病気が原因ではなく「医療という宗教そのものが原因」で亡くなる人が多すぎる
In Deep メルマガ 第115号
2020年11月06日発行
岡でございます。
皆様は、お元気で過ごされていらっしゃいますでしょうか。
ふだん金曜日はブログの更新はお休みするのですが、
コブフェフェ大統領 vs アルツハイマーの件で書きたいことがあり、
以下のブログ記事を書いていまして、メルマガの配信が少し遅れました。
◎アメリカ大統領選挙で「すでに
死んでいるたくさんの人たちがバ
イデン候補に不在者投票している」
ことが投票者情報と米国死亡者記
録データから判明。ここまでする
目的は…
2020年11月6日
https://indeep.jp/the-dead-peples-also-vote-for-biden/
私は、コブフェフェ大統領の人格自体は苦手なほうなんですが(髪型も)、
もう苦手だとか何とかいう話でもなくなっていることにも気付きまして、
少し書かせていただきました。
ところで、「現代医療 = 宗教化」という方向性が、
インターネットレベルで推進されていることが最近顕著になっています。
最近の Yahoo ! のトップなどを見ますと、
ポータルとしての Yahoo! は、中央上にニュースのトピックスがありまして、
その下にズラッと話題のニュースが並んでいるのですけれど、
最近は、「医療や病気関係」のものがやたらと多い。
芸能人や著名人の病気の話題やら、「医者からの健康情報」やら、
そういうのが以前より格段に多くなっていまして、
そして、それらの帰結のほぼすべてが、
「まずは病院に行きなさい」
というものへと結びついているものとなっていて、
まるで、「病気を治療するのは病院だけ」
というニュアンスが漂う雰囲気が強いです。
その上、Google の検索では、
アルゴリズム(検索順位を決定するためのルール)の変更のたびに、
「西洋医学の見識以外の情報がどんどん消えていく」
ということを、実際に目の当たりにしています。
私のブログのページでも、健康に関する内容のものでは、
Google 検索で事実上表示されなくなっているものも多いのではと思います。
(最近はいろいろと検索除外されていて面倒なので調べてないです)
東城百合子さん的なものや、安保徹さん的なものや、野口晴哉さん的なものは、
すべて「無用」あるいは「インチキ」として排除されつつあります。
もともとブログを書き始めて、しばらく経った頃、
今から 5年か 6年以上前くらいですかね、
その頃、私は体調がとにかく悪くて、しかし、
「原因がよくわからない」
わけです。
病院に行っても、らちがあかない。
あるとき、道端を歩いていて、
偶然本屋さんの外の棚に見出したのが安保徹さん監修のムックでした。
それで、安保徹さん絡みから、
他のいろいろな医療関係の方々の文章なども知り、
また、知ったのはほとんどが偶然でしたけれど、
いろいろな賢人を知るわけです。
幼少時から体の弱かった私は、人一倍病院にかかることが多かったのですけれど、
そんな人生の中で、
「病気は病院で治すもの」
という「暗示」に強くかかっていたことがあり、
安保さんや東城百合子さん、あるいしは中村天風さんたちの言うように、
「自分で治す」
という概念を知った時には、まさに、
目からウーパールーパー(ああ、なんかやだ)が落ちるほどの価値観の変転がありました。
まあしかし、自分のことはどうでもいいですが、
この自分の体験を引用したのは、
「病気は病院で治すものという暗示」
を促す概念が、まさに今、インターネットの世界で拡大していると思うからです。
かつては、Google などでも、何かの症状などで検索してみれば、
西洋医学も東洋医学も、
そして、いわゆる代替医療や真偽入り交じった健康法だとか、
そういうのがミックスしていました。
数年前の Google の検索順位は、
比較的純粋に「訪問者数」とか「ユーザーからの人気」が強かったために、
医療関係もさまざまなものがありました。
しかし、Google は、アルゴリズムを改定するたびに、
「内容そのものを検索順位に加味する」
ことを発展させていきました。
もちろん、これは陰謀論ではなく、
Google 自体が、アルゴリズムの改定のたびに、ある程度発表していることです。
たとえば、今の Google で、「病気」や「症状」を検索すると、
とにかく病院のサイトと医師のサイトばかりが並ぶわけですが、
現在の Google のアルゴリズムの規定には、
「そのサイトを専門家が書いているかどうか」
