2015年1月9日金曜日

健次郎さんへの手紙

高橋健次郎様

先日はお世話になりました。
僕の標記の物語についてはやはり詳細はまだ伏せさせていただきます。
輪郭も今は申し上げることができません。
何しろ、著作権やアイデアを流出させると、私の苦労が水泡に帰してしまいますから。

ただ、これだけはお話してよろしいかと思います。
故郷川俣町にゆかりのある小手子姫に関して、町内の史跡、月舘町の史跡・文献を一通り確認しております。

また、花塚山、信夫山、蔵王山不忘山、出羽三山の関連や、特に出羽三山については小手子と崇峻天皇の子である蜂子皇子が開山ですので、羽黒山をはじめ三山はくまなく歩いております。修験道の研究も進めております。

小手子は女神山に登って神事・鬼道を行い、花塚山に登っては出羽三山をはるかに拝んでいたといいます。
月舘町の資料では、小手子は崇峻天皇との間の子、錦代皇女(にしきでのひめみこ)も連れてきていたというのは非常に興味深いものがあります。

下の写真は今回の川俣町で撮影した、小手子の居館近くの姫が入水して果てたといわれる大清水の池です。
                      

天皇弑逆という前代未聞の大事件と皇后・皇太子の東北地方への都落ちは、その事実だけでも安寿と厨子王丸の物語以上の重みがあると思います。

僕は、大阪勤務の折に何度も飛鳥の地を訪ね歩きました。崇峻天皇、聖徳太子、蘇我馬子etc.の史跡やゆかりの地を何度も見て回りました。
3年前には、これらの地に兄靖宏を案内したこともありました。

情報は、インターネット上で閲覧できるものはもちろん、日本書紀、古事記をはじめ、黒岩重吾、豊田恒存、篠崎紘一などの関連小説10話以上、古代史評論10冊以上、歴史や修験道の解説書10冊以上を買いあさり、各地の博物館や史跡を訪ね歩く日々を送っております。

しかしながら、経済的ゆとりがなければ所詮続けられない仕事です。
世を忍ぶ仮の姿のサラリーマン生活ですが、これとて相当の時間と体力を要しますので、研究はなかなかはかどらず、いわば趣味の領域から脱出できない現状と言えます。

僕は、今井家の祖先は小手子に同道してきた人だと考えています。
証拠はありますが、ここでは明かせません。

奈良の飛鳥には崇峻天皇陵のすぐそばに「今井谷」があり、飛鳥の有名な岡寺は住職が「川俣さん」です。
橿原市には数百年前の街並みが残る「今井町」があり、その近くに「川俣神社」があります。戦国末期の堺豪商三人衆の一人今井宗久はこの奈良の出身です。当然、ご先祖様は飛鳥でつながっています。

いとこの今井正二さんが「今井宗久」を名乗るのも、故なきもなしと言えるかもしれません。

このほか、面白いことがたくさんありますので、僕のこの道楽は当分収まりそうもありませんね。

駄文失礼しました。

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