2011年8月26日金曜日

今井町と川俣を訪ねて

先月、南相馬市に住む兄とはからって奈良県を訪ねた。
目的は故郷福島県川俣町の伝説の祖小手子姫ゆかりの土地飛鳥の地を歩くこと。
小手子姫は聖徳太子の時代の崇峻天皇の妃です。

崇峻天皇は蘇我馬子によって殺害されました。
この二人は、おそらく朝鮮出兵を巡って、食うか食われるかの関係にあったのでしょう。

小手子姫は、聖徳太子の力によって東北は川俣の地に逃れ、二人の子供たちは山形県月山へと流され出羽三山を開きましたが、最期まで親子が再会することはありませんでした。

小手子姫は故郷奈良の地を懐かしみ、川俣町の東山に鹿を放ち、放鹿山(花塚山)と名付けました。
また、山上には出羽三山を祭って遠くの子供たちに思いをはせました。
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わが今井家は、祖父ちゃんが川俣町の南の入り口、木幡神社のふもとで生まれました。
川俣町の伝説を思い、飛鳥の地、斑鳩の里を見つめているうちに、今井家と古代社会との関連もあるかもしれないと妄想するようになりました。

千葉市には今井神社と蘇我ヒメ神社が隣り合ってあったりします。これも勝手解釈で古代に結びつけることにしました。

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橿原市今井町。
桜井市崇峻天皇陵。
聖徳太子の法隆寺。
崇峻天皇を祭る大阪の堀越神社。
これらを見学し、場合によっては僕の終の棲家を考えてみようということです。

まず、橿原市の橿原神宮。
とても広々とした立派なところですが、思ったより人が少ないのでゆっくり参拝することができました。
写真の人物は僕の兄です。

宿は明日香村にとりました。
明日香村は蘇我氏の居住地です。
橿原市の東に畝傍山があり、その東が明日香村です。
近くには有名な石舞台古墳があります。
一体誰の古墳なんでしょうか。



民宿若葉のすぐ近くに岡寺というお寺があります。
到着が早朝だったことから、時間があったので境内を散歩しました。
そしたら、なんということか、僕たちは初めから面喰ってしまいました。
なんと、山主様の名前が「川俣さん」だったのです。


橿原市今井町のすぐ南西に川俣(河俣)神社があります。
漢字の若干の違いは問題にならないようです。近くに説明版にはちゃんと川俣と書いてあります。
また、福島の川俣町にも、昔は「河股城」があったとされています。

式内社 大和國高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社 大 月次新嘗
式内社 大和國高市郡 川俣神社三座 並大 月次新嘗
旧村社

やっぱり、今井家と川俣町には深いつながりがあるようです。



桜井市には崇峻天皇の陵墓があります。
当然天皇家の持ち物なので中に入ることはできません。
この近くには今井谷という集落があります。


東大阪市には、崇峻天皇を祭った日本唯一の神社堀越神社があります。
動物公園と隣接しています。
この街には川俣という町内があります。

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橿原市の今井町です。
この町は昔、今井某という方が開いた街だそうです。
奈良の富の大半を生み出した時代もあるとのこと。

堺の鉄砲商人で茶道の三久の一人としても知られる今井宗久も当然かかわりがあったようです。
ひょっとしたら、僕たちと今井宗久はルーツが同じかもしれないですよね。そう考えると楽しいです。


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いっぽう、ここは聖徳太子の寺法隆寺。分けても有名な夢殿。
何年か前に、東京上野の国立博物館で「・・・・絵伝」という凸版印刷と合同の映像展覧会がありました。
中のことに関しては、その時の映像を思い浮かべるしかありませんが、感無量です。

聖徳太子のことに関しては、京都大学の梅原猛が発表された論文が有名ですね。
そういう意味では、怨霊の巣窟みたいなとらえ方ができるかもしれません。
僕は何も感じませんでしたけれけど。




法隆寺の裏手に二つのお寺があります。
法起寺と法輪寺です。

この濁った池は法起寺の池です。
可愛い花が咲いていました。不思議な植物もありました。
世界はワンダーランドです。様々な不思議でいっぱい詰まっています。


東大寺には、日本人の夢がいっぱい詰まっています。
当時の日本で、こんな大きな鋳物が作れたんですよ。
この国にも、高いところなど恐れない建築士さんたちが大勢いたようです。