ということを重要に見ます。
ですので、
「病気のことを書くサイトは医者と病院が最も重要」
という機械での判断となり、
必然的に、病院と医師のサイトばかりが上位に並ぶのです。
仮に存命されていたとしても、
現在では、安保さんや東城さんなどが記述するようなサイトは、
決して検索上位には出ません。
自然療法や代替療法のページも、今では多くが検索されません。
実際には検索上に存在しないわけではないですが、
あまりにも検索下位に落とされてしまっていて、事実上見つけられないのです。
つい 5年ほど前は、自然療法の知識のまったくない私でも、
次々とそのようなサイトやブログを見つけることができ、
そのおかけで、その後も、いろいろなことを知ることができました。
そういう意味では、この 5年から 6年というのは、
私にとって、非常に大きな時期だったのだとも思います。
最も大きな「変転」は、
「根本的には病気は自分で治すもの」
ということを知ってからであり、
さらに偶然が重なり、さまざまな知識を得まして、
それらは今後の人生にね役立つと思います。
まあ、私はもともと体が弱かったせいもあり、
寿命そのものは他の方より短いと自覚していますけれど、
しかし、あの数年前の体調の悪さを考えますと、
それらの知識を知らなければ、2、3年前に死んでいたかもしれません。
いやまあ本当にそれくらい体調悪かったんですよ。
ですので、仮に65歳まで生きられたら、すごいことだと。
安保さんとかシュタイナーとか野口晴哉さんとかが、
ほぼ65歳没でしたので、そこにちょっと憧れてるんですね。
3歳の頃に「この子は小学校には行けないでしょう」と親が医者に言われたり、
十代もあまりにも発熱が多く、自分でも、
「もうハタチまで生きなくていいや」
とかパンクを聴きながら思っていたのが、もう五十代後半ですからね。
65歳というと、あと数年の命ということにはなりますけれど、
それでも、
「治療は病院が行うという暗示から抜け出せた」
ことがどれだけ大切かと思います。
私が生まれつき体が弱かった原因に関しては、いろいろとあるでしょうが、
その後の「拡大する体調悪化」は、
完全に病院の薬による免疫の低下によるものだと今は思っています。
その後、「腸内細菌」なんてものも知りまして、
これが抗生物質やさまざまな薬で、どんどんと死滅することを知ります。
そして、やや絶望的なのが、
「一度死滅した腸内細菌は復活しないものが多い」
ということでした。
腸内細菌環境が変化する原因はさまざまあるとはいえ、
一度変化してしまったものは、そう簡単には復活しない。
つまり、手足や臓器と一緒であり、
「小さな時から温存しなければならない」
もののようなんですね。
今の世の中には、過剰な清潔生活とか、人工甘味料とか農薬とか、
いろいろと腸内細菌環境を変化させるものが多いですが、
最もダイレクトに腸内に影響するのは、直接飲む、あるいは注射する「薬」です。
これが現代人の腸内細菌を「以前の人間とは違うもの」に変化させている。
ただ、ここにはサバイバル的な側面があって、
同じ薬を飲んでも大丈夫な人もいれば、ダメージを受ける人がいる。
これはどんな薬でもそうでしょうし、ワクチンもそうです。
韓国で、インフルエンザワクチン接種で、
すでに 90人超が亡くなっていますが、
https://bit.ly/3p5LCXY
確かに全体から見れば小さな数字であります。
しかし、亡くなったほうにしてみれば、たまったものではない。
その方々が、「インフルエンザになって亡くなる可能性は?」と考えると、
それは微妙なことであり、
たとえば、基礎疾患をもっているからインフルエンザで重症化しやすいとして、
「だから予防接種を受けましょう」となっても、
基礎疾患を持っている方は同時に、ワクチンにも過剰反応する可能性がある
ということもいえなくもなく、どちらを選択するべきなのかと。
最近は、ブログのように公開されているところでは、
「ワクチンはないほうがいい」
というようなことを書くと、それだけで陰謀論者的な感じにうつり、
あまり書かないことが多くなりましたが、
今では、日本の多くの人たちに
「病気は病院で治療する、あるいは病院で予防するという暗示」
が確立され始めているため、「ワクチンがダメなんてのは変な主張」
ということになってしまうのかもしれないですが、
先ほどの「インターネットでの検索」の話を参照しましても、
「この暗示をさらに多くの人々に拡大したい」
という想いは強いのだと感じます(誰の想いかはともかくとして)。
「そして、それが確立された社会にしたい」
