2020年12月30日水曜日

幹夫くんからのお便りーー僕は涙が滂沱と流れた

  小手姫メールを頂いたのが13年11月、今20年も末です。

 以下の文は13年に半分ほど書き、翌年またその半分を書き、翌々年は数行、また数行、ずっと気にかけておりましたが折々の調べ事と考え事に寸断し、最後まで書けませんでした。現在、いくつもある書きかけ文を一つずつ書き終える作業をしています。昨日ようやくこの文を終えました。
 メールを見た折、脳裏に浮かんだ場面の羅列です。読むに値するものではありません。メールはこちらから求めたわけで、あなたが二三日で書いた分量を私は七年要しました。無能は歴然、これで返信の義務を果たせたと私だけの満足のため送信します。

                    *

 一読二読……六読ほど。
 物語を紡ぐに充分な題材ながら私の能力は対応できません。
 筆力が自明の第一理由、加えてこの町に図書館がありません。福島の図書館へ通う交通費を持ちません、ネットで調べるには液晶画面を長時間見るに私の目が耐えられません。
 ここは一番、初志貫徹、印税や賞金を夢見てご自身お書きになることをお勧めします。川俣にある資料が必要ならコピーしてお送りします。
 電話にて文質の話をなさいました。小説の文体は何でもありです。
 あなた自身が書けないと思うに至ったのは(間違いかもしれません)文質より叙述の迷いではないでしょうか。川俣を書きたい、羽黒山を書きたい、修験道を書きたい、帝室を書きたいと範囲が広がり一筋の流れを作れない、その迷いではないかと推量しました。それならば時系列に沿った記述が書きやすく読みやすい手法になります。さらに小手子の自殺理由もしくはきっかけが作れなかったこともあるでしょうか。

 序章に前三代天皇時の仏教受容あれこれを記し、敵役馬子を特筆して崇峻との確執、軍立てに物語は始まります。そして都落ちの崇峻、小手子、蜂子を一章ごと交代で述べる。つまり三本柱の螺旋階段、あるいは三都物語、または三点支持の岩壁登攀、その際のあき手あき足に馬子と聖徳太子を当てる形とし、エピローグに役小角を置きます。これなら書きたい要素のすべてを投入できます。たいていの通俗物語は主人公の意志行動目論見に対し敵役の妨害があり、援護や離反、必然や偶然を経て、困難を克服しての喜びか、挫折しての悲しみが結末です。
 物語の主人公を蜂子に置き、あなたの想に上書きの形で私が空想した幾つかの場面を述べます。

 まず小手子をマザーテレサのような慈愛溢れる女性像にしたいのですが錦代を置き去りにしたことに整合性を持たせるための案出。
 糠手ら都落ちの旅の途中、土地の道案内がこの先を山裾回りに辿りゆかば次の集落なりとて去りしあと踏み地を誤りたるか人家もなくて岡ほとり、今宵は野辺の泊りにしようとて人々薪を集め鳥獣を狩り食草を摘むなど動く中、少女錦代は女達の髪飾りにせんとて花を採りつつ木の間に入る。そこへやけに人声の繁きを不審に忍び来た山の民一人がこれを攫う。とっぷり日暮れ、錦代の不在に人々大声にあたりを呼ぶも空しく、翌日、四辺を駆け捜すうち崖上に錦代の上衣を見出す。数人して谷底を尋ぬも見当たらず。もはや、獣魔物に噛み破られてありしかと泣く。糠手、槲の枝を剪り、崖上に立て、姫の衣袖一片を領(ひれ)に巻き標(しめ)となす。折しも糠手、毒虫に刺されたるか右踵は蕪の如く腫れたり。歩むに難渋、川俣の地に至り、茅屋に分宿の白々明け、里人の騒ぎ罵る声あり。外を見れば賊ら穀袋を担ぎ丘を這い行く。老いにしとて大伴糠手もとより武門、弓執って賊二人の尻脚を遠矢に射る。郎党駆けて捕らえ詰問すれば、頭目なるは鉱脈探す新羅人なりと。糠手、二人の縄を解き、盗みはすまじと説諭し放つ。翌朝、未だ歩けずして止まる宿の庭に、四足を藤蔓にて巻きたる大鹿の置かれてあり。山人の礼物と知る。
 里人あげて感佩し、里長今井道守(いまいのみちもり)曰く、この辺は賊多し滞留願いたしと。足の病みたる糠手、錦代の隠れたる所より一日道なればの思いもあり礼して諾なう。里人急普請に館を設ける。
 小手子は蓬を集め川水に揉み父の足に当てる。三十日ばかりにて足は癒えた。そこで父はこの地に留まるべしと言う。馬子の勢い届かず、また郎党の幾人か里娘と離れがたきまで馴染む。さらに出羽は北辺にて寒さ酷なるべし。また、この地の水のよさ、わが傷癒したる神明の地なり。
 今井道守が小山の麓を糠手に供す(女神山の麓、月館側に「糠田」の地名あり、こじつけ可能です。また川俣福沢に「糠戸の内」の地名もあります)。館の傍らに大なる山桑あって近辺の野山にも処々に見る。そこで小手子、人を下野(しもつけ)まで遣わし蚕種を持ち帰らせる。養蚕は天皇家代々の后が行いし業、三年四年と経るうちこの里には小手子に教わり蚕を飼う者多くなり、手末調(たなすえのみつぎもの)として献上するほか商布(たに)としても交易の用を弁ずる。調を運ぶ使いには別に一反、これは小手子創案の鳳凰模様を織りなしたものを持たせ河内の崇峻へ届けさす。自身がまだ生きてある証なり。
 ある年の夏、今井道守、糠手が館へ向う道すがら土手下に田の草を取る女達三人の尻を見る。(うーむ、やはり女はケツよ。若いおなごのケツよ、ええなぁ、ええのぅ)。
 見惚れる隙に路上へ浮き出た木の根に躓き土手をもんどり転げ落つ。運悪く、何百何千年か前にどこかの火山より降り来たった大なる疣石へぶつかりひざの皿を割る。さらに反動で顔面をも鼻から打ちつけ「ぎゃっ」とおめいた声に娘ら驚き、すわ大事と一人が糠手の館へ知らす。
 郎党が戸板に載せて運べば小手子自ら傷を洗い薬草を施し、また戸板にて家へ届ける。後も折にふれ見舞し、草も換えして顔膝ともに膿みもせず、痛みはあれど数旬に杖立ちならば叶う身となる。