お水取りで有名な二月堂です。これまた景色もいいんです。



放鹿山・・・・・若草山です。
福島の花塚山公園には、今、鹿はいませんが、奈良公園から東大寺周辺は鹿だらけ。
お猿さんはいないので安心です。


今回は春日大社の中には参りませんでした。
自分は前にも見ていたのでこれで十分です。



2泊3日の奈良の旅は終わりました。
兄は高校時代の修学旅行を思い出していたようです。
同時に懐かしい顔ぶれを思い出したことでしょう。

後で言っていました。・・・ 「明日香村みたいなところに住んでみるのもおもしろいかも」と。
僕も、小さなアパートを借りておくのも悪くないな、と思いました。

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いよいよ最終日、帰り道は伊勢神宮に寄り道しました。


今回のテーマについては、今少し温めておきたいなと思っています。

2011年8月24日水曜日

福島で起きていること

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地面の亀裂から水蒸気・・・・・・

2011年8月21日日曜日

未来の世界?

http://www.qetic.jp/blog/pbr/files/2011/05/6e6a168e.jpg

J.タイターなる2036年から来たという人物が、2000年ころに存在し、2020年ごろの日本やアジアなどの国際地図をのこしたという。
2000年頃に書かれたという2020年ごろの日本地図が上記のところにある。

今回の福島第一発電所3号機の「核爆発」(ジョン・ガンダーソン)、未来の事象、国家崩壊など不鮮明な内容が多い中なのだが、この地図には妙な説得力がある。


2011年8月18日木曜日

て結論づけました

この期に及んで観光誘客ですか

東日本大震災と福島原発の暴走で海外からの観光客が激減した。
これを何とかしようと、観光誘客を焦る人々がいる。 旅行代理店、ホテル、土産や秋葉原電気街などである。
二言目に出るのは「安全・安心」という言葉のようだ。

この期に及んで観光誘客ですか。

そもそも、安全・安心をPRしなければならない「観光」ってなに??


2011年8月16日火曜日

政界はというと

2年前の日米民主党同時革命によって1月にアメリカで、9月には日本で民主党政権ができた。
鳩山政権は党内外の反小沢勢力によって追い出され、実質「民主党」ではなくなり、あいまい菅が総理となった。彼は党内の反小沢の急先鋒役を演じた。
そこに東日本大震災、福島原発危機である。

そして今、野田氏が自公と連立して政権を立ち上げようとしている。

この一連の流れを見ていく限り、佐藤・田中といわず中曽根といわず、小泉といわず、悪徳の限りを尽くした自民党政治と決別したかに見えた民主党政権であったが、獅子身中の虫、前原、野田以下もともと「心は自民党」派によって、「今までの騒ぎはなんだったの?」的にあの忌まわしい(はず?)の自民党政治に帰らんとしている。

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所詮「政党」なるものの力を誤って信仰していただけといわざるを得ない。
国家という組織を実際に動かしているのは官僚組織であることが、この一連のプロセスで明らかになってきたと思われます。


官僚組織の中枢は、宮内省と外務省、それに財務省です。
特に前2者はかなり世襲的家系によって運営されています。

半ば「公営企業」と目される会社、「中世のお荷物」と言われた寺社その他の中間組織。これらもほとんどが世襲によって運営されています。戦前どころか、江戸時代、平安時代の体制が隠然と存在しているのが実際です。

世界最大の株式会社である日赤の総裁がだれで、社長がだれで、日本の天皇を最も多く輩出させた家系を持つ方が社長だなんて、どうしてわかり得ましょうか。3年前に「1000年の至宝」展を国立博物館でやったあの方です。

そこのところの本質は全く変わらない。
自民党がとろうが、
民主党がとろうが、
民主党の中の「隠れ自民党派」がとろうが、
一切変わるものではないと思います。

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民主党政権では、誰が党首、総裁になろうとも、自民党的なもの=官僚機構に忠実なものにすり替わるしか、官僚とマスコミには受け入れてもらえないようです。

