2012年8月30日木曜日

古代史は面白い

蘇我馬子と聖徳太子などによって殺害された崇峻天皇。
その聖徳太子だって、馬子の父、蘇我稲目から見れば孫同士の子、つまり蘇我家から見ればいとこ同士。
聖徳太子も、その子山背大兄王ともども実家の蘇我家によって殺されている。
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近親相姦と親族殺し、これは古来日本上流の保守本流のようである。

その頃「平民」はいたのかというと、封建時代までは民は土地の付属物であって、稲や大根と一緒で「土地に生えているもの」扱いだから、「人間」の権利など存在すらしていない。
ただ、戸籍台帳そのものがなかった時代は、『まつろわぬ民』すなわち山姥、ヤマタノオロチ、九尾のキツネや白狼、と言われるような部族も大勢いたものと考えられる。
彼らの社会はどうだったのか、一切わからない。
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とにかく、離合集散、骨肉相食むのが日本の歴史だから、雑多な党から自民党ができ、それが様々な政党に分かれてやがて民主党ができ、またまた大同団結したり、情も理屈もないのがこの世の常のようだ。
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物部、中臣、大伴などの神道系旧勢力は、蘇我系の新興仏教勢力によって窮地に追いやられたが、やがて中臣・大伴連合軍によってクーデターが起こされ、再び神道系の天智の世に戻ったことがある。
どっちにしても、これは上層での話。一般人にはかかわりのねぇことでござんす。

現代においては、自民公明などの宗教勢力が、民主などの非宗教勢力によって一時乗っ取られたが、再び宗教系が復活するのだろうか。
あ、今の野田民主党はれっきとした拝金教教団。宗教系である。
これも、我々にはかかわりのねぇことでござんす。
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かかわりがないからこそ、古代史は面白いのだ。



2012年8月26日日曜日

夕方、急ぎ足で、寄った六甲山です


神戸六甲山の山頂周辺には高級別荘群が立ち並んでいる。
ぽつぽつ白くゴミのように見える。

眼下には神戸の街並み、瀬戸内海、遠くに白く光っているのが大阪都であるらしい。

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摩耶山天上寺の境内です。
「日本第一女人守護」ということで、中には摩耶夫人が祭られております。
摩耶夫人とは、ご存じのとおりお釈迦様の母君。
夢で白い象に犯されて、脇の下からお釈迦様を生んだ・・・・という。

これは拝殿。
昔はいろんな天皇が願掛けに来たらしいです。 
天ちゃんたちも、同じ人類の一人。やっぱりいろんな悩みを抱えていたんだね。
花山天皇勅願寺。
正親町天王勅願寺…。
この階段の数位の「煩悩」があったんじゃないかな。
孝徳天皇勅願寺。
この人って、大化の改新の前の時代だよ。つまり蘇我入鹿の時代。
天皇って、昔から悩み多き存在だったのかもしれないね。

大化の改新でようやく蘇我氏から天皇家が実権を取戻したかに見えたけれど、すでに実態は当時の天ちゃん一族はみんな蘇我氏一族でもあるし・・・・

大化の改新で天智や天武が実権を掌握したかに見える中で、本当の実利を占めたのは春日神社の中臣家。その時から現在まで、途中途切れはあったにしても、形式上近衛家を代表とするような「藤原家」がこの国を実効支配している。

孝徳天皇のちょっと前に蘇我馬子に殺された崇峻天皇だって、天皇に実権があると思い込んで、「朝鮮出兵!!!」と称して九州あたりに兵を集めているうちに、悲劇!!!、本当の実力者に殺されてしまった。

孝徳さんあたりは、本当の「親」、本当の「実力者」が誰であるか当然知っていたからね。
「仮面をかぶった人生・・・」・・・なんて思っていたかも。中大兄ちゃんは従弟だし。中大兄ちゃんも相当フラストレーションがたまっていたんでしょう。

でも、今度こそ崇峻天皇の仇!!!!!とばかり蘇我家を打ち滅ぼしてしまいました。
偉い!! 今度こそ蘇我氏をやっつけたぞ!!!

道路からの入り口。摩耶山天上寺とある。

今日はいっぱい勉強したね。世の中理屈じゃないね。

これは六甲山の天覧台から見た神戸、大阪、瀬戸内海。

六甲山~有馬温泉周辺は花崗岩地帯。
風化が強いと、マサ、真砂と呼ばれる砂になってしまい、写真のような荒涼とした風景が随所にみられる。
これが、世界港神戸の景観づくりに役に立っているわけだ。

2012年8月19日日曜日

書写山円教寺に行ってきました

平安の966年に性空上人によって開かれたといわれる、姫路地域最大の仏閣だそうで西国27番の札所とか。  西の比叡山とか云うそうで、想像するだに山の中雲の中なんですが…   この次は比叡山かな?


