劇場型社会といわれる。
7月にローマのコロッセオ円形競技場を見てきたが、ローマ時代の昔から、人はスポーツに熱狂してきた。
コロッセオで行われていた見世物は、単なるスポーツのみならず、人間と動物、人間同士の殺し合いであった。人々は熱狂し、文字通り狂っていった。
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戦時中、フランクルいうユダヤ人は、ラジオの発明を聞いて「これで人々は何も考えなくなってしまうだろう」と言った。
戦後、大宅壮一は、テレビの誕生を見て「一億総白痴化するだろう」と言った。
実際、そこに映し出されるのは様々なスポーツと、さまざまな殺し合いである。大抵はシナリオが準備されている。人が興奮するような筋書きになっている。
僕も昔、電話サービスで様々な情報発信をしてきたことがあるが、一字一句、推敲された原稿があった。
現代の放送、事件などで、綿密に計画されたもの以外は極めて少ないと思われる。
「事故」ですら準備されている場合があることを、心に刻んでおくべきだ。
現代のコロッセオは、あんな小さいものではない。地球規模に広がっているのである。
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