というような。
取り憑かれたように予防接種を打ち、
取り憑かれたように、小さな症状でもすぐに病院に行き、
取り憑かれたようにさまざまな薬を飲む。
そういう人たちを増やしたいと。
しかし。
よく書くことではありますが、大人はいいんですよ。
いわゆる自己責任です。
子どもたちが問題なんです。
コロナウイルスのマスクや消毒や社会的距離について頻繁に書いていたのは、
子どもへの影響が大きすぎるからであるわけで、そして、
「病気は病院で治療、あるいは予防するという暗示」
が、ほとんどの子どもに浸透してまうと、「そういう社会」になってしまう。
しかも、先ほど書きましたように、子どもたちが少し成長して、
「自分で健康のことを調べてみたい」
とインターネットで検索しても、西洋医学以外は出てこない。
もう数年前のように、自然療法も、東城百合子さんも出てこない。
現状では、そういうような代替療法は、
「インチキ」
であり、「信用できないもの」と、
少なくとも Google のアルゴリズムは規定しています。
若い人たちがそういうものを「調べて知ることができない」
という社会ができあがりつつある。
もちろんこれは、
自然療法と西洋医療のどちらの医療が良いとか悪いとかの勧善懲悪の話ではなく、
「選択することができない」
という問題です。
その手段がかなり断たれてしまった。
これからの子どもや若者たちは、
病気や症状は、すべて西洋医学の見識の下での治療法に従わなければならない。
あるいは、予防法(ワクチンなど)に従わなければならない。
まあ、現時点でほとんどそうなっているのですけれど、
これからは加速するはずです。
「自然療法などオカルト」
という時代がすでにやってきている。
どちらがいい、どちらが悪いとはいわないにしても、
ただ、この両者に大きな違いがあるとすれば、
・西洋医学は治療で人を殺すことがある
・自然療法は治療で人を殺さない
という点でしょうか。
インターネットを含めた現在のメディアでは、医療に関して、
「〇〇というデマに惑わされないで下さい」
という言葉がよく使われますが、どこまで考えても、
「西洋医療は、その治療そのものが多くの人の健康を損なっている」
ことは間違いありません。
自然療法は、確かに病気を治せないことも多いと思いますが、
病気が治らないことで亡くなることはあっても、
「療法そのものが人を殺すことはない」
というのが大きな違いです。
しかし、西洋医療の「逸脱」は今に始まったものではなく、
かなり昔から、それこそ幼少の私が治療を受けていた時代からあったもので、
現代は、
「何らかの力により、それが世界的にシステム化された」
ということになると思われます。
見ますと、もう3年前のブログ記事になりますが、以下で、
1970年代にアメリカで医療をおこなっていた
ロバート・メンデルソン医師について書かせていただいたことがありました。
◎「現代医学は悪しき宗教」と40年前に述べた異端医師の懺悔
2017年2月26日
https://bit.ly/2JwDQFZ
1970年代にこのメンデルソン医師は以下のように著作に書いています。
(メンデルソン医師の著作より)
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現代医学を構成する医者、病院、薬品、
医療機器の9割がこの世から消えてなくなれば、
人々の体調はたちどころによくなるはずだ。
これは私の確信である。
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(ここまで)
この本の邦題は『こうして医者は嘘をつく』というものですが、
原題の直訳は、
『医療異端者の告白』
というもので、私はこちらのほうが好きですので、
このタイトルでご紹介させていただきますが、
この本の中には、奇しくも、
つい最近書きました以下の記事の内容と通じる部分があることに気づきました。
◎「健康という宗教」が世界中に
拡大する中で強行された医療戒厳
令。今や、医療と健康概念は神で
あり宗教となっているという現実
2020年10月5日
https://bit.ly/32fQdNq
メンデルソン医師の著作には、以下のような下りがあります。
(メンデルソン医師の著作より)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
医療倫理は世間の常識と相容れないばかりか、
伝統的な宗教ともかけ離れている。
宗教は対立する宗教の欠陥を指摘して反証する傾向があるが、
