原日本人の一部は倭族と言って、日本の縄文時代末期には中国四川省の成都や重慶あたりに住んでいたらしい。
環状集落を作って暮らしていた。
やがて揚子江を下り杭州付近に住みつくようになった。
ここでは先住部族から稲作の技術や航海術を教わった。
紀元前5世紀ごろ、呉越戦争で南方の越に敗れると、かれらの行先は洋上しかなかった。
こうして、倭寇と呼ばれる民族の新しいページが開かれたのだ。
倭寇は大陸の沿岸、台湾、朝鮮半島、日本諸島まで進出するようになった。
環濠集落とジャポニカ米をもって。
進出といっても、追われてのことだから逃亡といったほうがいいかもしれない。
ヨーロッパのジプシーに似ているかもしれない。
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