月舘町伝承民話集から引用します。最後の引用になります。
月舘町 伝承民話集
昭和49年4月1日
■発行 月舘町教育委員会
■編集 月舘町史編纂委員会
福島県伊達郡月舘町
■印刷 北 日 本 印 刷
http://is2.sss.fukushima-u.ac.jp/fks-db/txt/10010.003/html/00144.html
月山と刈田山と花塚山
むかしむかし大むかし天照大神のご命令によって月読命たち三人の姉妹が東の国にお下りになった。三人の 神様たちは山形県の月山と宮城県の刈田山と福島県では花塚山とにお鎮まりになる定めだったが、どの方が どの山にお出でになるのかはまだ決定していなかったので、ある日、三人の神様たちがご相談になった。
この三人の神様の中で月読命は一番年下の妹だったがオ智があり話もきびきびした神様だったので、一番上のお 姉様に花塚山は非常に眺めがすばらしくて、お花畑があってとても美しい山ですから、お姉様がお出でにな るには相応しい山ですから、お出でになられては如何でしょうか。と申し上げた。一番上のお姉さんは気質の やさしい、おとなしい神様だった。妹のいうその美しいきれいなお花畑があるということでお花の好きな神様は それでは私がその花塚山に参りますと申し出られました。月読命は次のお姉様に、お刈田山はとてもきれい な山で山頂からは月山も見えますし花塚山も眺められます。とても美しいお山ですが、お姉様お出でになり ませんか。と申し上げますと月山も花塚山も見えるのでは何時も姉妹三人が一しょにいるような山ですから 私が刈田山に参りましょうと仰せられ月山には一番下の妹の月読命が鎮座されたのだといい伝えております。
それで今でも花塚山にはお花畑があり、その花は他所では見られない美しい花だと聞いているが、お姉妹 でも知恵のある一番下の神様が一番尊とい奥の御山の月山にお鎮まりになったのだといい伝えている。
[筆者注] これはこの辺に語り継がれて来た伝承民話であるが、月読命が三人のお姉妹の一番年下の神様だ った事はあり得ない事の様に思われる。古事記には天照大神より月読命に夜の世界をしろし召せと仰せられて東の国にお出でになって月山に御鎮まりになったように記憶しているが、然し筆者は昔の人たちが山形県 の月山と宮城県の刈田山と福島県の花塚山とを三人のお姉妹に結びつけて考えた根拠は何なのだろうか。花 塚山が一番上の姉さんだったという話の中に近々の花塚山を身びいきした。あるいは月山の月読命の信仰が 羽黒山、湯殿山、三山の奥のお山としての尊崇が一番下の妹神であり乍ら月山に鎮座する知恵と温容を連想して選の説話となったのではあるまいか。
高橋嘉久吉編「川俣町史資料」の中に卿社春日神社別当として昔神宮寺という寺格の高い寺があった事は 誰でも知っている事であるが、この神宮寺が花塚山の別当であった事が記されている。川俣町を中心として 最も寺格の高き神宮寺が別当として花塚山に奉仕したという事実はそれだけ花塚山の存在価値を信仰の上か らも充分認めていたからではなかったろうか。
昔の人達がこの話しを聞かせる時、花塚山とはいわなかった。お花塚であって宮城県の刈田山は、お刈田山であり、月山は奥の御山の言葉で表現した。その言葉には親しみと尊敬の心がうかがわれるのである。
だがわれわれには、月山と刈田山と花塚山に関しては前述の様な事しか知っていない。例えば山形県と宮城県 に、むろんその当時県名、県境などはある筈もないし、東国として奥羽の地としての視点からではあったろ うが、三ツの山の相関性を作り出した根拠は出羽三山信仰の基盤とも見られるのではないだろうか。月山、 羽黒山、湯殿山を奥の三山と呼びなしているこの地方の信仰者は更に身近に月山を中心に刈田山と花塚山を 選び神を祀り出羽の三山になぞらえた三ツの姉妹の山としての信仰の対象ではないだろうか。
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(ブログ主曰く)
花塚山山頂付近には出羽三山が祀られています。
ここから北北西の蔵王山刈田山を望むと、その左手はるか彼方に出羽三山があります。
蔵王連峰のいちばん南が不忘山です。
ちなみに、同方向手前には福島盆地信夫山、山頂には出羽三山が祀られており、福島市のわらじ祭りはこの羽黒山に奉納する大わらじを奉納する行事です。
信夫山は、偲ぶ山だったのだと思います。
現在の花塚山山頂付近にはお花畑はありませんが、川俣町側のふもとには町営の公園「花塚の里」があり、ここは往年からの登山道であり、放鹿神社があります。
小手子姫が大和の故郷を懐かしんで鹿を放したことからその名がついたといわれています。
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