現代医学教は薬を使わない医者を「投薬の儀式を拒否した異端者」と見なし、
反証の機会すら与えずに排除する。
現代医学教の戒律は非常に厳しく、アメリカ医師会の倫理規定では、
医学博士の学位をもつ者は現代医学を信じない者との親交はもとより、
言葉を交わしてもいけないことになっている。
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(ここまで)
この、
> 現代医学を信じない者との親交はもとより、
> 言葉を交わしてもいけないことになっている。
というのは、今はもっと拡大している感じはします。
ですので、たとえば現在の感染症対策にしても、
いろいろと反論を唱えたい方々もいらっしゃると思うのですが、
「医学界から排除」されてはかなわないわけで、
必然的に、沈黙を守るしかないという状況となっていると思われます。
メンデルソン医師は、1970年代に、
「現代医学は悪しき宗教である」
と断定しています。
先ほどリンクしました過去記事「健康という宗教が世界中に拡大する中で…」
では、2019年に医学誌ランセットに掲載された論文の一部をご紹介しています。
(ランセットより)
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病院は、社会的ケアが必要な高齢者のための情報センターのようになった。
人間の行動と感情の正常な多様性はいまや薬物治療の対象になった。
人生の中で避けられない実存的問題を解決するのは医者の仕事になった。
どうすればいいのだろう?
医学は疑似宗教になってしまった。
私たちの患者には、そっと変節と棄教を促さなければならない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(ここまで)
結局、この世界の「誰か」は、現代医学が宗教となっていることに気付いた、
あるいは、もともと知っていた。
誰もが帰依する宗教は、今や現代医学しかなくなっているのです。
それを利用して、
たとえば、全面的なロックダウンという「無意味な統制」を行ってみたら、
何と数カ月も大丈夫だった。
散発的な抵抗があった以外は、みんな「宗教に従った」のでした。
こんなに使える「神」はいないわけで、
キリスト教もイスラム教も仏教も超えた宗教が存在して、
そして、2020年に、
「実際に利用してみた」
ということになっているのだと思います。
それで、おおむね「統治」と「管理」に関しては成功を見ているのですから、
ここから考えますと、
「次がないわけがない」
とも思います。
まあしかし、宗教だろうが何だろうが、
「現代医療が人を殺さないもの」
なら問題ないのです。
ところが、現実にはそうではないことありすぎるのです。
「ガンになったら、放っておけば死ぬ」
という「現代医学教的教義」はずいぶんと喧伝されてきました。
確かにそうかもしれません。
放っておけば死ぬのかもしれません。
しかし、現代医学には、
「放っておいて亡くなった人」
と
「治療を受けて亡くなった人」
の比較のグラフが存在しないのです。
なぜなら、病院に赴いた人々は、意志の強い人でなければ、
病院に言われたままに治療を開始してしまうからです。
そして多くが抗ガン剤にやられる。
今年9月の以下のブログ記事で、
PCRの発明者であるキャリー・マリス博士の著作から抜粋しています。
◎「永遠に心のフィールドで踊り
続けて :PCRの発明者であるノー
ベル賞学者キャリー・マリス博士が
述べていた抗ガン剤のメカニズム
2020年9月30日
https://bit.ly/3k3HJyS
マリス博士は以下のように述べていました。
(『マリス博士の奇想天外な人生』より)
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ふつうは、ガンの場合抗ガン剤を使う合理性はそれなりにあるので、
多少の副作用は仕方ないと説明されて、これらの薬が使用されている。
この話を聞くと、私は、昔行われていた梅毒の治療法のことを思い出す。
ヒ素による治療法である。
梅毒は人を死に至らしめる。ヒ素もまた人を死に至らしめる。
しかし、ヒ素を服用すれば、うまくするとヒ素はまず梅毒を殺し、
人はなんとか生きながらえることができるかもしれない。
そういう治療法だ。
細胞に対する毒素を使ってガンを治療しようとする化学療法は、
まったくこれと同じ原理である。
ガンは人を死に至らしめる。
抗ガン剤も人を死に至らしめる。