 蘇我家の宰領する十日市は畿内随一の繁華を誇り、また朝廷に重きをなすによりて百済新羅高句麗の使者を迎え、内外の宝物財物穀物は倉廩に満ちて天皇家を凌ぐばかり。
 馬子の飽くなき物欲、さる日、女房が崇峻妃の着せし綾織と同じ文様を河内者に見るたりと妬み顔して語るを聞く。兵を集め崇峻よりそを奪うは容易なれど卵を得んとすれば雌鳥を奪うにしかず。健児(こんでい)を集めの衛士や調庸を司る吏員、相撲人や采女(制度化は奈良平安以降)に関わる者ら、およそ京畿より陸奥へ下る者らなべて川俣の地を過ぐるにおいて「蘇我大臣は小手子妃帰還なれば皇太后の礼を以て遇する思し召しなるよ」と触れさす。
 その一方、河内の崇峻へ新羅渡りの悪僧を遣わす。この僧、護摩壇に用ゆるに験ありと蜜多羅樹(創作名)なる香木の鉢を持参、崇峻と薬園を歩みつその葉を二枚毟り取り一枚を自ら口に噛む、もう一枚を崇峻に与え、崇峻またこれを噛む。天皇位を去りてより毒見の薬子を置かぬに慣れたゆえ、また相手が高僧なればとてのこと。この僧、手品師の用ゆるパームの技法で予め指間に別葉を挟み置き、自らは香草を食み、崇峻に与えたは南天の葉なり。数呼吸にて崇峻、胃の腑蠕動し悶え吐く。
 悪僧、崇峻を斜めに見おろし曰く「仙骨の柄なくんば仙丹は毒なり、仏法にても同じ理、いかに尊者の名を誦し偈を万遍唱うとも汝、この蜜多羅樹を吐き戻すにおいては悟入の道なし、凡夫の餓鬼骨曝し一世を終ゆるの他なし」
 それより崇峻、屈辱の念去らず病臥し日々重る。薬草の庭に満つるも用いて効なし、夜毎新羅僧の罵詈讒謗を反復し悶う。

 頃しも月山の蜂子、その夜は急峻なる崖の中ほどなる岩窪みに休みおりしが例夜になく鳥獣の鳴き騒ぐを訝しく岩ほとりに出る。月光は夜露含みて赫々たり。時に地鳴り諸共岩畳揺れ、森より湧くは無数の鳥、獣の騒ぎも立ちて揺れ増す。岩間の松が根こそぎ倒ると同時に足下の岩が崩れ蜂子は虚空に放たれる。呼吸もならぬ落下の中、(己は死ぬるや)の念とともに脳裏に湧きしは母の俤なる。温和と慈愛、許しと励まし、俤へ手を差し伸べ胸に空を吸い込めば垂直降下より僅か水平の働き覚え、念を増してさらに横へ流る。眼下に滝壺の光るありてその淵に落つ。命延びたり。
「己は迦楼羅(かるら)になる」修行、激しさ増せり。

 川俣の小手子、蜂子の恙無きを願い消息を欲せしも出羽を知る者にてこの地を通るは無し。
 逗留して五年目の冬、父糠手が咳熱、瘧を発して死ぬ。

 鳥への化身術を得た蜂子、鳥瞰の力もて川の一角を均し沃野になすなど衆の讃仰を受く行いなして次第に仲間増えたり。当初より乳兄弟の男二人、背高(せいたか)と紺柄(こんがら)が副将格でつく。
 また蜂子は幾度か畿内へ飛び崇峻の住まいを知るも鷹に化身して訪うた夜、崇峻は馬子への恨みを叫びつ悶死する。

 川俣にては今井道守、小手子に向いて曰く「身分違いは承知で言うのだ。俺の家に来てくれ、なあにどこぞの大臣相手だとて俺が守るべえ。こう見えてもひと声挙げれば腕っ節の若い者、百や二百は集まる俺だ。大和者の勝手にはさせねえ」
 そを小手子は否みぬ。身分にはあらず、片鼻潰れたる道守の面相を厭うにもあらず、ただこの里の男たる、偉ぶるか卑屈たるの二辺のみにて文読む者とてなかりき。道守ならずとも誰それの身体病痛みあれば薬草摘もうなれど、日々共に物語すは気疎し。長年従う嫗や里娘下僕数人にて小庵へ移り機織を日々とす。
 かつて盗みを働きし山の民の一人は年に一二度訪れ世の有様を語る馴染なり。出羽の地につき尋ぬれば、かの地の猪は美味なりとの答にて詳らならず。

 蜂子の副将背高が修験広めに川俣を訪れたり。花塚山を足懸りに歩み暮らせば土地の好奇人、その姿を偉丈夫と見て幾人か歩みを習う。

 その年、馬子の家人が河内にて川俣より使いしたる者を捕え責め、弓馬の兵十名と下人十名にて大和より下る。
 道守に曰く「小手子様を出さずば里皆焼払わん」
 道守否む。
 兵の頭目、弓を振りて指し示せば、得たりと手の者、松明を一戸に投ぐ。藁に茅に忽ち炎したれば内より襤褸着物に炎した男の悲鳴し出でたる。兵士ら面白げにそを射る。里人恐れたり。なれど敬慕する小手子の住まいは誰も言はざりき。
 兵らその夜は今井の館に入り、家中の男は外に出だし酒食に興じ狼藉す。
 翌日、里人より話聞いたる小手子、道守の前に現れ、兵と共に往なむと告げる。道守止めたり。
「いや、きのう殺さっちゃ男はお前様は知んにべげんちも、三岐乎つう、里一番の鼻つまみでな。そこらじゅうに迷惑ばっかし。あだ男は死んで世のため人のため、つまんねえ男なんだでば。ほだがら、みんな止めねがったんだわい。憐れんでやっこどねんだ。いいがら隠っちっせ。俺がなんとかすっから」
 かつて糠手の従者たりし屈強の輩は皆出羽へ赴き、近里へ童を走らせ危難を告げたるも応援は来たらず。
 道守の心積もりは小手子昨年他界せりと述べ、里の見目良い娘一人二人と穀類幾許かを付け兵士らに引き上げを願う筋書きなる。
 しかし頭目曰く「汝の言は嘘なり、おれは先ごろ皇太后にまみえし男を知りぬ。疾く住まいへ案内せよ」。弓先にて道守の胸を突き、さらに振り上げ打たんずる構え。
「いかな用のありしや」進み出た女の声調まさに大和音なれば頭目喜悦す。
 その小手子の袖を握りて側に立つ嫗は長年仕えの傳女なり。兵士らを睨み、一指なと姫に手を出さばこの婆が取り拉がん、いやさこの婆殺さりょうとお前ばかりか子子孫孫まで呪い祟りてくりょうとの険しき面立ちなり。
 兵ら、二人を馬に乗せんとすれば嫗、「姫のみ連れ、我を馬の背に縛して追い払わん魂底見えしかな」と拒む。詮無きとて歩み始めれば、眦決し男達を見据えて伸びた腰のすぐに二重、糸を紡ぎ機を織る長き暮しは赤子ほどの歩みとなる。都への道に足重かるは小手子も同じ、卑俗にして強欲、常に赤黒き唇を濡れ光らせた馬子の面相を思い出せば屠所への羊。かくては大和へ幾歳ならん、兵の頭目、二人を載す輿を作るべしと下知す。
 竹を伐り藤蔓を解き、近傍の家より戸板を奪いなどして里外れ、二股道を前に日は暮れたり(現在の仁井町)。

