僕は川俣高校入学と同時に山岳部に入部しました。三つ違いの兄の使った山靴が僕を誘ったのです。
放課後には厳しいトレーニングが続きましたが、一所懸命頑張ったものです。
高校は男女共学で、山岳部も共通で顧問も同じなのですが、不思議なことにトレーニングも山行も同一行動はしないのです! ですから女子部にはどんな人がいるかすら僕は知りませんでした。
1年の夏、合同山行がありました。
岳温泉から安達太良山に登り、鬼面山、野地温泉、幕から東吾妻山、鎌沼、一切経山、家形、烏帽子、明月荘を経て姥湯、五色温泉というコースでした。
女子隊も同じコースなのですが、何があっても200m以上の距離を取ります。だから決して見える位置にはいないのです。
あの頃は「男女7歳にして席を同じうせず」ということが守られていたようです。
僕にとっては高校山岳部最初で最後の合宿登山でした。
二年生の夏からは世界でたった1人の高校生活を送るようになったからです。学校に行くのをやめたのです。
先立の言葉に「教えるとは二度学ぶことなり」とあります。繰り返し学ぶのが良いとも言います。しかし、僕は知ってしまったことを2度も習うなんて大切な時間の浪費に思えたのです。授業でやることは既に知っていることばかり、ですから予習復習塾通いは僕には合わなかったのです。
学校に行くのをやめたら時間が自由に使えます。昼と夜を取り違えてみたり、どんな睡眠を取るべきかとか、宗教って何を説いているんだろうか?とか、世界の文学や思想を全部読んで見ようかとか、全てが自由でした。両親も殆ど口出ししませんでした!
時々は花塚山に登って景色を楽しみました。
高校を出たら、この町とはサヨナラなのです!
時間がいくらあっても足りないのでした。
花塚山からは安達太良、吾妻の連山がはるかに見えました。
僕はあの峰々を駆け抜けたのだと思いました!
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