2012年9月30日日曜日

わが小手子のために

日本書紀に、「或本」に曰く。とある部分について。

(引用開始)
http://inoues.net/tenno/sushun_tenno.html


泊瀬部皇子は、馬子が穴穂部皇子と守屋を討った直後、即位して崇峻天皇となる。母は蘇我馬子の妹小姉君だった。しかし蘇我勢力に
  支援されて天皇になったわりには、蘇我馬子との関係は悪化していったようである。帝は蘇我氏との間に婚姻関係を結ばず、大伴連糠
  手の娘「小手子」を妃として、間に蜂子皇子と錦代(にしきて)皇女の一男一女をもうけるが、蘇我馬子の娘河上娘を正妃として迎え
  たという説もあり、崇峻天皇の寵愛を受けるようになったのは誰かという事を巡って、これに対する妃大伴小手子の嫉妬が、崇峻天皇
  暗殺を招いたとの説も根強い。日本書紀は「或本」に曰く、これは天皇の寵が衰えたことを怨んだ小手子が馬子のもとに遣った密告に
  端を発するという。

(引用終わり)
日本書紀は蘇我氏の滅亡に対し積極的な意見を述べる箇所が多いが、崇峻天皇の暗殺についてはすこし変わっている。

上記のように讒言をしたのはわが「小手子」かもしれないと載せている。

しかし、これは変だ。
大友糠手の娘である小手子が、どうして敵対する蘇我氏に讒言する必要があるのか。むしろ繰り言を言わねばならないのは河上郎女だろう。

河上郎女はもともと蘇我氏の娘だし、この娘と姦通した駒が処分されたのも、讒言主の正体を知っていたからだろう。

そして、その「讒言」を受けて天皇暗殺に走った馬子の行動がさも当然のように記述されているのも納得がいかない。

この辺には、「天皇家の素性」を示す何事かがあったのだろうと思われます。

-----------------------------------

この時代の日本上流階級の婚姻は「妻問婚」である。
天皇家の血統云々と言うけれど、「女」が許せば誰とでも交わることができた時代である。
(この点でも、古代社会には男系の万世一系など有り得ないと言える)

ちょっと前の欧州上流社会と同じだ。高貴の女性にとって「結婚は浮気の免罪符」なのだ。
女にとっては「処女性」のみが問題であったと言うべきか。

河上の郎女は、せっかく崇峻天皇の妃に入ったのに天皇本人が心を開いてくれない。自らの第二の青春を求めて父親に告げ口をしたのに違いないと思う。小手子が蘇我の親方に告げ口をする理由はない。

「日本書紀」は著者の正当性を証明するために嘘で固めた書物であるが、すこしは良心の呵責もあるらしい。何かのヒントを残していてくれているようだ。

2012年9月9日日曜日

赤穂に来ました


まずはなんといっても、塩サイダー。
祥吉のプレゼントでもらっちゃった。
帰ってからウィスキーの炭酸割に使ったら、是がまことに美味!!!
因みに、340ml3本で510円とか。(通販情報)


駅のそばの蕎麦屋さん。さすがに赤穂は時代がかっています。
だけど、機械仕掛け人形の悲しさよ。 椀のお蕎麦は口元までは運ばれるのですが、けっして喉を通ることはありませんでした。(涙)

大石内蔵助と赤穂四十七士の合言葉は、なんといっても大願成就。
武士の本願は「死ぬことと見つけたり」
現代人にはこんな『大願』などいらないでしょうね。

封建時代の当時は、進んでも地獄引いても地獄、動かなければ不動の地獄だったのですからね。
男も女もつらい時代でした。
命がけで果たしたのは「名誉回復」のみ。人生辛すぎでした。

赤穂城跡にある大石神社の参道には四十七士の像が立ち並んでいます。
東京オリンピックのころだったっけ? 大河ドラマで放送されたのは。
あの頃の僕はまだ中学生位だったけど、全員の名前と役割を覚えたものです。
今になると役者さんの名前すら思い出せませんでした。

赤穂温泉のすぐ近くには、海に向かって伊和都比売(いわつひめ)神社があります。
播磨の国一宮の伊和神社の比売神(ひめかみ)とも言われていますが、航海安全の神様でもあります。
浅野家の初代が建立されたそうです。

