中学時代にある発見をした。
予習をして授業に出ると、授業が退屈になる。
中学時代に予習をしたのはこのただ一回のみである。
英語は能力別だったが、成績が良いと上のクラスに編入させられる。
上のクラスはほぼ塾通いの子たちだけだった。
坊ちゃん坊ちゃんしているだけで、話がかみ合わないし、
話題も貧困なので、僕はすぐにCクラスに移った。
でも、授業をまじめに聞いていれば、また間もなくAクラス入りしてしまう。
ろくでもないことだ。
高校は県下一のダメ学校だったが、山岳部と合唱と演劇は面白かった。他にも数学や科学、無線などをやった。
しかし、2年生の中頃から学校に行くのはやめてしまった。
学校に行っている暇がなかったのだ。学校は家のすぐ隣にあったのだが。
毎日、小説や哲学書を読んでいた。
学校に通っていたとき以上に、グランドの周回ジョギングはこなしていたし、毎週花塚山のハイキングは欠かさなかった。たぶん、あの学校では僕以上に自己コントロールをしていた生徒はいなかったと思う。自分で作った分刻みのスケジュールに追われる日々の高校時代ではあった。
まぬけな話だが、模擬テストでは歴史が極端に高校時代の弱かった。
学校に行ってないから誰にも教わっていなかったのだ。
でも、必要性を認めて自学自習したらすぐに合格点になった。
自分は天才かも。
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馬鹿げた話だが、高校時代の僕には教師も学友もいなかった。
少なくとも、高校時代の後半1年半以上は、学校にも行かなかった。
防大と旧帝大の一つに合格した時は、さすがに高校に合格の報告に行ったのだが、
僕を知っている先生は一人もいなかった。
それでも、僕は卒業生の一人だった。
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卒業式の日に、「今日ぐらいは出て来いよ」と担任の先生に言われて卒業式に臨んだ。
卒業証書はクラス総代が校長先生から受け取る。それを各教室で担任から分配してもらう。
ぼくら6人はもらえなかった。成績が悪すぎるので、卒業宿題と引き換えに渡すとのこと。
夏休みの宿題のような問題集が渡された。
みんなで仲間の一人のお寺に行って、卒業パーティーが始まった。お寺には有り余る酒があがっている。酒飲みが始まった。僕は宿題係りだ。全部やってから仲間に加わった。
したたかに飲んだ。
翌日は仙台に行かなければいけない。
入試のチェックインを済ませて、3月3日は入学試験だった。
ハードなスケジュールだった。
入学試験の朝、仙台駅からタクシーに乗って仙台一高に向かったが、田舎の学生とみて運ちゃんのからかいにあった。
わざと一高と二高を間違えて大きく遠まわりをしてくれた。
一五分遅刻した。
どこにでも、いかなる時も、意地悪がいるものだ。
僕は、東北大に入学した。
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