 頭目の男は小手子を無事帯同して帰還なれば市の一つを宰領さすると馬子の約定ありて兵の狼藉は停む。
 夜、小手子と嫗の置かれし茅屋に見張りの者と馴れたる言葉を交わす声あり入り来る者は、年に一、二度訪れる山の民なり。数日前に峠を三つばかり兵を案内せしとなん。この男、昨夜の事を物語るに、
「安達には人を喰う鬼女の棲むを聞き及べり。怖いもの見たさ、いかに鬼とて女なればおれが腕に余るはなし。仲間への自慢話にせんとて鬼を知りつ岩屋に宿を乞うた。げに鄙にもまれな美美しき若いおなごの笑みて現れ、これが鬼女にてあろうはずなく主を尋ねたれば独りに暮したる言。『妾は棄児なり、稲の幾束かにて売られ貰わること三度、最後の親はここに果てにき。以来早や二年、独り露を飲み草の根を掘り命を繋ぐ。そなたの男ばえ、いと頼もし。共に暮さんず。これ食べや』塩に漬けたる木天蓼を薦めてくれての、酒まであり鍋には粥の煮えたる。
 ここを鬼女の棲家と教えてくれたは者は笑わす戯れなら言い述べすれど人を偽る虚言はせぬ仲間、十分一の疑念あるより酒は飲みしと見せて胸へ零し『これより近里へ狸と鼬の皮を売りゆくゆえ今はとどまるべからざれど、さよう、数旬後会津の岩塩など持ちて候らわん』など嬉しがらせを述べ、食べ酔うたふりして藁床に臥しけり。粥にて腹の暖まりしかば一頃ばかりまどろむ。小便せんと外に出る。実は先刻来カツーン、シャシャシャ、コツーン、シャシャシャ鳥獣の声ならぬ音ありて目覚めたる。
 外に出るとな、何とあの娘が刀を研いでおる。山刀と、箙刀に似た小さな二振り。満月も近き皓々たる光にそをかざしニッタと笑う顔の凄まじさ。口は目まで裂け、牙にも似たる歯を反らしたる。これなんまさしく人の肉を食う鬼女なり。おれは思わず後じさると溝へ足を落した。バキバキッと音しての薪でも踏みたるかと思いきや、人の骨よ、枯れ骨よ、頭骨もありたる。女が音に気づき顔を向ける。『見たなーっ』悪鬼の笑み浮かべ刀を手に歩み来る。熊猪の類なら相手のしようも承知なれど鬼女への押し引き術は無かりき。おれは飛び退って岩屋を離れる。とっさに標杭に掛けられしこの領布(ひれ)をもぎ取り逃げ出したわ。飯の折に、実親を知るよすがの裂(きれ)と女の語りしなり」と男の出したる裂を見て小手子の顔色変われるを構わず話は続く。
「仲間へ語るに嘘偽りではない証しよ。岩を一つ二つ跳び、鬼女に神足なかりしを安堵も束の間、女の声のあと豺(やまいぬ)の吠え声あって走り来る。おれは川に飛び込んだ。この裂咥えてよ。四間ばかりの川を渡り息は切れたり真夜のずぶ濡れ。真裸になり服を絞りさても寒きや。火の欲しけれど手立て無し。夜の明くるまで歩くにしかず。また一つ愚を重ねしと仲間に笑わるを思いただただ歩みたる。獣皮を岩屋に忘れ来るも、そは火と粥との礼にせん。思うにあの娘、言葉に大和辺の音混じるゆえ、兵に連れ立ちたる近江あたりの浮かれ女が捨てにし娘ならんか」
 男の話のどこまで真なるやは知らず、目前の裂は端のほつれ濡れ汚れてあるもまぎれなく錦代に着せたる綾絹の袖なり。嫗も悟りて息を呑む。
 小手子は裂の織模様を讃え、身一つにて出てきたるゆえ代わりに差し出せるのはかような物しかあらねど、とて髪を巻き止めたる連珠を外し譲渡を乞う。
「ほう、やはり並の裂にはあらずとおれも思うての、そなた達なら解すらんと来て見たが、しかし、この襤褸にその珠では落ち着かぬ……ほう、越の国の珠なるか、なを酷い交換よ。おれはこれから今井が主のところで食い物のいく袋かを受けるその値、鼬と狸の皮ばかりの品で良いのだ……いや、それは済まぬな。そうか、ならば今度の春には籠一つの鮎と鹿皮を持ってきてやろう。あ、いや、大和へ行くのであったな。あそこはおれも一度通ったが欲深者の溜りでよ、人を斜めに見くさる者が多いわ。狭き所に人多きは悶着の種、またどこぞで会うこともあらん、お前様、その時困っておいでならおれを頼ってくれろ、いやさて遅くならぬうち今井が主へ参じよう」
 男出て行きぬ。
「山の男は皆無口なるにあの者ばかりは相変わらずにようしゃべりますな」嫗が言えば、「一人幾月も山中にて話し相手なきゆえであろう」小手子が答う。女二人錦代の思い出話を繰り返し、さらに蜂子の身を案じつつ筵床に伏しぬ。眠りもせで小手子、我が子の鬼になりたるを悔ゆ。無邪気な童女のなどて鬼に変ずるや。前世の因果は腑に落ちぬ。ひとえに衆を救うに努めきたりとせる我が身とて折には憎み怒りを覚えしもある。わけても蘇我の大臣の顔など見るも疎ましきぞ。すれば我が身また鬼となるや。
 嫗の枯れた鼾を隣に夜は更く。つと起きて忍び出たり。見張りの男には下の用と断るつもりが、その見張り、他の者無きを幸い、昼に目混ぜせし女の小屋へ行きたり。このあたりは以前に機織を教えもして幾度か往来せる。
 満月を映して満池あり。小手子、叢より一歩踏み入れ、胸騒ぎにためらいしかど更に一歩進めば足冷たきに脳芯ばかりは火炎の如く、過去世に見し物見し人おしなべて集い来たり足は積泥に滑り、後ろざまに倒れ滑りて全身を没す。いっときもがきたるは生きたし五体の騒立ちたるにて死にたき心のゆえにあらず。

 朝まだきに里人は罵り叫びつ泥塗れの小手子を引き上げたり。嫗、小手子よりなお蒼白の面にてそを洗い清め蘇我大臣への悪口はじめ怨言をなす。
 兵の頭目とて怒り心頭、見張り役の男を二度三度と力任せに殴りしも死者を甦らすに術無し。死に首提げて帰りても罰を受くるは必定、大和への帰路、兵も下人らも三々五々、さる国司に仕うるもあれば夜盗の群に投じるもあり、結句帰りしは二、三にて他は霧消せり。そは後日の話にて、今、嫗が嘆きつ小手子の身を拭う川べりに榎あり枝に止まれる烏の頻り鳴く。これなん蜂子なり。月山にて糠手の元従者より小手子の安着を聞き昨夜飛び来るも遅かりし。我在りたればかくも身を棄つるほどな仕儀にさせまじものをと泣く。
 今井の主が来たりて愚痴を並べ、兵の頭目に向いて言うよう。「おのれらが殺したるぞ、かくも尊き心映えあるお方はまたとあらじ。弓と力にて人すべて動くと思うな」
 榎の烏の飛び立つ。烏は中空にて隼と変じさらに高くにては鷹となる。蜂子、月山に泣き伏す。