鳥居の額銘は、日露戦争の英雄、東郷平八郎の筆によるものです。
東郷平八郎は薩摩藩士でしたが、「天気晴朗なれども波高し」の「トーゴーターン」戦術で世界一のバルチック艦隊を全滅させ、日本軍を勝利に導きました。
この功でのちに元帥伯爵に列せられ、東京や九州には「東郷神社」まで建てられたようです。
もともと神社と言う所は戦争や軍人と深い関係がありますからね。

最後に。
「ひめ」とはかなしいもの。

ここに祀られている「姫」も夫君は少し離れたところに祀られている。

我が「小手子」に至っては、夫は奈良県、「小手子姫」は福島県に祀られている。何の運命のいたずらであろうか。大阪の堀越神社に家族そろって祀られているとはいうものの、本人たちは生涯再びの逢瀬はなかった。

ここの姫も、海に向かってただひたすら建っている。帰らぬ夫をただただ待つ妻のように。
彼女にとっては見える船すべてが夫の乗る船にみえるのであろうか。
航行するすべての船を守ってくれているのである。

鳥居の前の参道は海に向かって階段で続いているが、「危険 立ち入り禁止」。







古都超定番の旅(9/2)

















日は結構暇で、どう過ごしたらいいか迷うことがある。かといって遊んでいるばかりではしょうがないが、寝てるか近所の散歩は嫌だし、もともとテレビを見る習慣もないし、、、、と言うわけで出かけることになる。
今回は先週の旅行記を書き忘れたので思い出しながら書くので堪忍願いたい。

京都と言えば、京都駅を出てすぐに目につくのが京都タワー。
高さ131M、市内で一番高い建物で、昭和39年に完成している。
僕も、高校の修学旅行で「見たような気がする」。
近くに東本願寺があって、その形から「お東さんのローソク」ともいわれるそうな。

高さ60メートルの京都駅は、794平安ホトトギスから1200年を記念して計画され、197年に完成した。
他の巨大駅が軒並み200メートル超クラスなのに比べ、景観への配慮からかなり低く作られているという。
それに、結構解放感はある。

まずは、清水寺に突撃した。ここは清水寺の一角。縁結びの神様「地主神社」です。

弁慶が牛若に負けた原因はこの金属製下駄をはいてたたかったからとか。
しかし、この鼻緒にこの足のサイズの足首が入るとは思えない・・・・・

嵐山の手書き友禅の工房。温厚そうな職人さんが絵付けをしていた。
伝統の承継と、新たな創作の発露との間には相当の事柄があるように思われる。
伝統承継には忍耐、芸術発露には個性の爆発が必要だと感じた。

僕は茶道をやらないので、こういう作品の価値は技巧技術の難度に比例するものと思っていた。
それだけではないらしい。

下の写真、左は昔の映画の名優「大河内伝次郎」の何かお屋敷らしい。
偉くなりたいものだね。こういう所に家が持てる。

嵐山駅にトロッコ列車が入線してきました。

展望台から眺めると、桂川は眼下にみえる。こういう所からは原生猿に戻って思わず声を出したくなる」

平成のバスガール様曰く。鴨川のこれは河床(かわゆか)といって、夏場、先斗町界隈からの飲食店が鴨川に床を出しているとのこと。ま、いわゆるビアガーデンですな。やっぱり夏はこれですわ。

金閣寺にやってきました。 
入口に掲げられた、五用心の戒。

平安神宮はとにかく広い。美しい。これだけの広さと美しさを確保するためには、今の時代税金どれだけ必要?

臥龍橋。こういうのは昔から好まれていました。
杭の頭を並べたような歩廊です。


2012年9月6日木曜日

やっぱりマイケルが最高!!


http://www.youtube.com/watch?v=idg8TNknvDU&feature=related

このブラック・オア・ホワイトもいけてるし、We are the Worldは本当に素敵だ。
僕にはこれ以上のスターはいない。

------------------------------------------
僕たちは地球に守られている。
地球を守ろう!! なんて神様みたいなことを考える必要はない。
地球は、人類ごときに傷つけられるようなヤワなものではない。

宇宙が無限に広がっているように、
地球も無限の力に満ちていることを信じよう。

石油を全部焚いてしまっても、
原発が全部爆発しても、
地球は変わらないだろう。

変わるものがあったとしたら、それは一体なんだろう?
発展と生成はいつの世にも続いていくものだろう。
人類もそのように成長していってほしいものだ。