奈良県明日香村、橿原市は一人がってな思い込みからすると、わが今井家のルーツがあるらしい場所です。
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福島県川俣町は、その昔殺された崇峻天皇の妃であった小手子姫が落ち延びて開いた町。養蚕技術、絹織物技術を伝えられた町です。
小手子姫の実家は大伴の糠手。この一族は川俣町北方に健在です。
私の家の出所は、川俣町南方の地形的要害にあたる場所に住みついております。
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崇峻天皇暗殺事件については、日本書紀にも詳しく述べられておりますが、大筋はともかく、相当の脚色が込められていることは想像に難くありません。
大伴の娘であった小手子姫がいくら天皇の寵愛が衰えたからと言って,実家の政敵である蘇我家にひそかな情報を教えるなどということはあり得ません。日本書記はこのあたりいかさまを書いています。
崇峻天皇暗殺事件は、僕は、当時の尊皇派と攘夷派の戦いだったとみています。
尊皇派とは、崇峻天皇を持ち上げる一派ではなく蘇我馬子の一族だったと思います。崇峻天皇は攘夷派でした。
この謀略戦で崇峻天皇は破れました。その墓が現在の桜井市にあるという天皇家の説がありますが、実のところは不明というしかありません。
大阪には、唯一崇峻天皇を祀ったという堀越神社があります。かなり変わった神社です。
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あっという間に妃の座から追われた小手子姫は、聖徳太子の一派に追われてか、助けられてか、東北の地川俣に落ち延びました。
付き従うは、大伴家や今井家などの、大伴家または崇峻天皇ゆかりの今井家などかなりの人々であったと想像されます。
ある者は大友家あるいは今井家を守り、ある者は蘇我家の立場から小手子姫とその一党を閉じ込める役に回ったものと思われます。
その事をにおわせる家名や地名がいくつか残されているような気がします。
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去年の夏、兄とともに明日香村を訪れた私は、その不思議な因縁をいくつか体験させられました。
小手子姫と私たちについては、また改めて続きを書きたいと思います。
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