2018年3月25日日曜日

ミャンマーのこと。

アウンサンスーチーの父アウンサンは、1942年 ビルマ独立義勇軍を率いて日本軍と共に戦い、イギリス軍を駆逐した。
しかし、その2年後、日本軍が敗色濃厚となるや、クーデターを起こしてイギリス側に寝返った。再びイギリスの植民地に戻り、独立は許されなかった。
1947年、アウンサンが暗殺され、ビルマ連邦として独立。以後は紆余曲折を経ながら、軍事独裁体制が1988年迄続く。
軍事政権は旧日本軍を高く評価し、国歌や軍歌に旧日本軍歌が多く用いられた。今でも軍艦マーチを口ずさむ人がいる程だ。

これを英米は快しとせず、軍事独裁として否定し、再びアウンサンの出番となった。
今度は娘のスーチーで、夫君は英国人、本人もオックスフォードやロンドン大学出身である。スーチーや英米は、軍事政権が定めたミャンマーという国名を嫌い、ビルマという呼称を使う。
個人的意見だが、ミャンマーが中印英米から完全独立を保つには、軍政は不可欠だ。外国に抵抗する力が必要である。
英米は口では軍政を否定しながら、やる事は艦船による軍事封鎖。黒船外交である。
これこそ、軍事マフィア国家である。アジア太平洋の米軍は日韓を主な基地として8万人に上る。

2018年3月23日金曜日

森友問題の核心

飯山一郎の舌鋒が冴えている。以下、放知技の投稿を転載する。
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281 名前:飯山一郎
2018/03/23 (Fri) 11:15:47
 host:*.dion.ne.jp
>>276
猿都瑠さん

今の日本の政治状況は,反安倍勢力(野党,マスコミ,識者)が幾ら騒いでも,安倍一強体制は不変!ということです,

「安倍一強が不変」の理由は,反安倍勢力が根拠のない疑惑を騒ぎ立てて印象操作をするだけの能力しかないからです.

ですから,倒閣能力・政権担当能力が全くないバッラバラの野党に興味をもって関わることは,無益だと思います.

今回の「改竄問題」も…

改竄前の文書は,安倍夫妻の潔白を証明する内容で…

改竄前の文書が打撃を与えたのは,安倍政権ではなく,財務省と国交省と会計検査院なのであって…

改竄はマスコミが報じているように安倍政権を守るというより…

財務省(と近畿財務局)を守ろうとする意図だった!と読み取れます.

このことは↑↑長谷川幸洋・東京新聞論説委員も詳説しています.(https://goo.gl/7svQwy


ただし! 「改竄問題」を“奇貨”として…

安倍晋三と麻生太郎が,官僚支配(財務省による政治支配)の突き崩しを大胆に行う!

このことが↑↑今後の日本の政治にとって,最も重要な焦点でしょう.

注目は…

大阪地検特捜部が,いつ,どのような規模で「財務省一斉ガサ入れ」をやるのか? です.

『ノーパンシャブシャブ事件』の時も,地検による大規模なガサ入れから始まり…

最後,史上最強の大蔵省は,財務省と金融庁に分解されました.


今回の「改竄問題」は「ノーパンシャブシャブ事件」より遥かに重罪!半端な処分では済まない!!

こ~ゆ~ふ~に↑↑安倍・麻生は,財務省を断罪してゆくでしょう

2018年3月19日月曜日

民主主義の基本の基

日米とも、公務員失格になった者の発言が重んじられ、国民が正当に選んだ政治家が軽んじられている。
新聞テレビは、あたかも現職のあら探しが職務のようにすら見える。

まず、全ての公務員は国民が正当に選んだ政治家に、忠誠を尽くす必要がある。
退職後に、知り得た秘密を論うなど以ての外である。辞めた後でも公務員法は付いて回る。

また、報道は国民に対して誠実であるべきだ。
選ばれた政治家に対して、つまらぬ事を騒ぎ回るのは、彼らを選んだ大多数の国民を侮辱していることになる。
もっと言えば、言論の自由が保障されているのは国民に対してであり、報道に対してではない。新聞テレビが自論を展開したら、世の中の混乱は収拾不可能となる。