 馬子の住まいを得んものと大和へ向いし夜、近江の海を眼下に飛ぶや突如長柄の矛に遮らる。漆黒戴星(うびたい)の駒に跨れし長袖者あり。
「おうっ、そなた蜂子にあらずや」
「やっ、厩戸の……」
「近頃、飛行夜叉(ひぎょうやしゃ)ありとて待ちたる、何とそなたなるか。出羽に住まえば羽の生ずるは理なるも、その面変りは蛇蟾蜍など喰らいてか。おれが後なる摂政皇位にはお前をと目せし日もあれどその面体にてはかなわじ。何用ありて往来する」
「父死せり、母死せり、因はともに嶋の大臣(おとど)なる。報せずんば措かず」
「あれはもとより下根なれども唯一商賈に才あり。国と国との交易に宝物は必要なり。ゆえに本来仏法は天地の理を述べたるもあの者は蓄財の利のみ解したる。そなた、飛翔の術を得たらんは仏法の深奥一つを解すと見ゆるも未だし、その面相変るが証左なり」
「皇子、優れて聡明なるは人皆知るところなり。ならば問わん。皇子の傍にあるは綺羅弁口を飾り一時の栄を得んとする者のみにあらずや。誰か一人なりとも死生を共にし心血の紐帯を結ぶ者ありや。皇子が言をなせば然り左様尤もなりと肯ずる者ばかり。今の宮居も長くはあらじ」
「はてさて蜂子、先年来出羽に徒党を組み我らが使いを受けぬ衆あるを聞きしがそなたなるか」
「国は大和宮家の国土にあらず。非礼には非礼を以て応えん」
「ならば戦となるが、よきか」
「引かず」
「よし、次なる満月に、これより東、常に雪を頂く孤峰富士の上にて会わん。わしら馬子も連れ相当な兵数もて向う。そなたもあるだけの兵力にて来るがよい」

 蜂子、月山に戻りてからは会衆の者らに飛行の術を伝え練磨すること厳にして、いよや決戦の日となりぬ。
 両翼五十間の大迦楼羅になりたる蜂子を先頭に小迦楼羅の背高と紺柄が従い鷲、鷹、隼の群れなる、中には烏や鳩もおり後尾には梟も混じる総勢千余りの鶴翼の陣にて霊峰見ゆ。
「待ち居いたり」太子の声月夜を裂く。
 長矛小脇に漆黒の駒に跨るは先夜に同じも墨色衣の下に甲を着け、後ろに従うは五百の軍馬なり。隣には大臣馬子、これは巨大なる猪豚に身を変え、珊瑚樹の角を持ちたる大鹿に跨れり。後ろに連なるは豚と猪、その数また五百。太子の別隣には秦の河勝、牛の大群を引き連れ、馬子の隣には蝦夷(えみし)が豺狼の群を連れ、これら四堆の陣をなせり。
 蜂子ら鶴翼の陣にて真っ向攻めるは馬子の一陣なり。すれば太子の陣、ゆるゆると退き、馬子の陣後方までゆきけり。漢書に三舎を避く故事あり蜂子思うにこれは太子が我に馬子を討たせん配慮なるやと。
 霊峰の上、清浄の大気を胸に吸い取り呪言と共にそを吐き出せば紅蓮の炎となり馬子の陣に吹きかかる。馬子咄嗟に身を沈め、数間引いて浮き上がる。前面の豚みな焼豚となり椿の花落つるがごと雪の山肌に零れたり。一吹きに五十や百。蝦夷の軍、側面より攻めるを背高、紺柄、奮戦して近づくを許さず、わずか鳩朱鷺などもとより争闘に不向きな者を倒せしのみ。しだい馬子の陣と一体になり後ずさる。馬子も退く、兵は滅ぶ、されど太子の陣の塞がりてついに引くも叶わずなりて親子怯えの眼を見合わせたり。
 突如二人、衣服を脱ぐ捨つ。朱を刷いたる面と体の入道雲が如くに脹れ、あと一吹きにて倒せるやと息吸いたる蜂子の軍に二人尻を向けたり。雷鳴に等しき轟音、二人の放屁が天地を覆う。黄塵万丈とはこのこと、さらに目に染むばかりの臭気あり。蜂子の軍勢悲鳴して落つる多し。迦楼羅の蜂子とて喉の塞がりて目も見えず。そこへ「蜂子」の声あり。牛の頭蓋骨をかぶりたる太子が掻い込んだある長矛を一閃さすれば迦楼羅の翼は背より離る。蜂子敗れたり。身は真っ逆様、富士の火口に堕つ。軍鳥散り散りとなる。

 太子、詔して曰く「和を以て尊しとなす、篤く三宝を敬え」と。
 後日談その1.馬子と蝦夷、死の恐怖を与えたる太子を深く恨み、蝦夷の子入鹿に伝えければ、太子薨じてのちその子孫を誅せしは入鹿なり。
 その2、三百年ほどくだりて富士の噴火せる。下野の官の牧に飛来の石あり、高さ六尺ばかりなる。行人、傍らを過ぐるに傷なくして倒る。鳥獣も近寄らず、土地の者殺生石と名付く。これなむ、マグマの中に凝りたる蜂子が魂魄、人を殪すは放射能なり。
 (了)

2020年12月26日土曜日

水瓶座の時代はキメラと共にやって来る?ーーindeepメルマガより

 In Deep メルマガ 122

20201225日発行



みなさま、おはようございます。


私が誰だかわかりますか? (いいから)



今日は少し早い時間に配信させていただきましたが、

午後に出かける用事がありまして、このような時間帯の配信となりました。


用事というのは、お墓参りです。


この時期は、田中くんという人生最大の友人だった人の命日近くで、

毎年、田中くんの知り合いだった数人でお墓参りに行くのですけれど、

今年は、そのうちの何人かが、


「こんな状況だし、奥さんがこの時期の出歩きはダメだって言っててさ


というような理由で、

結局、ジローさんという友人とふたりだけとなる予定となりました。


毎年お墓の前で乾杯して、何時間かそこで思い出話をするのが恒例でしたので、

少しさびしい感じもないでもないですけれど、仕方ないのですかね。


彼らの奥さんなど家族は、「本気でコロナを恐がっている」ようでして、

そのように思うのは各自の自由ではありますけれど、

ただ、そのように思っている限り、


「もうずっとこのままの状態が続きますよ」


というようには思います。


基本的に人々が「恐怖」している限りは、事態は変わらないですからね。


どうやら、そういう「本気で恐怖を感じている」人たちが、

日本も世界にも、もしかすると、たくさんいる。


こんなんじゃ終わらないですよ。


恐怖が払拭されない限りは、どこまでも拡大する一方で。


それと共に、

多くの人たちが、行われていることに「違和感なく溶け込んでいる」ことが、

私としてはずっとショックでもあります。


少し前、以下のブログ記事で、イギリスの人のブログをご紹介しました。



◎「全身全霊の悪意」に基づく

冷酷性と嘲笑性に支配されてい

るパンデミック下の世界で私た

ちは「単に幼稚化」され「無知

を奨励」されている

20201221

https://bit.ly/3rroXWT



ここでご紹介した作者の人は、以下のように書いています。



(英国にお住まいの方のブログ記事より)