しかしひょっとすると抗ガン剤は人が死ぬ前にガンを殺し、
人は、からくも生きながらえるかもしれない。
まったくのギャンブルである。
ガンを殺すために投与される抗ガン剤の量は、
十分、人を死に至らしめるに足る量である。
それくらい投与しないとガン細胞は死なない。
だから、私はこんな治療は受けたくはない。
https://amzn.to/2Ia0Jyx
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(ここまで)
この、
> まったくのギャンブルである
ことは、その原理から見ても、
医師の方々も十分にわかっていることだと思います。
多くの患者さんたちが抗ガン剤とのギャンブルに敗北することもわかっている。
ところが、現代医学には「他の方法が存在しない」ので、
これで押し通すしかない。
普通なら、そんな光景を日々見ていたら、
心が折れるのではないかとも思いますけれど、
多くの医師たちは折れない。
ここにも宗教的性格があらわれていると思います。
絶対的信仰。
しかし「心」の問題でいえば、
医師の方々の中にも、人前では表明していないだけで、
「こんなに人が苦しむことはイヤだ」と思っている方はたくさんいるはずです。
以前、安保徹さんと医師の石原結實さんの対談本の中で、
安保さんが東北大学医学部を卒業した後に、ガン患者担当の研修医として
医療現場で治療にあたっていたときのことを以下のように述懐していました。
安保さんが現代医学に疑問を抱いたときのことを語っています。
(安保徹 × 石原結實 対談より)
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東北大学を卒業した後、青森の県立中央病院で2年間、
内科の研修医をやりました。
「父のように患者さんを治し、世のため人のために尽くそう」
と理想に燃えていました。
でも、夢は無残に打ち砕かれました。
私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、
一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。
生還率はゼロでした。
ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、
「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、
15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。
強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。
あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、
「ああ、これはダメだ」と思いました。
自分の無能力にさいなまされ、
患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、
私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。
「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、
現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(ここまで)
先ほどのメンデルソン医師も、
最初は現代医学に全面的な信奉を持っていましたが、
「子どもたちが医療によって、次々と亡くなっていく」
ことを経験するにつれて、
現代医学に疑問を持ち始めました。
このような「良心の発露」が世界的に起きない限り、
現状は変わらないと思います。
そして、そのようなことは、なかなか起きにくいとも思います。
結局、私たち医療の世界ではない人間たちから、
「宗教から抜けていく」
ということしかないのだとも思うのです。
そういえば、看護師さんだった女性が、
自分の旦那さんが大腸ガンから全身転移し、
「もう治療はしない」と決めた後の「死の瞬間」を体験し、
その後、看護師から僧侶になった方の話を最近ネットで読みました。
婦人公論のサイトの記事でした。
積極的な治療はしないとして1年後に自宅で亡くなった旦那さんの姿は、
以下のようなもので、それは理想の死といえるものでした。
(婦人公論より)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