この度の様々な問題も、政治家がした事と、国家公務員がした事は峻別すべきだし、苟も国会会期中に国政に関係ない事項で会議を空費することは、国会の名が泣く。この事は憲法違反であろう。会期中に訴追又はこれに準じる行為は無理筋である。

国家公務員にしても、政府が変わっても安泰でいられるのは、新たな政府に対して従順であれと、法によって定められているからである。
間違えてはいけない。政府に反抗する公務員は、存在してはならないのだ。それが民主主義だ。寧ろ国家反逆罪に相当すると言える。

2018年3月9日金曜日

見え過ぎで困ります

前稿で述べたように、高校時代は世界の哲学や文学を読み漁っていた。
ただし、若者よ体を鍛えておけ、で、毎日6キロくらいのランニングと、週一の山野跋渉、花塚山行は欠かさなかった。

大学では早速山岳部に入部したのだが、折からの大学紛争でキャンパスはバリケード封鎖され、僕はこれを奇貨として読書と登山三昧の日々を過ごしていた。大学に機動隊が突入し、市ヶ谷で三島が割腹したニュースなどは山中のラジオで聞いたほど。一年の半分は何処かの山奥に居た。

工学部に進学しても、学業は適当にやり過ごし、ひたすら読書と登山に明け暮れたのである。

思えば、高2の時に単独で学校新聞を発行し、当時進められていた校舎移転を批判する内容だったために、発行翌日に校長命令で新聞回収するという事件を起こしてから、教師を教師と思わず、一切を自分の思い通りに行動することを始めたのである。
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50歳になって、会社役員の地位を棒に振って、法律と経済、世界を動かす原理の研究に5年余り没頭する事になるのだが、この時でも、1日10時間以上は勉学に励み、週一は安達太良山に登った。

この経験で、述べなかった社会経験も踏まえて、社会で見聞するあらゆる事項に関して、明瞭に思考することが出来るようになったのである。だから、何でも見え過ぎて困ります、というお話です( ͡° ͜ʖ ͡°)

2018年3月1日木曜日

卒業式の飲酒の思い出

50年前になるが、三月一日は僕の高校卒業式の日であった。
この日、僕達七人は、実は卒業できなかった。

卒業式後に各教室に戻って、担任から証書を受け取るのだが、通信簿は貰ったが卒業証書はお預けであった。

僕は、高二の十月からずっとこの日まで学校を欠席していたためであった。
他の六名の理由は聞いていないが、この七名には10ページ程の問題集が与えられて、
宿題提出と引き換えに証書を渡すという事であった。

仲間の一人が、山奥のお寺の息子だったので、そこで宿題をやろうと衆議一決、バイクに分乗して出掛けたものである。

ところが、六人には宿題を片付ける気などさらさら無かった!
いきなり酒飲みを始めた野田。
野田君の寺には、コモ樽やら酒が所狭しと並んでいた野田。

彼らは本堂でどんちゃん騒ぎ。
僕は、問題を解く特殊能力があったため、一人庫裏で皆のために頑張った。
問題を仕上げてから、おもむろに本堂の仲間と合流したのです。
深夜、酔っ払い無免許のバイクの背に乗って帰ったのです。

親が口出しする事はありませんでした。
でもね、翌二日は仙台の大学に受験手続き、三月三日は入学試験でした。

のどかな高校卒業式の1日でしたね!

おまけ。
僕の家のすぐ裏が高校校長官舎になっており、僕が学校を休んでいても、様子は見ていてくれたようです。
高校の隣に住んでいた僕は、学校は休んでも、毎朝グランドを20周走り、世界文学と哲学書を読み漁り、合間に受験勉強も。それなりに充実した日々を過ごしていましたね。
ちなみに、睡眠時間は四時間半。四当五落、境い目でした。