2016年5月27日金曜日

新しい潮流へ

伊勢志摩サミットG7が始まったが、今秋にはG20が中国杭州で開催される。
NATOグループと非NATOの色づけが鮮明になる。

G7では何ら新しいことが打ち出せるわけではない。
沖縄戦について「深い遺憾の意」を示したというオバマだが『でも、戦争だから仕方ないよね』と言っている顔である。

以前、ヒロシマの惨状と原爆を見たときに、オバマ氏は笑いながらガムを噛んでいたTBSの映像があった。

とにかく、露中抜きのサミットの意味は、G7とG20の対立を鮮明にすることでしかない。G7に日本が加わっているということは、日本が「侵略者」の陣営にいるということである。

G7とは、日米英独仏伊加プラスEU、G20は、G7の7か国に、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、韓国、メキシコ、ロシア、サウジアラビア、南アフリカ、トルコ、欧州連合・欧州中央銀行を加えた20か国・地域のことです。G20からG7+EUを引くとG12となります。トルコとかが微妙ですけどね。

この200年間、G7の国々が世界を侵略しまくってきましたが、そろそろ新しい潮流が生まれるのでしょうか。


2016年5月25日水曜日

今日は何の日だろう


そういえば、日本自衛隊はすでに核武装しているという話もあるが、住友のJCO臨界核実験は1999年9月に小渕総理のもと行われたけど、あの原理を応用すれば超小型中性子爆弾なんてわけなく作れるよね。この核反応は隠れて静かに行うこともできるしね、近くにいた人間は突然死するだけだし。
小渕さんが突然の脳梗塞で倒れたのは、中性子を浴びたせいじゃないよね。

2016年5月24日火曜日

膝の古傷が痛むので

今年の冬は久しぶりにのんびりと過ごした。

しかし、のんびりしすぎで、体が相当参ってしまった。
ひざに痛みが出てきたのだ。
1月。野沢スキー場の整形外科医に見てもらったら、半月板がなんとやらで軽い手技を施してもらった。
半分治ったが、そのままほったらかしにしていたら膝にボウマン感が出てきた。

3月。酒田に出稼ぎに出た。
体力(ひざ)の不安を克服するために運動をすることにした。

爾来、今5月に至るまで早朝体操を実施している。

今朝のメニューは
1.自彊術の半分くらい。
2.木刀振り5-600回(スクワットを入れる)
3.片足バランス 前後左右100回くらいずつ
4.正拳、横拳各100回
5.腿上げ歩き200回
6.その他
計1時間くらい

2ヶ月でだいぶ体は自由が利くようになってきたが、まだまだの感じ。
右ひざは結構しょっちゅう痛い。

この仕事が終わったらもう一度医師に診てもらおうと思っているが、朝1時間くらいのトレーニングは今後必続だろうと思っている。

2016年5月21日土曜日

50年前の僕は天才だったのかも

中学時代にある発見をした。
予習をして授業に出ると、授業が退屈になる。

中学時代に予習をしたのはこのただ一回のみである。
英語は能力別だったが、成績が良いと上のクラスに編入させられる。
上のクラスはほぼ塾通いの子たちだけだった。
坊ちゃん坊ちゃんしているだけで、話がかみ合わないし、
話題も貧困なので、僕はすぐにCクラスに移った。
でも、授業をまじめに聞いていれば、また間もなくAクラス入りしてしまう。
ろくでもないことだ。

高校は県下一のダメ学校だったが、山岳部と合唱と演劇は面白かった。他にも数学や科学、無線などをやった。
しかし、2年生の中頃から学校に行くのはやめてしまった。
学校に行っている暇がなかったのだ。学校は家のすぐ隣にあったのだが。

毎日、小説や哲学書を読んでいた。
学校に通っていたとき以上に、グランドの周回ジョギングはこなしていたし、毎週花塚山のハイキングは欠かさなかった。たぶん、あの学校では僕以上に自己コントロールをしていた生徒はいなかったと思う。自分で作った分刻みのスケジュールに追われる日々の高校時代ではあった。

まぬけな話だが、模擬テストでは歴史が極端に高校時代の弱かった。
学校に行ってないから誰にも教わっていなかったのだ。
でも、必要性を認めて自学自習したらすぐに合格点になった。
自分は天才かも。

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馬鹿げた話だが、高校時代の僕には教師も学友もいなかった。
少なくとも、高校時代の後半1年半以上は、学校にも行かなかった。
防大と旧帝大の一つに合格した時は、さすがに高校に合格の報告に行ったのだが、
僕を知っている先生は一人もいなかった。
それでも、僕は卒業生の一人だった。
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卒業式の日に、「今日ぐらいは出て来いよ」と担任の先生に言われて卒業式に臨んだ。
卒業証書はクラス総代が校長先生から受け取る。それを各教室で担任から分配してもらう。
ぼくら6人はもらえなかった。成績が悪すぎるので、卒業宿題と引き換えに渡すとのこと。
夏休みの宿題のような問題集が渡された。

みんなで仲間の一人のお寺に行って、卒業パーティーが始まった。お寺には有り余る酒があがっている。酒飲みが始まった。僕は宿題係りだ。全部やってから仲間に加わった。
したたかに飲んだ。

翌日は仙台に行かなければいけない。
入試のチェックインを済ませて、3月3日は入学試験だった。
ハードなスケジュールだった。
入学試験の朝、仙台駅からタクシーに乗って仙台一高に向かったが、田舎の学生とみて運ちゃんのからかいにあった。
わざと一高と二高を間違えて大きく遠まわりをしてくれた。
一五分遅刻した。
どこにでも、いかなる時も、意地悪がいるものだ。

僕は、東北大に入学した。