もはや野田がどうとか前原がどうとか言っている段階ではないです。
「日本の真の支配者」が何をどう考えているか。
それだけが問題であり、
一般市民たる我々には知る由もがなということです。

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残念ながら、我々市民は自らの革命を通して得たものは何もないので、明治維新になろうが、戦後のお仕着せ憲法のもとになろうが、自ら汗して得たものは何もありません。

上記の騒動もいわば雲の上の方々のお話でしょう。

私の故郷は、菅総理に言わせれば、「敬愛する奇兵隊が攻めた敵国である」福島県です。





戸隠山に行ってきました

昨日は終戦記念日。
早朝柏崎を出て、長野県は戸隠山に行ってきました。
今回は、なんとなく「九頭竜」という神様に興味があったのですが、九頭竜社参拝から間もなくこのようなドラゴンに遭遇しました。6時゛40分です。
このあとは、すべて竜の雲の中の山行でした。

5時25分、奥社前駐車場出発です。 この時間だと駐車場は悠々でした。下山してきたときは、駐車場といわず、駐車場といわず、キャンプ場といわず、人、人、人、、、、すごい混雑でした。
とりあえず、鳥居に向かって三拝し、奥社に向かいます。

20分ほど歩くと、参道にも朝日が当たりだしました。日中はきっと人ごみなんだろうな、などと思いつつ、静かな聖域をほとんど一人占めしていました。

5時50分、奥社につきました。 登山道入り口には地元山岳会の方でしょうか、登山者カードの記入を促されました。朝早くからご苦労様です。
そのあとさっそく、奥社にお参りして、お目当ての九頭竜社にも参拝させていただきました。神社は、朝日が当たって、黄金色に照り輝いておりました。内陣からは太鼓の音がどんどんどんどん…と鳴り響きます。

6時過ぎいよいよ登山開始です。 登山道は九頭竜社のすぐ下から始まりますが、すぐに急な登りにかかります。30分もすると最初の岩場が現れます。岩場鎖場はたくさんあって、蟻の戸渡りを過ぎるまで次々と現れます。
この連山は、東側がこのような絶壁が連なっていて、その隙間、支尾根を通って稜線に出ようとするのですから、岩場が多いのは当然といえます。
この日は山中に湧き出す雲がこの山の神秘、幽玄さをいやが迄も醸し出してくれました。
また、この雲のおかげで、真夏の暑さから我が身を守ってくれたとも言えます。

五十間長屋、百間長屋を過ぎれば、間もなく稜線に出ます。

7時に稜線到着です。稜線に出てすぐ左には人目を脅かすようなごつごつした岩山があって、一本の鎖が張ってあります。 しかしこれは登山道ではありません。登山道は右に行きます。赤いペンキマークが○×で示してくれています。

蟻の戸渡りには7時20分に着きました。駐車場から2時間というところです。一人だからペースが速かったかも。 しかも時間も早いからか、まだ誰もいません。
この写真ではこの稜線を行くしかない理由がわかりにくいですが、若いころならともかく、60過ぎた今となっては、誰も見ていないことを幸いに、この岩稜に馬乗りになって「腕力で」前進するしかありません。
ここを通過するのに20分を要してしまいました。帰りはここは通りたくないです。

7時45分、西岳の分岐につき、7時55分、戸隠山の頂上です。標高1911メートル。山頂は何の変哲もないから早く「いくがいい」。

ちなみに九頭竜山はここより標高が高いのだが、それがどこだったのかわからないうちに次の下山分岐点である避難小屋についてしまった。おそらく途中で撮った下の写真が九頭竜山だったのだろうと思う。いかにも九頭竜らしい山ではないか。 戸隠山から1時間。9時10分ごろの通過であった。

尾根歩きは大きな鎖場などはなくすこぶる快適なのだが、登高、下降の感覚がだんだん薄れていく。
何しろ、蟻の戸渡りから避難小屋までは、時折九頭竜山などの大岸壁が姿を見せるものの、林の中の尾根道だし、ガスがかかっているし、これが延々と2時間近くあるのだから、少々辟易してしまう。

