2017年9月19日火曜日

近頃不思議なこと

一つ
次の総選挙の争点は増税???
一般人は決して喜ばないことはわかっているはずなのになぜなのか。
誰が喜ぶかを考えるとわかる。
公務員。
そして、公務員が事実上選挙結果を左右する。
公務員の、公務員による、公務員のための政治、政局ってわけだな。
日本全体は人口減少だが、公務員+準公務員の数は着実に増えている。
金もかかるのだ。

その二
まもなく、日米韓合同軍事演習が始まる。
空母ドナルドレーガンも参加する。
テーマは、北朝鮮を消滅させること、金正雲を殺すこと、北の攻撃を遮断すること。
そのために兆円単位の武器・弾薬・燃料が消費され、○○重工や××化学が大儲け。
ターゲット国としてはどうするか。
日本も昔通った見慣れた道である。


その三
拉致被害者の集会に曽我ひとみさんの関係者欠席。
以前に、ひとみさんの娘と称する人物と北京で会い、その後むっつりを決め込んできた。
やはり噂通り、ひとみさんは総書記の血族になっていた?????


2017年9月8日金曜日

巨大な古代湖ー奈良湖

竹村公太郎の地形から読み解く日本史より

引用開始

奈良盆地に流れ込んだ水は、すべて大和川に合流する
数千年か数万年前、亀の瀬付近で、山体崩壊ともいえる巨大地滑りが発生し、狭窄部を数十メートルの高さで埋め、この崩壊堆積物により、それまで大和川から排出されていた水がせき止められたというのが、奈良湖が出現したメカニズムと考えられる。
地滑りによって標高45〜50メートルで閉塞され、奈良盆地がその標高まで水没した、、、。
奈良湖は時とともに湖面の水位を下げ、後退し、農地へと変貌して開発が進んだ。
北葛城郡河合町にある廣瀬大社の縁起に「崇神天皇九年に一夜で沼地が陸地に変じ橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建てて祀った。」とある。

引用終わり

奈良湖の時代には、縄文海進が未だ引いておらず、奈良湖はそれによる潟湖であった可能性も否定できないと思う。地形変動の要因は様々ある。
ここは、中央構造線上にあることも考慮から外せない。

日本の平野、盆地の多くが同様の現象によって形成されたのかもしれない。
そして、縄文海進が引いた時代やそのスピードがどんなだったかは、その土地土地によって異なるものと思われる。

2017年9月7日木曜日

自死は是か非か

我が新潟県は日本で自殺ワースト10に入っているそうです。
それは、雪国のせいだったり貧乏のせいだったりするそうです。
だけど、物事には必ず良い面も悪い側面もあります。

僕は、自分の死は自分で決めて良いと思っています。
本来そうすべきとすら思うのです。
自分の意思で自分の一生を決めるのがいい。
空海、道元、お釈迦様だって、死の直前まで正気であったことを考えれば、彼らは自分の意思で死の瞬間を迎えたのだと思います。

大勢の偉人たちが、自らの命を自分で決めたのでした。

自分で決められず、植物状態になった人や、生ける屍の人たちを見ると、なんと無様な事と思います。
老醜と言いますか、本人も家族も大変です。
子供達に迷惑をかけない人生を送りたいものです。

2017年9月2日土曜日

フェイスブックが停止になる

僕のフェイスブックが、規定違反とかで停止、削除と相成った。
初めて3日位なのだが、nhkニュースのリンクをベタばりにしたことが、著作権とやらに触れたのだと思われる。理由を告げずに、ただヤバい記事を書いたから、ストップである。
運営者が民間会社だから口出しするのは勝手だが、まさか、全体主義的統制社会になんかなってないよね。豚のボスに牛耳られる世の中なんてまっぴらだものね。

2017年9月1日金曜日

日本が8008の島だった頃に思いを寄せて

写真は去年のものですが、本文とは関係ありません。
ただ、僕の視点は後ろの斜塔のように少し曲がっているかもしれません。

さて、
今日、国土地理院地図100万分の⒈日本地図と50万分の⒈地図が届きました。
これによると、標高100メートルまでが緑色、200メートルまでは黄緑色になっています。これらの土地は沖積地層が広がる地域ですが、いわゆる縄文海進とされるところは標高何メートルまでだったのでしょうか。

株式会社アトラスシステムの日本立体地図を見ると、緑色の部分はさらに高い標高のところまで押し寄せており、もし、日本文明の草創期には、いまだ日本列島は今の形を成さず、八千八島の群島状態であったら…、関東平野はいまだ存在せず、琵琶湖は若狭湾から若狭町を経てつながり、大阪湾にかけては広大な海が連なっていた。。。。伊勢湾と琵琶湖の間は関ヶ原で海続きになっていたかもしれず、能登半島は今の佐渡のように孤島であった可能性が高い。

東北山形県に目を転じてみると、月山-朝日連山は島であったかもしれないし、阿武隈山地や北上山地までもが孤島であった可能性を否定できない。少なくとも大きな半島地形であったと想像できるのだ。現に阿武隈山地では、今でも本州各地にいるようなツキノワグマは生息せず、わずかに「橋」を渡って迷い込んできたらしい目撃情報があるのみなのである。

このような時代には、八千八島のわが民族は、船で何処へでも行くことができた。
青森県三内丸山遺跡では糸魚川のヒスイや伊豆の黒曜石などが発掘されているというが、彼らは北アルプスが日本海に落ち込む親不知の果てしない絶海もその他の厳しい海もものともせずに海を渡っていたのは事実であろう。
丸木舟では大岩壁を通過できないなどという説もあるようだが、海のお男に冒険はつきもの。三日四日食わないくらいで、遭難などしてはいられないのだ。

僕は、3年前に買った立体地図を毎日のようにしげしげと眺め、いろんなことを妄想しながら生きている。