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何らかの理由で、私たちは自分自身を幼児化することを許してしまった。


私は、これらのばかげたスローガンに市民が苦笑で応答するのではなく、

これらのスローガンへの市民たちの実際の対応について完全に困惑している。


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(ここまで)



これは何だか回りくどい物言いですが、要するに、


「こんな不条理なスローガンにみんなが従っていることに困惑している」


ということを述べています。


マスクも不条理だし、社会的距離も、営業時短もすべてが不条理です。

でも、多くの人たちはそれを「必要」だと感じている。


そのことは、たとえば、Yahoo! に「みんなの意見」というものがあり、


「感染リスク高まる5つの場面、特に注意しているのは?」


という質問に対しての回答のパーセンテージは以下のようになっています。


・マスクなしでの会話 52.1%

・大人数や長時間に及ぶ飲食 19.6%

・飲酒を伴う懇親会など 18.7%

・どれも特に注意していない 5.9%

・狭い空間での共同生活 2.7%

・居場所の切り替わり 1.1%


「どれも特に注意していない」は、6パーセントほどであり、

結局このような数字が、ある程度の「総意」を示しているのかもしれません。


ほぼ 95パーセントは、スローガンに則っていると。


これに対しても先ほどの英国人の以下の言葉が真実だと思います。



(英国にお住まいの方のブログ記事より)

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「警戒を怠らないこと。ウイルスを抑制しよう」


これは一体何を意味するのか?


警戒を怠らない? 

どのように? 

大きさが約120ナノメートルつまり人間の髪の毛の幅の約1,000分の1のウイルスを警戒する? 


一枚の布で気道を覆うことが120ナノメートルのウイルス粒子の拡散を防ぐ?


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(ここまで)



不条理なんですよ。すべてが。


しかし、90パーセント以上などの人たちが「納得」しているのだとすれば、

それはもう仕方なくもあり、

今後も不条理なスローガンに従った社会が維持されていくだけかもしれません。



まあしかし、奇妙な光景の不条理社会を見ているだけならまだしも、


「ワクチン」


の段階に至ると、ちょっと厳しいですね。



昨日の報道ですと、アメリカではもう「100万人」がコロナワクチンを接種したのだとか。


まだ、接種開始から10日経っていないと思うのですけれど、

ものすごいペースで接種が続いているようです。


メルマガ第120号の「ヒトラーの方法論が適用されているパンデミックの中で

の中で、このワクチンに「不妊」を起こす可能性があることにふれました。


ファイザーの元副社長だったマイケル・イェードン博士が、欧州医薬品庁に


「新型コロナワクチンのすべての研究の即時停止を求める緊急申請」


を提出したその内容にふれたものでした。


その書類でイェードン博士が「中止の理由」として述べていたことは、

おおむね以下のようなことでした。



・抗体依存性感染増強によりコロナ再感染時に死亡しやすくなる


・スパイクタンパク質にはシンシチンというタンパク質が含まれており、

シンシチンは胎盤を形成するのに不可欠で、

そこに影響を与えることで女性の不妊につながる可能性がある


・ワクチンにポリエチレングリコールという物質が含まれており、

これがアレルギー性の反応を起こす可能性がある



などでした。


そうしましたら、先日いただいたメールで、

ヨーロッパのある薬品系会社の社長が、その方に、


「コロナワクチンは特に若い女性は避けたほうが良い」


と言っていたようで、その社長の方が言うには、


「このワクチンは遺伝子操作技術によって細胞の増殖を抑えるもの。

どうやら人間の細胞の増殖をも抑えてしまう副作用がある」


として、そして、やはり「不妊になる可能性」に言及していたそうです。


遺伝子操作技術などという言葉が出ると、以前なら陰謀論的に扱われることでしたが、

新型コロナウイルスワクチンは実際に


「人間の遺伝子を組み換える」


のです。


このワクチンについて、

これまで、そのメカニズムをどうもうまく説明できなかったのですが、

ある病院の院長さんのコラムに、わかりやすく書かれていました。


病院名や URL を書いていいものかどうかわからないですので載せないですが、

東京の病院の院長さんが書かれたものです。


長い文章からの一部抜粋です。




(東京の病院の院長さんのコラムより)

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現在、臨床実験中のコロナワクチンは、

今までのワクチンとは全く作用機序が異なる。


従来のワクチンは、弱毒ウィルスあるいは、生ウィルスの抗原を接種して、

体内で抗体を誘発させてきた。


例えばインフルエンザワクチンは 弱毒ワクチンである。


ワクチンを接種してあると、感染に暴露されたときに、

すでに同じ抗原が体に入っているために、

すぐに反応して、抗体を作り、約40%に感染防止の効果があり、

50%に重症化予防の効果がある。


新型コロナウィルスのワクチンは、人にある種の遺伝子を接種して遺伝子を組み換え、

人間の体内で抗原(コロナウィルス)を作らせ、

それに対して抗体を作らせるという方法がとられている。


これはこれまで遺伝子治療以外では使われてこなかったやり方である。


なぜなら、ひとたび、組み換えを受けた遺伝子情報は、

コロナに関する遺伝子のみでなく、遺伝子の他の部位に影響を与える可能性を秘めており、

その可能性がどんな形で現れるのか不明である。

もしかすると組み換えられた遺伝子が発がんを誘発するかもしれない。


接種後の短期、長期にわたる副作用は、全く不明である。


げんに、エボラ出血熱のワクチンが同じ方法で作られ、

接種を受けた数十人に白血病患者が発生し、そのワクチンは製造中止となっている。


今回開発されているコロナワクチンのように、

こんな短期間に開発された状況では、安全性は全く保障されない。


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(ここまで)



この中の以下の部分が懸念されることなのですね。



 ひとたび、組み換えを受けた遺伝子情報は、

 コロナに関する遺伝子のみでなく、遺伝子の他の部位に影響を与える可能性



つまり、最もこわいのは、接種直後のアレルギー反応よりも、


「長期的な作用がまったく確かめられていない点」


なんです。


この病院の院長さんもコラムの最後に以下のように書かれていました。



「ずいぶん手順を吹っ飛ばしたやり方である。

副作用は? 安全性は? 遺伝子組み換え治療に対する倫理規定は? 