《57歳夫が末期がんに。「積極的な治療はしない」という決断に妻は…》から抜粋
夫が旅立っていったのは、それから1年後のことでした。
延命治療をしない夫の死は、
まるで樹木が枯れてゆくようにおだやかで、美しいものでした。
病院で行なう治療では最後まで体に点滴をつないでいることが多くありますが、
夫は家で亡くなることを決めた時点で
「飲めなくなったら飲まない。食べられなくなったら食べない」と決めたので、
点滴もしませんでした。
そのため、体内の水分が少しずつ減っていったのです。
亡くなる2週間前にはたんが一気に出たため必要最小限だけ吸引しましたが、
2日もしないうちに、それも治まりました。
たんの材料になる水分もなくなったのでしょう。
その後はおだやかに寝ている状態が続き、やがて尿も出なくなりました。
そろそろだろうか……と覚悟していると、血圧が下がり始めました。
そして全身の筋肉がゆるみ始めたためでしょうか、
体内に残っていた尿と便がすべて排出されたあと、
夫は静かに息を引き取ったのです。
それは私がはじめて見た、人間そのままの最期でした。
私が見てきた病院で亡くなる場合では、
過剰な水分投与によってたいてい体はむくんでいましたが、
夫の体にむくみは一切ありませんでした。
また、亡くなったあとは体の中からいろいろなものが出てきますので、
看護師は体中の穴に詰め物をするのですが、
夫は自分で自分の体をきれいにしてくれたため、
その処置をすることもありませんでした。
人間というのは本来、こうして体内のものをすべて自分で出しきり、
上手に後始末をして亡くなっていくのです。
私はこの夫の潔い死にざまに、大きな衝撃を受けました。
人は自分で死に方を決め、自分で始末をつけて死んでいけるのだと。
そして、人は自分の生死にも「選択肢」を持つべきだと思ったのです。
https://fujinkoron.jp/articles/-/2729
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(ここまで)
> 人は自分で死に方を決め、自分で始末をつけて死んでいけるのだと。
とありますが、
本当に、こういう方々の経験が表現として掲載されるのはありがたいです。
私が、このようにガンで亡くなるか、
それとも、不倫の末に相手の女性に腹を刺されて亡くなるかは
(実際はしてませんからね)
それはわかりませんが、このように、
「穏やかに亡くなることができればいいな」
とは正直思います。
抗ガン剤で苦悶した末に亡くなるというのは避けたいのです。
それが現代の宗教の破ることができない教義であっても。
こういう素敵な亡くなり方を目指して、
あと数年生きてみようかと思います。
ちなみに、私は「公益財団法人 日本尊厳死協会」というところの
会員証を持っていまして、つまり、
「余計な延命はしないでほしい」
という意思表示を示したカードと、
その意志を示した書類を近い人(うちなら奥さま)に預けています。
意識がない場合、問答不要で延命しないでほしいというような選択肢を
私は選んでいます。
それはともかく、
ここまで私を生かせてくれた東城(以下略 ← 略すなよ)他に感謝いたします。
あるいは(以下略)に感謝します(誰に感謝してんだかわかんないよ)。
あるいは(以下略)です(全省略かよ)。
というわけで、あまりまとまっていないですけれど、
今回はこのあたりまでとさせていただきます。
皆様がお元気に過ごされることを期待しています。
毎度のまぐまぐ大賞のお知らせを掲載させていただきますね。
《まぐまぐ大賞2020投票のお知らせ》
まぐまぐ大賞は、読者の皆様が、ご自分が推薦したいメルマガに投票し、
そのポイントでメルマガの人気の順位を決めるというものです。
投票していただけるのでしたら、
私の個別ページ(下のURL)から投票していただけると嬉しいです。
https://www.mag2.com/m/0001684042.html
この個別ページの右上にある、
[このメルマガをまぐまぐ大賞2020に推薦する]
という茶色系のボタンをクリックしますと、
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ページの下部の「メルマガを推薦する」からご投票できます。
期間中は何度投票しても良いそうですので、よろしくお願いいたします。
では、失礼いたします。
In Deep
岡 靖洋
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