尾籠な話だが、途中便意を催し、誰もいないことをいいことに野糞を放ってしまったところ、そのあと来た道がどっちかわからなくなって、逆方向に15分も戻ってしまった。こういうことをするときは、ちゃんと山の神様にお断りをしたうえでせねばならぬ。それをしないから化かしに遭うのである。
これが2時間かかった正体でした。


さて、10時に件の避難小屋につき、おにぎりを食っていたら、地元長野市から来たという3人組にあった。 いずれ恵比寿、大黒、布袋様といった風情の面々で、僕が「これから下山では拍子抜けである」と申すと、「ならば、五地蔵に行ってきたらいい。下山路もある」と。

なるほど、50分も歩くとその五地蔵さんについた。
しかし、下山の分岐点はない。
最後の腹ごしらえをしてさらに進むと、五地蔵山の頂上に着く。標高1998メートル。頂上で手を伸ばしたところが2000メートルとは奥ゆかしいものである。

ここも奥社側は絶壁になっていて、なるほど、左手に稜線が見える。あれが下山路らしい。
高妻山との分岐は六弥勒。ただし、標識はない。
ここは、営林署が認めた登山道ではないので案内標識がないということを、下山後に聞いた。
ただ、山菜取りの農家の人々が山道の整備をしているらしい。

こうした事情なのだろう、下から登ろうとした登山客が、途中道がわからなくなり、引き返してよりポピュラーな一般道に変更して登ったという話を聞いた。

本コースでは、お盆の暑い盛りということもあって、半袖短パンの人を何人か見かけた。 しかし、藪漕ぎというほどではないものの多少は笹の葉などに擦れてしまうので、皮膚の露出は考え物であろう。

それにしても、キャンプ場や売店なども人の山。道路にまで駐車があふれている。この喧騒の中にあっても、山上で出会った人の数が10人くらいだったのを考えると感慨深いものがあった。

2011年8月5日金曜日

<原発は巨大な「海温め装置」>

小出裕章氏

http://hiroakikoide.wordpress.com/

日本にある55基の原発全体からは、1年間に1000億トンの温かい水が排出されます。日本全土に降る雨の量は1年間で6500億トンで、そのうち川に流れるのは4000億トンです。つまり原発は、毎年日本の川を流れる水の4分の1に相当する量を7℃温めて海に戻しているのです。

 温暖化対策を真剣に考えるなら、炭酸ガスを問題にする前に真っ先にこの「海温め装置」を止めるべきです。

2011年8月3日水曜日

日本社会は日本人が作っていけるのか?武田邦彦

http://takedanet.com/2011/07/post_0f8c.html


以下引用です。

--------かつて、日本は「お金が足りない状態」にありました。つまり「やりたいこと」が多く、「お金が足りないからできない」ということだったのです。

そこで多くの企業が頭を下げて銀行に行き、お金が手に入れば自分がしたことができたのです。

ところが、1990年頃から、日本社会は成熟し、「やりたいこと」が少なくなって「お金」が余ってきました。

「お金が余る」というのも変な話です。多くの人はその日の生活がやっとで、お金が余っているという感覚はないのに、日本全体を見ると、お金が余っているのです。

・・・・・・・・・

ところが、銀行にお金があっても、それを借りる人がいない・・・・・・ここまではおそらく多くの人が同じように考えているでしょう。しかし、その次、私の考えは次のようなものです。

・・・本当は、日本人一人一人が本当に自分が満足するような「豊かな」生活をしているわけではない。それは心だけではなく、物質的にもそうだ。

もし、物質が豊かなら危険な原発などせずに、もっと安心して生活ができるはずだが、少しでも安い電気がいるといって、原発事故が起こった後でも無理矢理、玄海原発を動かそうとしているのだから、心ばかりではなく、物質も豊かではないのだろう。

「お金が余っているのに、危険な原発を動かそうと、やらせメールをする」

・・・

でも、このような状態は、私にはどうしても奇妙に感じられます。

お金が余っているなら、もうなにも要らないのですから、原発を止めて安心した生活をすればよいし、無理矢理、屋根に太陽電池をつけて、高いお金(他人が払う)で電力に買い取ってもらわなくても良いように思います。

しかも、「余っているお金」は「貸すところがない」ので、仕方なく「赤字国債」を発行して、94%が赤字になる国家事業するというのは論理の整合性がありません。

・・・・・・・・・

なぜ、「お金が足りず、お金が余っている」という奇妙な状態が続いているのだろうか?