何もかもがあいまいで、ずいぶん怖い話である。」



ワクチンや遺伝子治療などのメカニズムに詳しい人ほど、

つまり、お医者さんや医療従事者ほど、このワクチンは恐いようです。

それは以下のブログ記事でも書きました。



◎「突然出現した」と騒がれる英国

の新型コロナウイルスN501Y変異株

は、4月にはブラジルで、8月にはア

メリカでもすでに流行

20201223

https://bit.ly/3hdDQaK



おそらく「現在の社会の不条理」のほうも、それに最も気づいているのは、

医療関係者や科学者の人たちだと思うのですが、

先ほどの Yahoo! の「アンケート」の数値に見られるように、



「一般人の多くが不条理なスローガンの中心的な信奉者になっている」



という社会になり、もはや何も言えなくなっているように思います。


ワクチンもそうなるのだと思います。


日本のメディアを見る限り、

先ほどの院長さんが言っていたような、



「ずいぶん手順を吹っ飛ばしたやり方である。」



というように報じる記事に接したことがありません。


書いている人はいるはずなのですが、検索では出てこないという、

最近のインターネット検索の特性が発揮されているのですね。


普通に考えれば、



「勝手に人の遺伝子を組み換えちゃダメ」



という主張が報じられてもいいような気がするのですが、それがない。


この分では、ワクチンへの懐疑もほとんど社会に出ないまま、

接種への道が開いてしまうのかもしれません。


日本でも早ければ、2月に承認と NHK は伝えています。


・ファイザー コロナワクチン 日本で承認申請 早ければ2月に結論

https://bit.ly/2WHybjN


このコロナワクチンに適用されるのは「特例承認」というもので、

通常1年ほどかかる医薬品審査の手続きを簡略化して早期に承認する制度だそう。


なかなか希望が見えませんね。





《ワクチンでパンデミックを終わらせるカラクリ》


なお、



「ワクチンのお陰でパンデミックが終わったとする方法論」



は、すでに進行中かもしれず、

これは可能性としてなら簡単なことなんです。


WHO は、127日に「 PCR検査に関してのしきい値」について、警告をしました。


https://bit.ly/3aDfhCX



「しきい値」というのは難しい概念ですが、

要するに、ウイルス検査なら「陽性か陰性かの判断となる目安の数値」です。


WHOは、ウェブサイトで「しきい値が高いと誤検出が発生しやすくなる」

と述べていました。


これは事実かもしれないですが、

このように「検査のしきい値」をどんどん変更していけば、



PCR検査でほとんど感染確認事例が出ないようにすることもできる」



のです。あるいは逆のこと(感染確認を増やす)こともできるわけです。



これはたとえば「血圧」で考えても、例えとしてわかりいいかもしれません。


今の標準血圧の基準は、「 120 / 80 」となっていますが、

つまり、この数値以上の血圧の人たちに対しては、



「高血圧という病人とすることができる」



わけで、医師はこの人たちに血圧の薬を処方できます。


しかし仮に世界の標準血圧の基準が、「160 / 100 」だった場合、



「高血圧という病人はほとんどいなくなる」



わけです。


血圧の薬を処方される人もほとんどいなくなります。


これでは製薬会社にも都合が悪いですし、血圧基準は低いほうがいい。

それでいくらでも「病人」を作ることができ、薬を処方することができる。


変な例えですけれど、

血圧の場合も、年を追うごとに標準血圧は低くなっていますが、

これも「世界基準」を変更すれば、何でもできる。


PCR 検査の、その「しきい値の基準」のほうも、それを変更すれば、

感染者を増加させられるし、減少もさせられるということになり、

ワクチンの流通後にしきい値が変更されれば、



「ワクチンのおかげで、コロナウイルスが世界から消えた」



と宣言することも可能ではあります。


もちろん、そんなことをするとは思ってはいないですが、このようなことが、


「可能か不可能か」


ということであれば、可能ではあると思われます。



しかし、それはともかくとしても、

ワクチン後の世界は少しこわい感じですね。


何しろワクチンを接種した人たちは「遺伝子組み換え人間」になってしまうわけで、

どのくらい後に、どのような影響が出るのかわからないのです。


実はこわいと思うのは、副作用というようなもの以上に、

どちらかというと、以下のようなことと似てくることはないのかという不安です。


骨髄移植の後、「DNAがすべて提供者のものに変わる」ことを書いた記事です。



◎「本人」とは?:骨髄移植の後、

移植を受けた人の血液の DNA 

ドナーのDNAに完全に置換される

ことが判明。特に「精子」は100

パーセントがドナーの遺伝子とな

っていた

投稿日:20191224    

https://bit.ly/3rsgt23



ここでご紹介したニューヨークタイムズの記事に出てくる人は、


「骨髄移植から4ヶ月以内に血液がドナーの血液型」


となり、


「骨髄移植から4年後に精液中の DNA がすべてドナーのものと置き換えられた」


のでした。


頭髪などを除く、全身すべての DNA が提供者のものと「置き換わった」のです。


今回の遺伝子に介入するコロナワクチンにそういう作用ないのだろうかとか。



いずれにしましても、ワクチンの何ヶ月後、何年後の影響は、

その時になってみなければわからないものなのかもしれません。


最近、以下のブログ記事で聖書「ヨハネの黙示録」にふれたことがありました。



◎元米大統領選候補者が「ワクチン

接種を特定するためにシリアル番号

を与えるべきだ」と提案。そこから

辿りつく「獣の数字」の真実

20201219

https://bit.ly/38CH187



その記事を書くために、ヨハネの黙示録を読んでいるとき、

ちょっといやな記述にあたったことも思い出します。



(ヨハネの黙示録 16 02節より)

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そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地に注ぐと、

獣の刻印を押されている者たち、

また、獣の像を拝む者たちにひどい悪性の腫れ物ができた。 


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(ここまで)



この「ひどい悪性の腫れ物」という下りは、先ほどの東京の病院の院長さんの書かれていた、



 もしかすると組み換えられた遺伝子が発がんを誘発するかもしれない。



というような下りも思い出させててくれます。





とまあ、暗い話が続きましたが、今回ご紹介したかったのは、

数日前にアメリカのエポックタイムズに掲載されていた



「水瓶座の時代の夜明けを見よ - 大変異時の惑星地球を占星術から読む」



という記事でした。


https://bit.ly/37KSi6S



これは、エポックタイムズの記者による、

ヴァネッサ・グアゼッリ(Vanessa Guazzelli)さんという女性の占星術師への

インタビュー記事です。


大変に長いインタビューですので、

要所要所を抜粋してご紹介したいと思います。


1221日(日本では1222日)に発生した木星と土星のコンジャクションが、

数百年単位の「大変化」の兆しとなることが語られています。


占星術の言うことが正しいかどうかはともかく、

その内容には納得できる部分もあり、

また「納得できない部分」もあります。


ここからです。





《「水瓶座の時代の夜明けを見よ」より》

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木星と土星の結合が要素を変化させる時を、

グレート・ミューテーション Great Mutation / 大いなる変異)と呼びます。


これは、200年ごとに発生するもので、

200年間同じ要素(エレメント)の兆候で交差し続け、

さらに40年間の移行期間の可能性があり、より大きなサイクルを示します。


木星と土星は私たちが社会惑星と呼んでいるものであり、

政治と地政学に関して考慮されるべきものです。


木星と土星の結合が次の要素で効果的に起こり始めるとき、

それは重要な社会経済的および文化的変化を示す「大変異」を示します。


それが今起こっていることなのです。


現在の私たちは、地球の兆候における200年続く時代の延長にいます。


この200年の時代は、物質と生命のより具体的な次元、

つまり物質的な世界に生きる「物質的人間」に重点が置かれました。


しかし、私たちが空気の要素に移動するとき、

みずがめ座の0度で結合し、昇華の呼びかけが行われます。

(※ 訳者注 / ちょっと意味不明です)


