2012年3月9日金曜日

若いときの僕

上には上がある。
下にも下がある。
言いふらされた言葉だけれど、それはホント。

生まれた小さな田舎町でも、僕の家は中ぐらいの家だった。本当にお金持ちの家もゴロゴロある半面、本当に貧乏な家もたくさんあった。子供心では、それが当たり前の世の中で、なんとも思わずみんなとよく遊んだものだ。

お勉強もそうだ。田舎町だが学校だけは大きかった。僕らの同学年は360人くらいいた。
中学にもなると成績順位が発表されました。中流の僕は当然中流で、定位置は真ん中。
少し勉強でもすればよかったのだが、頭の中は常に遊びしかない。壁新聞を作ったり、馬跳びをしたりして遊んでいた。
でも、成績のいいK君やS君は違っていた。大きな商家の息子だったり軍人の子だったりした。彼らは常に校内一二を争っていた。僕の得意は山学校と遅刻、割りばし鉄砲や手裏剣などを作って喜んでいた。そこからして違う。家にあったカメラを壊してレンズだけを取り出して、虫眼鏡にして遊んでいた。当時のカメラはとても高価だったらしいけど、値段のことなど考えたこともない。

高校生活は山登りと読書しかなかった。学校は半分休んだから授業内容などわかるわけがない。最初は授業中に山の料理などを考えたりしていたが、そのうち文学や哲学などに興味を持ち出して本を買いあさり、その読書が膨大な量になったので、学校に行かずに三昧にふけった。学校を半分休んで卒業できたのは僕ぐらいだろう。同級生の一人は修学旅行の時に遊園地のメリーゴーランドか何かに乗ってメニエル症候群になり、学校は一年留年している。

大学はすごいところだ。最初の一年は授業もなかったので山登りばかりしていたが、頭のいい奴はいるもので、僕は一年浪人して入学したのに、みんないくつも年上に見えたものだ。講義の一つ一つが素晴らしかったけど、それを聞き分ける学生がそろっていた。さらにその上を行く人たちもいた。
勉強させてもスポーツさせても、遊びでさえも彼らは一流だった。
僕はというと、そんな雰囲気の中にいるのが好きというだけで、時々コンプレックスを感じながら、何かに流されるような学生時代の日々を送っていた。
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出勤時間なので、続きはまたあとだ。

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