なぜ、「その「なぜ」が、「なぜ」はっきりしないのだろうか?」

そして、「なぜ、危険とわかったのに、まだ原発を進めたい人がいるのだろうか?」

最後に、「なぜ、こんなに簡単なことが疑問のまま残っているのだろうか?」

それは、おそらく現代の日本は日本人が主人ではなく、どこかに主人がいるからではないかと思います。

このようなことを一つ一つ、解明していかないと、なかなか原発を進めたいという空気を消すことができないと思うからです。

(平成23727日 午後5時 執筆)

武田邦彦



菅首相はなぜ居座り続けられるのか(引用)

http://kokoroniseiun.seesaa.net/index-3.html

その具体的仕組みを、副島隆彦氏は「学問道場」の「重たい掲示板」に認めている。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
 「623 官邸にいる覆面高官の実名」(稿日:2011-07-07)
 で、震災以後、日本(東京)に常駐しているアメリカ政府の高官の実名を突き止めたと語る。それは、IAEA(国際原子力委員会)のNo.3 の大物高官(副事務総長 )デイヴィッド・B・ウォーラーだというのだ。
 以下に一部を引用させていただく。

 このデイヴィッド・ウォーラーが、3月17日からずっと、首相官邸に潜んでいて、菅直人首相や、枝野幸男官房長官その他の大臣たちに、直接、命令と指図を与えて、それで、福島第一原発の事故と放射能漏れの大事件の処理と対応に当たっている。 これを官邸の内部では、「日米連携チームの会議」と呼んでいる。 辞職したはずの 米沖縄総領事だったケビン・メアというワルの高官も、まだこのあたりで暗躍している。 

(中略)
 このアメリカ政府高官たち(お供の通訳たちと)が、もうこの3ヶ月も首相官邸に隠密で常駐して、そして日本国の首相以下に、「あれをこうしろ。次は、ここをこうしろ。それでよし。お前は無能だからここから出てゆけ」とかの指示と命令を、毎日、出しているのである。IAEA による日本直接管理は、本当に、実行されているのである。「日本人になんか任せておけない」ということだ。重大な原子力事故を起こした。世界全体に影響することだから。

 この事実に悲憤慷慨(ひふんこうがい)しない日本人がいたら、お目にかかりたい。 私、副島隆彦が、元気なうちは、アメリカからのこのような屈辱的な日本支配を許容しない。日本国民に、広く事実を知らせる。 私と学問道場が頑張らなければ、日本はよくならない。 今や私たちこそが、日本の最高頭脳であり最先端の情報発信体である。 違うというなら言ってみろ。すべて実名で叩(たた)きのめしてみせる。


           *         *        *

 ネットの力はたいしたもので、マスメディアしかなかった時代には、なかなか真相は見えなかったが、こうやって暴いてくれる人がいるから、ああやっぱり日本は属国なのだな、野党も民主党批判勢力もおとなしくなってしまったのは、アメリカ様に逆らえないからだなと、理解できるのである。

 そしてこのアメリカ様の命令システムを日本側で担っているのが、多くの官僚どもである。まったく…、自分らだけが正しい、自分ら以外はクズだと信じ込んでいるのが、アメリカ人と官僚どもである。

 自分たちの都合の良い「思想」や歴史解釈を、一方的に他国押し付ける。弱肉強食思想で勝つ為には手段を問わず(たとえばインディアン、フィリピン人、日本人、ベチナム人などの非武装住民を大量殺戮する)、さらには武力制圧した後は負けた国を、文化にまで及んで徹底して叩いて奴隷状態に屈服させる。こういうことをやらかしてきたのがアメリカなのだ。