ロープウェイ入口の駐車場は無料ですが、高速のトンネルの近くなのでこんな感じです。
登山道はわかりにくいし、初めてなのでロープを使うことにしました。片道500円、往復900円です。

ケーブル駅の様子は写真撮り忘れてしまいました。 上の写真の橋げたに隠れてわずかに映っています。
山上駅を降りたら鐘突き堂です。慈悲の鐘というそうです。

山門までの巡礼道はこんな感じです。

ロープウェイの中でも案内があったのですが、ちょうどよく見えるところの圃場に何やら絵が描かれています。姫路城をかたどったらしいのですが、僕にはとんと・・・・

これが仁王門らしい。山道の途中に門だけが建ってます。さすが山岳道場というか。門だけがあります。

間もなく寿量院に至ります。ここでは精進本膳料理のほか、茶がゆや抹茶などの供用もあるらしいです。
伝説の料理が味わえるかもしれないです。
この 寿量院 と妙光院が塔頭寺院で、宿泊や精進料理などの食事ができるようです。このほかの宿泊施設に円教寺会館もあるし、休憩には「はづき茶屋」などもある。


金論院跡の円教寺会館です。宿坊として今でも使われています。
せっかくなら一泊して山寺の雰囲気を心行くまで味わいたいものですね・

こちらは山主さまのお屋敷のようです。



そうこうしているうちに、摩尼殿まで来てしまいました。如意輪堂ともいうそうです。京都の清水寺みたいな舞台づくりで、かっこいいです。現在の建物は昭和8年に再建されたものです。


上はこんな感じです。


この花って何の花?

裏手に拝観順路があります。
僕は少し天邪鬼をして、少し遠回りをしたいと思います。

白山権現なる場所を通る遊歩道をゆくことにしました。

途中は誰もいない山道で、真夏の晴天の昼間なのにうっそうとした山道を少し上ります。
権現信仰とは不思議なもので、神か仏かわかりません。山岳信仰、山伏の世界かもしれません。
鳥居がありましたので、とりあえず2拝2拍手1礼・・
下の写真には、このお寺ができる前にはスサノオノミコトを祀る祠があったとか。
ここから、スサ山、書写山となったとか。


あちこちに「塔頭」と云われる○○院がある。この千岳院は現在は使われていないようです。



大講堂、食堂(じきどう)に出た。
今も昔も食は大事である。
とくに現代社会では、放射能の混入まで問題になる。
このじきどう食堂は、今は骨董品展示場兼保管庫になっている。

下の写真の大きな建物が食堂です。
次が大講堂。食堂の隣にある。わが大学でも、大講堂の隣にそういえば食堂があったっけ。
食は人間生活のまず基本中の基本である。

次は食堂の裏手。

じきどうの中にはこのような鬼瓦や、数々の仏像、そのほかの文化財が保存されている。
写真は大変明るく映ったが、本当は薄暗いです。ノーフラッシュで感度を上げてとったので明るく見えます。

開山堂と言われる一角には、護法堂、お不動さんの化身と毘沙門様の化身が開山の修業を見守ってくれたということらしいです。関東で見た神社の様式に似ているようで違うようで、・・・・・


開山の性空上人が祭られている開山堂。左甚五郎作の力士像があるというが、僕は何となく通り過ぎてしまった。



金剛堂。広々とした園地の中にひっそりとたたずんでいる。

金剛堂の近くには展望台があって、姫路の街並みや瀬戸内海が見渡せる。
一人じゃ詰まらんし、姫路の町も見たことない人間には、「あっ、そう・・・」である。

鐘突き堂がこんなところにありました。

塔頭の一つ瑞光院。カエデの木が大きく育っていた。

でもこの日見る限りでは廃寺である。左の塀もご覧のとおりです。
妙光院は、現在も使われているらしい。 門の明かりがついていました。


これでお寺さん参りは終了。 帰りはロープウェイ往復買っていたけど歩くことにしました。

海の向こうには淡路島。いいところですね。

帰り道は2キロ程度。
山は凝塊角礫岩(Tb)が一面に露出していて、思ったより滑りにくいので歩きやすい。



この下、ケーブルカー駅まで住宅街などを通るのだが、このブログは道案内ではないのでここでおしまいにします。

今日は天気が良くて、すごく暑かったです。
帰りに「太陽公園」なるところも見てこようと思っていたのですが、今日の車のナビが割合使いにくいというか、・・・・あきらめて帰りました。

このナビ、来る時も、ちゃんと「書写山円教寺」と頼んだのに、変なところに案内されてしまいました。
トヨタ車のレンタカーだからかなぁ・・・・・?
僕はやっぱり日産が好きです。
頼り過ぎはよくないようです。