています
3月11日から6月17までの予定で酒田です。
パンフレット「さかたさんぽ」によると
頼朝によって義経に加勢した奥州藤原氏が滅亡した時、1189年、藤原秀衡の妹(または後室)が36人の遺臣(36人衆)とともに落ち延びてきて、それぞれ船問屋を営んだといいます。
江戸時代には御用商人川村瑞賢が日本中の航路を再編成し、酒田には米蔵が作られました。これがさかた発展のもととなって、今では日和山に銅像が立っています。(宮城県石巻の日和山にも、同様の理由で銅像が立っています。)
稀代の相場師本間光丘は大金持ちとしてつとに有名ですが、天才は飢饉で太ります。
酒田以外では、有名どころで、火事で太った紀伊国屋。戦争太りの三井三菱もいますね。
他人の不幸は蜜の味と言いますから。。。。
現在の酒田市の顔役は養豚業を営む新田様だそうです。公益大学を作ったり縦横無比の大活躍だそうです。
さて、私ですが、そう、何10年かぶりで湯殿山に行ってきました。ただし、「神域」は写真撮影禁止でしたのでありません。
明治になって、それまでの神仏混交から廃仏毀釈になって、開山が皇族ということもあって仏教色を一掃して神社一色に変わったようです。ですから、「山岳信仰」や「修験道」は変わっていないように見えますが、そうでないところもあるように思われます。
僕は、3日前に幼いころの幽体離脱経験からあることを思いついたのですが、ここまで「即身成仏」や「ミイラ」など酷似した内容が重なってくるとは思いもしませんでした。
弘法大師空海などもここで修業されていますが、即身仏の行法は湯殿山で会得したのではないかと思われます。
本殿前で柏手を打って参拝したら、神前の大鏡に自分の姿が映っていました。鏡を見れば、そこには自分しかいないのは当たり前ですが、なんとなく感動しました。
撮影禁止ということですが、ここ にはこうゆうものがありました。参考まで。
(写真は記事に関係ないですが長岡市雪国植物園で見つけた日本春蘭です)
パンフレット「さかたさんぽ」によると
頼朝によって義経に加勢した奥州藤原氏が滅亡した時、1189年、藤原秀衡の妹(または後室)が36人の遺臣(36人衆)とともに落ち延びてきて、それぞれ船問屋を営んだといいます。
江戸時代には御用商人川村瑞賢が日本中の航路を再編成し、酒田には米蔵が作られました。これがさかた発展のもととなって、今では日和山に銅像が立っています。(宮城県石巻の日和山にも、同様の理由で銅像が立っています。)
稀代の相場師本間光丘は大金持ちとしてつとに有名ですが、天才は飢饉で太ります。
酒田以外では、有名どころで、火事で太った紀伊国屋。戦争太りの三井三菱もいますね。
他人の不幸は蜜の味と言いますから。。。。
現在の酒田市の顔役は養豚業を営む新田様だそうです。公益大学を作ったり縦横無比の大活躍だそうです。
さて、私ですが、そう、何10年かぶりで湯殿山に行ってきました。ただし、「神域」は写真撮影禁止でしたのでありません。
明治になって、それまでの神仏混交から廃仏毀釈になって、開山が皇族ということもあって仏教色を一掃して神社一色に変わったようです。ですから、「山岳信仰」や「修験道」は変わっていないように見えますが、そうでないところもあるように思われます。
僕は、3日前に幼いころの幽体離脱経験からあることを思いついたのですが、ここまで「即身成仏」や「ミイラ」など酷似した内容が重なってくるとは思いもしませんでした。
弘法大師空海などもここで修業されていますが、即身仏の行法は湯殿山で会得したのではないかと思われます。
本殿前で柏手を打って参拝したら、神前の大鏡に自分の姿が映っていました。鏡を見れば、そこには自分しかいないのは当たり前ですが、なんとなく感動しました。
撮影禁止ということですが、ここ にはこうゆうものがありました。参考まで。
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