2021年6月30日水曜日

高二の山飯豊山 (山靴の歌19)


前稿では安達太良吾妻が唯一の高校時代山岳部の山行だと書きましたが、高二の夏までは学校に行っていたので夏合宿がありました。それが飯豊山です。
コースは大日杉小屋から地蔵岳、扇ノ地神、飯豊山、烏帽子、梅花皮岳、温み平です。
上のユーチューブ動画はこのコースが同じだったので拝借しました。
初日は大日杉小屋泊で、夜は大内先生の計らいで「怪談 大日坊とお杉さんの悲恋物語」体験会があってゾクゾクしながら野外活動をしたのが、まざまざとあらすじまで覚えています。
小屋からは急登が続いて地神の小屋に着いたときは肩で息をしていました。
地神から本山までは雄大な景色に圧倒されたものでした!
烏帽子岳の池塘のほとりでキャンプして天空の楽園を満喫しました。

ところで、同行のメンバーについては一年の時の安達太良吾妻もそうなのですが、同級の斎藤隆夫君以外は誰も覚えていないという不思議! 夢中で喘ぎながら歩いていたんですかねえ?そう言えば毎日トレーニングに励んだ仲間達のこともほとんど覚えていないのです!
この隆夫君は、のちの卒業式の3月1日に、卒業証書をもらえない10人が山の寺に集まって宿題をさせられた時に、みんなでお寺に上がったお酒を浴びるように飲んで、酔っ払い同士で僕をオートバイの背中に乗せて送ってくれた男です。僕の不登校の責任はみんなの宿題を代書することでOKしてもらったのです❣️ よくまあ飲んだものだなあ!
すごい学校で、「進学クラス」男子15名女子30名のうち男子10名は「成績不良」で卒業式の日には証書が貰えなかったのです! 僕は出席不良! でも渋谷校長先生に感謝です。
翌々3月3日は東北大の入学試験!
飯豊山行は僕にとっては最後の高校生活だったのです!

2021年6月29日火曜日

吾妻山の思い出ーーさとう宗幸 土湯賛歌 1977 Live in Sendai


僕は川俣高校入学と同時に山岳部に入部しました。三つ違いの兄の使った山靴が僕を誘ったのです。
放課後には厳しいトレーニングが続きましたが、一所懸命頑張ったものです。
高校は男女共学で、山岳部も共通で顧問も同じなのですが、不思議なことにトレーニングも山行も同一行動はしないのです! ですから女子部にはどんな人がいるかすら僕は知りませんでした。
1年の夏、合同山行がありました。
岳温泉から安達太良山に登り、鬼面山、野地温泉、幕から東吾妻山、鎌沼、一切経山、家形、烏帽子、明月荘を経て姥湯、五色温泉というコースでした。
女子隊も同じコースなのですが、何があっても200m以上の距離を取ります。だから決して見える位置にはいないのです。
あの頃は「男女7歳にして席を同じうせず」ということが守られていたようです。
僕にとっては高校山岳部最初で最後の合宿登山でした。
二年生の夏からは世界でたった1人の高校生活を送るようになったからです。学校に行くのをやめたのです。
先立の言葉に「教えるとは二度学ぶことなり」とあります。繰り返し学ぶのが良いとも言います。しかし、僕は知ってしまったことを2度も習うなんて大切な時間の浪費に思えたのです。授業でやることは既に知っていることばかり、ですから予習復習塾通いは僕には合わなかったのです。
学校に行くのをやめたら時間が自由に使えます。昼と夜を取り違えてみたり、どんな睡眠を取るべきかとか、宗教って何を説いているんだろうか?とか、世界の文学や思想を全部読んで見ようかとか、全てが自由でした。両親も殆ど口出ししませんでした!
時々は花塚山に登って景色を楽しみました。
高校を出たら、この町とはサヨナラなのです!
時間がいくらあっても足りないのでした。
花塚山からは安達太良、吾妻の連山がはるかに見えました。
僕はあの峰々を駆け抜けたのだと思いました!

花塚山の思い出

 花塚山は幼少の頃からの思い出の山です。

小学校中学年の頃に初めて登りました。昭和30年代の前半です。

当時、川俣小学校は子供達で溢れており、僕たちの学年は入学当初クラス64名x6クラスありました。2年生の時には大講堂と体育館をベニヤ板で仕切って教室にしていました。教室の中には通路もありません。ですから1人2人欠けてもわからないと思い、、、よく山学校に出かけたものでした。

主な行き先は学校横にあった春日神社の裏山でした。斜面には椿が生い茂っていて格好の樹上生活の場になるのです。遊んでいるうちに授業が終わり、見慣れた顔達が集まります。

そんな近所の仲間達と遠征に行ったのが花塚山です。家から全行程歩きますので、一日がかりの大遠征です。木も花も、虫も鳥のことも何も考えずにひたすら頂上を目指しました。

途中で振り返ると住み慣れた盆地の町が小さく見えます。僕は5人兄弟の三男なので、眼下を眺めては「学校卒業したら俺はもうこの町には戻って来ない!」と思っていました。この習慣は高校時代まで続きました。高二から学校は欠席しましたが、花塚山を欠席したことはありません。もちろん軽装で行ける季節だけです。