 だから今次の日本の震災も、彼らが人工地震でしかけたかどうかは置くとしても、絶好の再支配、再占領の機会と捉えるに決まっている。
 日本以外の国は、帝国アメリカに武力で屈服させられながらも、自立の道を残そうとするのに、日本だけはアメリカに従っていれば安泰なのだという方針から抜け出ない。
 だから震災復興も、決して自力で方針は立てられない。すべてはアメリカ様のお指図次第になっている。

 日赤などに集められた義援金が、そっくり、もしくは半分もアメリカ様に奪われても、われわれには決してわからないし、文句も言えない仕掛けになっている。

人工放射性降下物(死の灰のゆくえ)

http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ge/2009Artifi_Radio_report/index.html

ここには1957年以降のデータがっているので引用します。
(以下全文上記サイトからの引用です)

気象研究所では、大気圏での人工放射性核種の濃度変動の実態とその変動要因を明らかにすべく、米国、旧ソ連等が盛んに大気圏内で核実験を 実施していた1954年4月に放射性降下物(いわゆるフォールアウト)の全β観測を開始した。核種分析は1957年に始まり、以降現在に至るまで50年を 超えて途切れることなく継続されている。特に気象研究所での観測値は、現在でも検出限界以下とすることなく必ず数値化を行っている。この観測時系列データは、 ハワイマウナロアにおけるCO2時系列データ同様、地球環境に人工的に汚染物質を付加した場合、汚染物質がどのような環境動態をとるのかを如実に 反映しており、実に5桁の降下量の水準変動が記録されている。対象は重要核種である90Sr、137CsおよびPu同位体である。

人工放射能は主に大気圏内核実験により全球に放出されたため、部分核実験停止条約の発効前に行われた米ソの大規模実験の影響を受けて 1963年6月に最大の降下量となり(90Sr 約170Bq/m2137Cs 約550 Bq/m2)、 その後、成層圏でのエアロゾル滞留時間、すなわちおよそ1年の 半減時間をもって指数関数的に低下した。しかし、1960年代中期から中国核実験の影響で降下量は度々増大し、1980年を最後に大気圏内核実験は 中止されたので漸くに低下した。さらに、1986年4月の旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所の大規模な事故により放射能の降下量が再び増大した。 大気圏内核実験のように成層圏に大量に放射能は輸送されなかったため、この影響は長く続かず、1990年代になると、 90Sr、137Cs, Puの降下量は大きく低下し、試料採取に4m2の大型水盤を用いている気象研究所以外 では検出限界以下となって、降下量を容易に数値化できなくなった。このため、 気象研究所での観測記録は我が国のみならず、世界で唯一最長の記録となった。1990年代での90Sr、137Csの 月間降下量はともに数~数10mBq/m2で推移して、「放射性降下物」とは呼べない状況に至った。


http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ge/images/DepoSrCs_SomeDataLack_B&W_2008.jpg

鹿児島の竹原さん

知らなければ変わらない」~前阿久根市長・竹原信一が語るひどすぎる国家のしくみ
そのまま引用します。(すべて引用)

<阿久根で起きたこと>
理不尽な阿久根市政に対する憤りが私を突き動かしてきました。激しい憤りが私を市長にしたと言っても良い、「政治家と役人は住民のために仕事をしていない」確信がありました。私は市長として、持てる限りの権限を使って改革を進めました。議員の多数は反発しました。議会は私が提案した市長自身の給与半減、市長ボーナスゼロに反対したのをはじめ、手数料値下げ、減税などあらゆる住民のための政策を妨害しました。法治国家では違法でなければ合法、これが基本です。にもかかわらず記者クラブ報道を先頭に、総務大臣や鹿児島県知事までが、やったことにはほとんど触れず、「やり方には"イホウセイ"がある」などと法治国家にあるまじきセリフを掲げてキャンペーンを展開しました。そもそも阿久根市民はやり方ではなく、住民のための自治がないことで不遇な暮らしを強いられているのです。