固体であるものはすべて空気に変化します。


物質や手順は、より重要なことではなくなり、

それはよりデジタルで、ある程度は仮想的である可能性があります。


しかしそれだけではありません。


共有されたアイディアと理想はさらに重要となります。


それ以上に、私たちが実質的に持っているもの、

誰が何のために存在するかが最も重要となっていきます。

コラボレーションと協力は、今まで以上に世界を動かす風となるでしょう。


これは確かに、

1221日世界時1820分に起こっている非常に重要な占星術の側面と構成です。

アジアとオセアニアの一部では、1222日の真夜中を過ぎた時になります。


これは、偉大な変異であるだけでなく、

最も遠い 2つの惑星が経度だけでなく緯度(黄道座標)、

そして赤経と赤緯(赤道座標)の両方で結合する場合の偉大な結合です。


つまり、それらは同じ方向に整列しているだけでなく、

地球から見た空の中で、まるで同じ星であるかのように、

実際には互いに非常に接近しています。


前回、これらの2つの天体が非常に接近していたのは、1623年でしたが、

それは大変異ではなく、黄道経度の観点からは通常の結合でした。


占星術的に、これらすべての強化がこの時点で一緒に起こるという事実は、

この結合が示す大きな変異がどれほど強力であるかの意味を強めます。


それは日常生活にも及びます。

技術開発、そして物質と手順のデジタル化の増加についても示されます。


ここには、暗号通貨やデジタルマネーが、物質からより軽く、より物質的でない「物質」へと、

迅速にできる一種の「昇華した」お金となることも含まれるかもしれません。


これらは空気中を循環します。


より個人的なレベルでは、これからの社会では、

私たちは自分の考えや理想と調和していない社会的文脈への興味を失う傾向があり、

私たちは自分たちと同じ波長のグループ、プロジェクトに引き寄せられます。


単に制度に頼って人の世話をする時ではなく、

自分自身を識別し、共通の利益、理想、目的を持って他の人とつながる時です。


みずがめ座は、しし座の中央集権的な兆候の反対にあります。


地政学的には、つまり、覇権的な単一の星が世界を支配する時ではなく、

多くの星が空全体を照らす時です。


単一の帝国のための時ではありません。

複数の帝国が存在する可能性があります。


強力な国々の強みは、

これまで以上に、相互尊重のパートナーシップと同盟の質にあります。


地球の表面の惑星の位置の線を示す「大変異」の宇宙地図の作成に関して、

木星と土星のIC線が北京を通過することに気付くのは興味深いです。

これは基盤としての中国の関連性を示します。


地球の反対側には、南米(ベネズエラ、ブラジル、ボリビア、アルゼンチン)

を通過する2つのMC線があり、

この新しいサイクルにおける南米の資源の価値を示しています。

(※ 訳者注 / IC線とかMC線が何かは不明です)



(記者からの質問)

「私たちの現在の激動の分岐点は、バイオセキュリティの向上と、

体系的分析ではテクノ封建制を定義していることを示しているようです。

これはすべて、権力の過度の集中を意味します。

資本主義システムへの深刻な大きな変化という意味で、

世界システムの大変異が考えられるのでしょうか」




そうです。


私たちは世界システムのまさにターニングポイントにいます。


大変異に加えて、2020年代のもう1つの非常に重要な側面は、

20262月の牡羊座の土星と海王星の合流点です。


これは、占星術の解釈において重要な、黄道帯全体の最初のものであり、

ヴァーナルポイントとも呼ばれます。


土星と海王星は36年ごとに結合しますが、これは比較的短い歴史的サイクルです。


7000年前までさかのぼると、

この結合は紀元前4361年と紀元前1742年にのみ発生しました。


これから3000年「先」を見上げると、バーナルポイントに最も近いのは、

西暦3172年の牡羊座の3度です。


これほど発生は稀です。


歴史的観察によると、

土星と海王星の間の側面は、社会主義と共産主義に関連しています。

地球のこれらの動きは、空のこれら2つの惑星間の通過上での接触と一致します。


それは歴史的に、いかなる占星術でもすでに証明されています。


さらに、これは過去について私たちに伝えるだけではありません。


それは実際にはちょうど始まったばかりであり、

さらに「新しい形の社会主義への再構成」がなされます。


イマニュエル・ウォーラーステイン (米国の社会学者)氏によれば、

世界システムの最終期間を特徴付ける構造的危機の間、

システムの分岐はいずれかの方向の1つ、または複数のシステムに傾く可能性があります。


昨年亡くなる前に、ウォーラーステイン氏は、

私たちが60年から80年続く資本主義の構造的危機の真っ只中にいると考えていました。


現時点では、その中間点を過ぎていると思われます。

それは最初のうちは、複数のシステムに向かう可能性があります。


1つは、一帯一路イニシアチブとユーラシア大陸のパートナーの統合を通じて、

社会主義と多極化を刺激する帝国の新しい試みです。


一方では、崩壊する帝国とその西側の同盟国は、

他の人々の存在する権利を、0.0001%の合理性もない不条理で管理し、

人々の生活から活気を消し去ります。



私は20206月に初めて「グレートリセット」の言葉を聞きました。


そのグレートリセットが決められるダボス会議の日が、

202012月末の大変異(グレート・ミューテーション)に非常に近い日である

20211月に設定されたことに驚きました。


これは単なる偶然ではないと思います。


JPモルガンは、


「百万長者は占星術師を必要としないが、億万長者には占星術師が必要だ」


と断言したことで知られています。



おそらくこの大きな移行に気付いたダボスの委員たちは、

実際に彼らがすでに支配しているシステムを独自の設定でリセットし、

死にかけているシステムを地獄からサイボーグとして復活させようとしているようです。


みずがめ座で強調される「邪悪」の可能性として、

テクノロジーによる社会のコントロールがあります。


それがテクノ封建制であろうと、神が禁じているテクノ奴隷制であろうと。 



しかし、フォースの明るい側面としては、

みずがめ座は、生命を維持し、人々のニーズを満たす社会的プロジェクトに関係します。


しばらくの間、二つの次元、

または、二つのシステムの両方が地球上で共存する可能性があります。


彼らの糸を引く宇宙のマスターは言うまでもなく、西洋の勢力は、

真の、そして敬意を表する協力の状態に達するまでに長い道のりがあるようです。




(記者からの質問)


