2013年6月9日日曜日

人生の引き際くらいは自分で決めたいね

50歳を迎えた時、「そろそろ安岡正徳の言う〈死計〉すなわち棺桶に入るための心構えを固めておかなくてはな」と思ったものだが、あれから13年。何も書くとしたものが考え出せずにここまで来てしまった。

両親のこと、周囲の年配者のこと、医療、宗教・・・いろんなことを考えてもなかなかいい答えが出てこない。
石原慎太郎の「ババア発言」もあった。
マネして「社会的に生きてる価値がなくなったら、引退だよね」などと軽はずみに口走ったら、連れ合いからこっぴどく怒られてしまった。


ただ、自分のことを考えると、

1. 寝たきりや植物人間状態で生き延びることは嫌だ。
2. 闘病の末でも、結果そのまま死んでしまうのは嫌だ。
3. してやりたいことがあるうちは、元気に生きていたい。
4. してやりたいことがなくなり、生きてる意味も見いだせなくなったら、それは死期だ。
5. 空海や西行、近くは三島由紀夫等を例に引くまでもなく、自ら死期を悟り悠々と死んでいった例は多い。
6. 自殺を賛美するものではないが、マイナスに捉えることも否定する。
7. また、病気を治療するのが本業の医者の管理下で死ぬなどまっぴらごめん。
8. 「東電」とかに決められるのは論外ですよね。
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僕は最近思うのだが、「孤独死」こそ最高の死に様ではないか。
アフリカの象やライオン、野生の動物。
大往生の基本は孤独死ではないか。

死期を悟ったら、1週間も飲まず食わずを続ければ安らかに死ねるのだ。
それも、最初の3日くらい我慢できれば、あとはすうーっと逝ける。
これだね。

要は
 人間引き際が肝心というが、人生の引き際くらいは自分で決める。
のが、かっこいいと思うのだが、いかがでしょうか。
ただし、辞世の句の一つも残しておかないと本当に「孤独死」になってしまう。
朝に「道」を知ったことを示すためにも、一句残しましょう。

僕は楽に死ねる方法を「発見」したことで、老後に対する心配がひとつ減ったような気がします。

子供に自分の老後の面倒を見させるなんて、親として恥ずかしいことだと思う。



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