中学時代は毎月のように登りました。殆どが単独行でした。山に登っては町との別れを惜しんだのです。当時はお手子姫のことも月山のこともろくに考えたこともなく、花塚山の言われが「飛鳥京を偲んで鹿を🦌放したから放鹿山」というのは知りませんでした。ただ「川俣」の由来が奈良盆地の地名?から来ているらしいことは聞いていました。

僕の先祖は隣町に居たらしいのですが、今の奈良には今井町があり、川俣神社や川俣さんがいることをあとで知り、興味深く感じたものです。



花塚山を福島県川俣町のホームページからご紹介します。

川俣町の山~花塚山・登山行程

印刷用ページを表示する掲載日:2020年9月18日更新
花塚山登山マップの画像

花塚の里から山頂へ

花塚の里駐車場には、乗用車30台程は駐車できるので、ここに車を置き、準備体操などをして登りはじめることとする。「ちびっこ天国」の遊具が並ぶ所を左手に見て登ること400メートル。放鹿神社が現れる。この神社の左手からは「峠の森」に続く遊歩道がある。ここに登山者カードの記載所があるが、登山道は神社の右手から始まる。駐車場から神社までは15分の道のりである。登山道が始まると250メートル程の道のりであるがいきなり急な登り道が続く。この辺が「御山堺」と言われる所である。昔は、ここから先に女性は登ることを許されなかったと言われている。少し緩やかになったかと思うとまた、階段が続くなど急な道が続くので急がずに登りたい。神社から350メートル、約15分で「烏帽子岩(えぼしいわ)」に着く。途中に大黒様などを眺め、しばらくは岩が多く注意しながら登ってほしい。120メートル(5分)で「行者もどし岩」に着く。岩に鎖が付いているので鎖につかまりながら登ってみるのもおもしろい。岩の上に出るとようやく見晴らしが開けてくる。自信のない方は迂回路があるので迷わず迂回していただきたい。ここからまた急な道が続く。100メートル先は、「行合道」と言われる所で、「中央御室岩」と呼ばれる岩にすぐ行けるほか、小綱木の後沢からの道と合流する。5分ほど登った所に大きな岩場が出現する。座禅岩である。岩伝いに登ってもよいが、ここにも迂回路があるので無理しないで迂回路を通ることを勧める。200メートル程は階段や緩やかな道の繰り返しであり、途中のベンチなどで休憩しながら登ってほしい。ベンチで休むと急な登りはほぼ終わりになる。
130メートルほど緩やかに登ると、山頂へ行く道と「護摩壇岩(ごまだんいわ)」への分岐点に着く。ここできつかった登りは、ほぼ終わりである。
山頂へは400メートル15分ほどの道のりであるが、山頂からの展望はあまり良くないので体力に自信がなければ、左折して「護摩壇岩」へ行く事を薦める。20メートルの距離である。ここには鎖の付いた大きな岩がそびえているほか、あずま屋があるので、川俣の町並みや吾妻、安達太良連峰の雄大な景色を眺めながら疲れを癒していただきたい。「花塚の里」から「護摩壇岩」までは、約1,000メートル、50分の行程である。ここは、花塚台と言われていて、通常「花塚山」といえばここを指している。

護摩壇岩(ごまだんいわ)

護摩壇岩の写真

峠の森から山頂へ

峠の森の林間広場の東側に、遊歩道入口がある。ここが登り口となる。いったん登って200メートル程進み、下り階段を降りると舗装された林道を横断する。いよいよこれから登りが本格的となる。400メートル登った所に看板があるが、山頂まで2,290メートルとなっている。さらに500メートル登ると、「花塚の里」への近道になる分岐点がある。「峠の森」から登りはじめて40分の道のりである。ここから連続500段の階段が始まる。20分ほど階段を登ると道は緩やかになり、更に450メートル程進むと、「竪岩(たていわ)」という奇岩への分岐につく。「竪岩(たていわ)」は、この分岐から西へ240メートル下った所に位置するので、元気なら覗いてみたい。しばらくは、緩やかな登山道を、左手の防火提に沿いながら進む。150メートルほどの所には、あずま屋があるので一休みしよう。遠く南の方にもう一つのあずま屋が見える。あれが「護摩壇岩(ごまだんいわ)」にあるあずま屋である。ここまで峠の森から登りはじめて80分の道のりである。距離にして1,700メートル。一度緩やかに登ると、100メートルほどの下り坂があり、下りきった所が飯舘村からの登山道と合流する地点である。また、ここから西側へ降りると峠の森もしくは花塚の里に降りる道にもなっている。山頂は、ここから更に南進するが、約10分の登りで「護摩壇岩」に到着する。峠の森から2,400メートル約100分の道のりである。

奇岩「竪岩」

奇岩「竪岩」の写真

2021年6月27日日曜日

雪山に消えたあいつ ダークダックス


山の思い出を綴りたくなった。
古希過ぎると、昔の仲間たちが幾人かは既に鬼籍に入ってしまったものもいる。
だから、生きているうちに昔の記憶を辿っておくのも一区切りとして良いのではないだろうか?
僕は歌が好きで、山の帰り道ではただ無心に歌を口ずさんでいたものだ。
だから、思い出の歌と共に振り返ってみたい。