前稿で述べたように、高校時代は世界の哲学や文学を読み漁っていた。
ただし、若者よ体を鍛えておけ、で、毎日6キロくらいのランニングと、週一の山野跋渉、花塚山行は欠かさなかった。
大学では早速山岳部に入部したのだが、折からの大学紛争でキャンパスはバリケード封鎖され、僕はこれを奇貨として読書と登山三昧の日々を過ごしていた。大学に機動隊が突入し、市ヶ谷で三島が割腹したニュースなどは山中のラジオで聞いたほど。一年の半分は何処かの山奥に居た。
工学部に進学しても、学業は適当にやり過ごし、ひたすら読書と登山に明け暮れたのである。
思えば、高2の時に単独で学校新聞を発行し、当時進められていた校舎移転を批判する内容だったために、発行翌日に校長命令で新聞回収するという事件を起こしてから、教師を教師と思わず、一切を自分の思い通りに行動することを始めたのである。
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50歳になって、会社役員の地位を棒に振って、法律と経済、世界を動かす原理の研究に5年余り没頭する事になるのだが、この時でも、1日10時間以上は勉学に励み、週一は安達太良山に登った。
この経験で、述べなかった社会経験も踏まえて、社会で見聞するあらゆる事項に関して、明瞭に思考することが出来るようになったのである。だから、何でも見え過ぎて困ります、というお話です( ͡° ͜ʖ ͡°)
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