「新型コロナウイルスは、あるレベルでは、

大変異に向けた不快な序章として解釈できるでしょうか。

今、中小企業は、ほぼ完全な経済的荒廃を見せており、憲法上の権利が取り消されています。

政府は、一般的な協議なしに、実質的に法令によって裁定している。

情報に基づいた異議申し立てを検閲するグローバル企業。

社会全体が事実上自宅軟禁されています。

地球の大部分は一種の全体主義のテーマパークになりました」




おっしゃる通りに、

新型コロナウイルスは間違いなく不快な前文として解釈することができます。


それはおそらくグレートリセットを目指すためと考えることができます。

前例のない世界的な集団体験、そして実験。


社会すべて揺さぶり、私たちの時間の認識を変え、

今までにない時間の概念の準備をしています。


(逆に言えば)これは、注意を払っているすべての人たちに、

すべての可能性に対して、さらに生き生きと、

より鮮やかになりたいという欲求を呼びかけている時間なのかもしれません。


「命か経済のどちらか」という非常に強調されてきた極端な二分法は、

それ自体がすでに世界がいかに不条理であったかを示しています。


どれだけの人々が簡単に一方を他方から分離することに巻き込まれたか。


実際、中小企業が壊滅的な打撃を受け、貧困が劇的に増加している一方で、

億万長者は、富をさらに奇妙なレベルで集中させているのを見ることができます。 



それよりも考慮すべき基本的なことは、

それ(新型コロナウイルスでの社会)が人体にどのように影響したかです。


パンデミックは牡羊座のブラックムーン(月の遠地点)の時に宣言されました。


10月に、内臓的で本能的な次元を表すこの占星術のポイントであるブラックムーンは、

おうし座に移動し、私たちの生命力がどのように調整されているかを認識し、

私たちが自分の存在をどのように認識するかを形作ることの重要性を強調しました。


たとえば、身体的なロックダウンがどのように私たちの精神を閉じ込めるか、

あるいは閉じ込めないのか、を初めて認識したのです。


触覚の欠如や、常に口を覆っているという身体的経験の心理的影響は何ですか?


その状況が私たちの精神にどのように影響するかは無関係ではありません。


心と体はどのように関係していますか?

それはデカルトの二分法でしょうか、

それとも性欲によって動かされる生体エネルギーの統一と絡み合っているのでしょうか?



これは、20217月までの私たちの集団における重要な根本的な問題です。



この特別な大変異とともに、

いくつかの重要な占星術の側面が世界システムの本当の変化を示しているのが今です。




(記者からの質問)


「テクノロジーの急速な発展は、対処するのが非常に複雑になるでしょう。

それは多くの点で驚くべきものですが、すべてが正当化されるわけではなく、

否定できない課題を提示します。

そのいくつかはすでにここにあり、激化しようとしています。




私たちの(肉体としての)有機体と主観的な体の両方における、

テクノロジーと人工知能の効果は何なのでしょうか。


情報収集と指令への誘導の両方を行う双方向デバイスによる、

マインドコントロールが進行しています。


冥王星、別名ハデスは、2023/24年から2043/44年まで、

技術的で未来的なみずがめ座を通過するため、

社会のテクノロジーによるコントロールの逆レベルは深刻な懸念事項です。


進歩は私たちの心を吹き飛ばし、科学の概念そのものが大幅に変化しますが、

人間を超えた狂気と人間の後の狂気の深刻なリスクが伴います。



有機性(人間の物質的な肉体)を無視することはできません。

主観(人間の物質的ではないほう)も無視できません。


冥王星/ハデスは変容または支配に関係します。


私たちがすでにここにいて、ディストピアの時代を生きていることを考えると、

この紛れもなく壮大な冒険を最大限に活用したほうがよいでしょう。


運命と自由意志に追い抜かれて恐怖と孤立に屈する代わりに、

この運命と自由意志に関するウォーラースタイン氏の観察を忘れないでください。



世界システムの安定期、つまり、その構造がうまく機能している通常の生活では、

多少の変動があっても、システム内の物事を変えることは非常に難しく、

安定する傾向があります。

(※ 訳者注 / 全体主義的なものが社会に定着するというような意味でしょうか)


これは運命です。


運命から逃れるためには、

おそらくごくわずかな変化を得るのに多大な努力を払わなければなりません。


しかし、世界システムが最終段階に達すると、もはや逃れることはできず、

多くの不安定性があります。


危機は消えることはなく、

唯一の可能性は何らかの形で変化することです。それは自由意志の時間です。


ウォーラースタイン氏は、構造的危機においては、

私たちにはより自由な意志があり、私たちの行動はより強い影響力を持ち、

システムの変更がどちらの方向に進むかを決定するために小さな動きが重要であると言います。


現在、風は東とユーラシアから吹き、新しい形の共存を刺激しています。


しかし、資本、富、世俗的な権力の管理者は、

戦いなしではそれをあきらめません。


あるいは、いくつかの戦争と、テクノロジーを介した大規模な社会的コントロールが、

肉体と精神を捕獲します。


それがグレートリセットによるものか、

グレートミューテーションによるものかはわかりません。


抜け道はあるでしょうか?


あります。


それは新しいシルクロードとユーラシア統合に沿っているようです。


これは現実にもある程度重要なことですが、象徴的にも同様です。


西側は、東側の風に開放することで、それらがもたらすニュースとアイディア、

人類の未来を共有するコミュニティの物語から多くを得ることができます。


新しい世界システムは空中に存在しているのです。


https://bit.ly/37KSi6S


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(ここまで)



抜粋と言いながら、どこを省けばいいのかわからず、

長くなってしまいましたが、今後の社会は、



・全体主義


・社会主義



というタイプのキーワードから逃れるのは難しいようです。



私は最近、グレートリセットに対応した


「グレート・エスケープ」


という概念を考えたりします。「大きな逃避/抜け道」です。



いずれにしましても、

この方は、新型コロナウイルスの社会への影響として、



 これは、20217月までの私たちの集団における重要な根本的な問題です。



と述べているように、新型コロナウイルスの大きな社会的影響は、

少なくとも、来年の夏までは続くのかもしれません。


それまでに各自で「生き方を考える」ことになっていきそうです。



前半で書きましたように、

今のこの「奇妙な社会スローガン」でさえ、瞬時に定着したわけで、

どんな異常な社会形態でも、定着してしまうと、それは安定してしまうようです。


その「異常な社会」に身を投じるか、

あるいは、何らかのエスケープを画策するか。


来年はそういうことを真剣に考える年になるのかもしれませんね。



今回は長くなってしまって申し訳ありません。


次の号は、575での一句でまとめますね(短すぎるつーの)。


では、今の時代をあらわす俳句で締めさせていただきたいと思います。



 春の海ひねもすのたりのたりかな(季節も時代も違うわ)



それでは、失礼いたします。


In Deep 岡 靖洋

https://indeep.jp/