2017年7月16日日曜日

蜂に刺されて2 

前稿の「事件」からちょうど1週間である。
ボンは至ってピンピンしているどころか…!!!

この半年患っていた腰周辺の蕁麻疹が消えた。
長年気になっていた後頭部の首筋のぶつぶつも消えた。
もちろん、刺された腫れは引いている。

たとえ一時的にせよ、意外な効果が確認できた。
そして、蜂刺されの騒動と、周囲からのエピペンの勧めが絶えないものの、蜂毒に対する恐れが心の中から消えてしまった。
蜂は僕らを守ってくれている。

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7月から、ここ、妻の実家に正式に住民票移動した。
築90年近い「古民家」で、修復らしい修復、リフォームらしきものはあまりしていない。

僕の部屋は2階なのだが、天井裏に何があるのか、怖くて覗きにいけないところだ。
1箇所換気口があってそこから、ミツバチ、スズメバチが出入りしていた。

3-4年前、就寝中に一度ミツバチに刺されたことがある。
妻との格闘中に、通称アリの戸渡といわれる秘所を一撃されたのだ。
その時は刺された痛みだけで済んだ。

それ以来、換気口はガムテープで蓋をしている。
季節によってはカメムシが相当入ってくるので、蚊帳の中に寝ることが多かった。
義母の介護が始まって妻が階下で義母の面倒を見るようになり、蚊帳を外しての一人寝が始まったのは1年前である。

それでも、天井板の隙間からか、ミツバチは時々闖入するし、スズメバチが入ってきたことも2度ばかり。以来、蜂ジェットはこの部屋の常備品である。

実は今朝の4時に目を覚まして明かりをつけたら、畳の上にミツバチが2匹転がっていた。
黙って片付けたが、怖いとは思わない。尤も、67年も生きてきたのだし、或る日突然コロッと逝ってしまうのなら、ある意味願ったり叶ったりでもある。
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この一連の事件から、僕は「自然界の治癒力」---日本蜂針療法研究会・太田/鳥居著を買って読み、スズメバチは益虫であるとの主張をしている日本スズメバチ研究所の意見も読ませてもらった。蜂は地球の生物界の守り神だ。
頭の中を、ジュリアン・ブリームの熊蜂の飛行の名演奏が騒がしくよぎっていく。

田舎のここでは、僕の蜂刺され救急搬送事件は、集落中誰一人知らない者はいない。
(救急車が来たときは、当日看取りのために退院してきた義母に何かがあったのではないかと思われたそうな)

2017年7月11日火曜日

蜂に刺されて

昨夜0時過ぎ、うとうとして寝付いたばかりの僕の右足先を、蜜蜂らしきものが襲いました。
寝入りばななのでもう一方の足でこすって寝たのですが、やがて全身痒くなり、身体中が蕁麻疹になってしまいました。

一度妻にかゆみを訴えたのですが、為すすべもなく、我が部屋に帰ろうとしたんですが、かゆみが頭部全体にまで達して、とうとう階段下に倒れこんでしまったのです。

刺されてから30分位だと思います。
慌てて妻に救急車を呼んでもらいました。

でも、救急車が来た時には、かなり状態が回復していました。
病院までの20分も、落ち着いて過ごすことができました。

救急隊員の人から、2度目が怖いから検査を受けてエピペンを備えて用心すべきであると言われました。

病院に着いて医師の問診と診察を受けるまでは、事態は全て解決したかに思いました。

念のため点滴をしておきましょうね。

ところが、、、、、、!

点滴が始まったと思ったら、突然僕の体が痙攣を起こし始めたのです。
全身がガタガタ震え出し、どんどん激しくなります。
医師は血液検査をしたいから採血をすべきだと僕に言います。
僕は採血を拒否し、点滴を直ぐに外すよう頼みました。
医師と看護師は口々に、こんな患者は初めてだ、きっと注射恐怖症なんだろう、などと言いながら、なかなか応じてくれませんでしたので、終いに僕は断固として言いました。

採血はしない、点滴は外せ、僕は帰る。と。

妻の従兄弟が来てくれていたので、一緒に帰りました。

今、私は思います。
あの解毒剤なるものこそが、危ないのではないかと。
こうして僕は一命を取り留めたのです。

蜂に刺されてから、今現在で23時間になります。
左足はまだ赤く腫れていますが、もう大丈夫です。

妻が言います。エピペンを貰っておくべきだと。
僕は思います。貰ったら直ぐに捨てよう、と。

2017年7月10日月曜日

看取り介護

四月に義母の老衰激しくなり、職場を離れることになった。

妻の実家に義母は名目上一人暮らし。その家で事実上の面倒を見ることになった。
そうなって見ると、荒れ果てた畑、老朽化した家屋がそこにはある。

5月の山菜採りは楽しいものであった。
その後の畑の開墾は、キツイけれど、生活感が充実していた。

畑の種蒔きから一部の収穫が始まった頃、95歳になる義母は食が進まなくなってきて、とうとう入院を余儀なくされた。医師の見立ては老衰。
お盆まで頑張れるどうかと言われた。

今日 その義母が35日ぶりに退院して来た。
老衰は治療を必要とする病気ではないのだ。

これから、新たな闘いが始まるのだ。