<公務員と政治家>
 "イホウセイ"キャンペーンなどが奏功して市長が変わりました。新市長はたちまち増税して、市長、議員、職員の給与アップをしました。わずか半年で成果をあげた学力向上策も劣化させました。公約では竹原改革を継続すると言っていた、公約違反には伊藤知事のご指導があったようです。この様に、当選したらほとんどが住民を裏切ることをやりだす。できることをしない。公約違反はあたりまえです。
 私は市議会議員としての2年半、それから市長としての2年半の戦いを通じてこの国の仕組みを体感しました。政治家に裏切りをさせているのは公務員です。ほとんどの政治家は公務員なしには何もできない。職員を縛る法律を作れる議員も市長もいない。そこで公務員たちが連携して政治家を掌で転がす事になります。政治家は公務員みこしの上のサルとでも呼ぶべきでしょう。

<憲法違反の身分制度>
 公務員は、地方公務員から事務次官、裁判官まで、全体がひとつの仲間、互助会のようなものです。住民の個人情報など公務員間で共有します。公務員相互の配慮は当然と考えていて、民間人とは扱いが違います。公務員から見れば政治家はしょせん臨時であり使い捨てです。公務員は政治家に政治をさせるつもりはありません。公務員全体が連携して巧みに政治家を利用する。そしてより多くの税金を公務員の間で使うように画策します。
 ノリの悪い政治家は公務員が引きずりおろします。選挙工作は脱法規則(組合犠牲者救援規則)を持つ自治労の得意技、選挙事務まで担当する公務員が政治家を決めると言っても良いほどです。
 公務員の退職金は2,500万円以上、年金は月額20万円を超える。地方では民間の3~4倍もある。死ぬまで違う。今の公務員制度は紛れもなく法の下の不平等、憲法違反の身分制度です。

<四権連立の大蛇>

身分制度が社会全体を蝕んでいます。事実上この国には三権分立はありません。立法・司法・行政に第四の権力、記者クラブ報道が結びついた四権連立で国民の自由と財産を蹂躙しています。日本は社会制度の劣等国家であり、国家の真実を知らない国民の誤解、善意、妥協、諦めで支えられているのです。

 私はこの様子を大蛇に例えました。公務員大蛇は政治家を国民から組織を守るウロコにしている、政治家はピカピカ光る大蛇のウロコをするのが誇らしくて嬉しい。誰がウロコになっても大蛇がやることは変わらない。選挙はウロコを替える脱皮にすぎない。大蛇は脱皮をする度に税金を食って太るのに、犠牲になる国民がウロコに何かを期待してしまう。

国家の本体は公務員組織であり、官僚がその他公務員を兵隊とする軍隊です。この軍隊は国民に向けて銃を乱射しています。にもかかわらず国民は悪政の犯人が政治家だと思っている。
 「公務員は官僚組織(全体)の奉仕者であって住民(一部)の奉仕者ではない」。戦後日本は天皇が官僚組織に変わっただけ、戦前と同じです。

<知らなければ変えられない>
 景気悪化と円高の原因は、単純に通貨不足です。日本銀行はバブル時代のトラウマから金融緩和をしてこなかった。財務省は天下りを確保するための大きな政府へまい進。増税の理由が欲しくて財政赤字の拡大策をとっています。政府紙幣発行を進めようとした中川財務大臣を官僚が罠にはめるなど、官僚の悪質さは言語を絶する。彼らは大震災も増税のチャンスと心得ています。

この国は原発推進のためにでデタラメな安全神話を作り、人類史上最大の放射能汚染を拡大し続けていてこれを止められない。電力会社は役人と強く癒着している。東電幹部と担当省の官僚たちは保身第一、いまだに国民を欺き続けている。今後、爆発的に増えるであろう癌患者を考えれば戦慄します。

 知れば知るほど官僚たちが確信的に国民を犠牲にしている姿が浮かび上がってきます。一方、議員たちは票のためなら何でもする。それ以外は何もしない。言ってみれば純粋強欲なバカ。
 極悪官僚と票バカ政治家たちがこの国の住民を奈落の底に落としています。
 「知る事からはじめよう」。これは私が会社と家庭を捨て、死ぬ覚悟で配り始めたチラシの最初のタイトルです。このひどすぎる国家の仕組み、これを国民が知らなければ転落を止めることはできません。多くの国民が現実を知ってはじめて票バカ政治家を変えて極悪役人組織を変えることができるのです。希望の持てる社会はそのあとです。